夢物カタリ

violet

二人の物語は今、二人が紡いでいる最中さ

 俺はもうすぐ死ぬらしい。


 銃弾が胸付近を貫いた。途端に力を失い、雪の積もった地面に倒れ込む。


 俺を置いて進む仲間たち。鳴り響く銃声。吹き荒ぶ吹雪。


 俺は最後の力を振り絞って、首から下げていたロケットペンダントを取り出した。


 チャームを開くと、そこには金髪の女性と俺が写っている写真があった。


「マリー」


 俺はその女性の名を呼ぶ。最愛の人だった。最後に会った時には子を孕んでいた。戦争が終わったら、三人で幸せの日々を過ごすはずだった。


「ごめんよ。マリー。愛している」


 なけなしの命を全て使い切るつもりで、彼女への想いを呟く。


「うわあ。しけたところに来ちゃったなあ」


 戦場で、あまりに場違いな声が聞こえてきた。積雪を踏みしめる音を定期的に鳴らしながら、どうやらこちらへ向かってきていた。


「この世界じゃ漫画もアニメもないんだろうなあ」


 聞きなれない単語と、少年の声。


「あ、いたいた。おーい、大丈夫ですかー?」


 俺は閉じていた瞼を薄っすらと開けた。白い帽子。オレンジのショートカット。顔は中性的で男女の判断がつき難い程に整っていた。服装は、白いシャツに緑色の上着。下はカラフルな短パンだった。寒くないのだろうか。


「ボクの名はカタリィ・ノヴェル。カタリと呼んでね」


 カタリと名乗る少年は、屈んで私の容態を診る。


「ありゃりゃ。胸辺りを、ずどん、だね。君もうすぐ死んじゃうよ」


 まるで死ぬことがそれほど悪くないと、そう思っているかのような軽い言い方だった。


「俺に、何の用だ」


 どうやら俺はまだ会話できるほどの力があったようで、何とか口を開く。


「君の物語に興味があってね」

「俺の物語だと」


 見てくれが頓珍漢なら言うことも頓珍漢だった。


「俺に物語なんてないさ」


 しかし俺の言葉に、カタリは笑った。吹雪で、しかも意識もぼんやりしている中、何故かそれがわかった。


「本当に?」


 俺は言葉に詰まる。もしかして、あったのかも知れない。叶えられそうにないからと、ずっと目を背けていたこと。


 戦争が始まらず、世界は平和のまま。俺は出兵せずに家でのんびりとしている。マリーが妊娠して、俺は家事に積極的になる。やがて子を産む。そう、男の子が良い。俺とマリーとその子で、幸せに過ごす物語。


 はは。そんな低刺激な話、誰が喜ぶというのだろう。


「なあ。俺に物語がもしあるというのなら、この写真の女に届けておくれ」


 俺は震えた手でロケットを差し出す。


「かしこまりました」


 カタリは左手を腹部に、右手を後ろに回して、紳士的に一礼した。


詠目ヨメ


 カタリは両手で鍵括弧の形を作ると、それを左手に押し当てた。すると、彼の左目から青白い光が迸る。


 その青白い光は俺を包み込んだ。光は暖かくて、俺は何だかほっとした。


 そして俺から、いくつもの羊皮紙が排出される。それらは一つに纏まっていって、やがて一つの本に仕上がった。赤と金の装飾が施された、なんだかとても価値がありそうな装丁だった。


「君の物語。確かにお預かりしました」


 そして俺は死んだ。





 最愛の人が死んだらしい。


 子を産んで数年が過ぎた。私は未だに彼のことが忘れられず、一か月に一度は彼の墓に訪れる。


 うららかな空の下。風は程よくそよいでいた。私たちは芝生に陳列された墓石の一つに佇む。


「これ、なあに」


 私と彼の子供、ルイが言った。


「ここにね。お父さんが眠っているのよ」


 私たちは黙祷を捧げる。


 彼が死んで数年。戦争は次第に落ち着いてきていた。しかし私は彼を失ったことでぽっかりと心に穴が開いてしまったようで、どうにもルイと向き合いきれずにいた。


「こんなはずじゃ、なかったのになあ」


 私は思わず泣いてしまう。ルイが心配そうに私の服の裾を掴む。


「あ、いたいた」


 少年の声が響いて、私は振り返る。


「マリーさん。良かった。ボクって方向オンチだから、何年も掛かっちゃったよ」


 オレンジ色の髪をした少年は、何だか奇怪な服装をしていた。


「はい、これ」


 少年は一冊の本を私に差し出す。赤と金の装飾が施されたその本を、私は恐る恐る受け取った。


「これは?」

「君の最愛の人の物語だよ」


 私は目を見開いてその本を見た。あの人の本。


「ルイ、行くよ」


 私はルイの手を握って、早歩きで帰路についた。家のドアを荒々しく開けると、書斎でその本を開く。





 その物語は、私と彼の出会いから始まった。最初は反発し合った二人。話す機会が増えて、徐々に親密になっていく二人。やがて彼が私に告白して、晴れて恋人同士になる二人。


 ある日、戦争が囁かれた。しかし戦争は始まらないまま、私は妊娠する。妊婦になると、途端に優しくなる彼。やがて私はルイを生んだ。ルイを育てながら、幸せに二人は日々を過ごす。


 でもそれはただの夢だった。戦争は起きていた。死にかけの彼が、走馬燈のように思い描いた夢だった。彼が死ぬことにより、その夢は叶えられなくなる。ならば、と彼は新たな物語を紡ぐのだ。


 死んだ彼は幽霊となった。そのまま私とルイの元へやってきて、囁くのだ。


「ただいま」


 彼の声は二人に微かに届いた。二人は彼に見守られながら、平和になった世界を幸せに生きていくのだ。


 そして彼は満足げな表情を浮かべて、成仏していく。





 彼の声が聞こえた気がして、私は振り返った。書斎には誰もいない。私は窓から外を見る。もうすっかり夜だ。


「ママ」


 ルイが私に甘えてすり寄ってくる。


「ごめんね。ほったらかしにしちゃった」


 よしよしと私はルイの頭を撫でた。


「あのね、ママ。パパの声が聞こえた気がする」


 私は驚いてルイを見た。この子は彼に一度も会っていない。だからパパの声なんてわかるはずがなかった。


「どうしてパパだと思ったの」

「だって、ただいまって言ってた」


 私は目を見開いた。はは、そうなんだ。彼はただいまって言ったんだね。


 私は途端に嬉しくなって、涙が流れる。


「そうだよね。きっとパパが帰ってきたんだよ」


 私はルイを抱きしめた。あなた。見ていて。必ずこの子と、幸せになるから。





「彼の物語を読んだ時、ボクは微妙だと思ったよ」


 マリーの書斎の窓の外に、隠れているカタリは言った。


「でも、そうだったんだ。これも含めて、一つの作品だったんだね」


 カタリは、窓際からそっとマリーの様子を見た。ぎゅっとルイを抱きしめているマリーを見て、カタリは微笑んだ。


「詠目で二人の物語も小説にしたら?」


 近くに止まっている奇妙なトリが言った。オレンジ色の毛並み。まん丸い身体。カタリにもトリの正体はわからない。


「二人の物語は今、二人が紡いでいる最中さ」


 これから生まれるであろう夢物語第二篇を、カタリは楽しみに待っている。

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