遙か蒼の眺望

稲穂

遙か蒼の眺望

 唐突に語ろう。私は魚である。

 ヒレがあって足がない、あの魚である。だがしかし、私の生きる場所は他の魚とは異なる。それは、「月」である。光らないが輝いている、あの星である。よって、私の魚という定義も、また月におけるものである。



 まず、私がいるのは月の裏側、グラディウスルナメアという場所、まあ言うなれば、「グラディウス月海」という平原である。月海とはいったものの、月の海に水はない。そんな、水面の見えない平原が何故海と呼ばれるかと言われることもあるが、その問いの答えは私には分からないのだが、少なくとも、私にとって海というのは穏やかな場所である。

 次に、私がどのような容貌をしているかということだが、強いて言うなら、シーラカンスという魚に似ているのではないかと思う。ただ、彼の魚と異なる点を挙げるとすれば、それは体躯と体表であろう。第一に、私は彼らほど小さくはなく、どちらかといえば、抹香鯨という動物に近い。第二に、私には彼らのような鱗がない。あるのは、レゴリスの如き灰色の、言い換えるなら月砂色の、ざらついた皮膚のみである。だからかは断定できないが、私は「ゲツゲイ」と呼ばれる。因みに、耳がいいのが自慢である。月では、落ちてくる星の塵を察知して避けるために耳は優れているほうがいい。


 さて、本当に唐突に語らせていただきますが、グラディウス月海という場所は月鯨にはいささか退屈でした。決して、何もない所ではないですし、別に月は「月鯨だけの星」というわけではないのですが、なんというか、裏側は静かでした、特に夜は。まあ、誰しもが一度は持つ、海外へ行きたいとか、旅行へ行きたいとか、そんな「外へ出てみたい」という欲望を、鯨もまた抱いたのです。そうと決まれば、鯨は月の地平線とも、水平線とも区別のつかない彼方へと、レゴリスの海を掻き分けて進み始めました。これすなわち、人類という種から見て、遥か古の事でした。


 月の裏と表の境目まで来た頃、私は前を見据えた。眼前に広がるのは、私にとっては未知の憧憬である。 別に、この星において、月の裏と表を行き来するのは特段珍しい事ではない。私も、表の話を聞いたことはあるし、表から来たものの話を聞いたこともある。しかし、実際にくるのとそれらではやはり訳が違う。

 ふと、私はかつて聞いたはなしを思い出した。確か、表からは、裏からは見えないもの、なんでも、宙に青い大きな星が見えるのだという。もちろん、裏からしか見えない宙もあるのだが。その星は、それは大きく、鮮やかに輝いて見えるのだと、とある月の白兎が語っていたのを、私は今なお覚えている。私は、遠くにどこかの星の塵が落ちて轟くのを目にしながら、その体を再び、レゴリスの中へと沈めた。


 鯨は、その青い星を見るのを楽しみにしていました。表でしか見えない素晴らしい光景の話は、灰色の大地に暮らす鯨にとっては憧れの的でした。言うなれば、モノクロ映画の中に突如として現れた総天然色映画のようなものでありました。付け足すのであれば、兎から聞いた、青い星を見ながら搗いて食べる餅はべりぃぐっどであったという話もまた、鯨の興味を誘ったのかもしれません。

 そして、鯨は、同じく旅のものから聞いた、「宙が近く見える丘」を目指しました。鯨は初めてでありましたから、不安でないといえばそれは嘘になるでしょう。しかし、鯨には憧れという武器がありましたから、鯨はめげずに丘を目指しました。憧憬の為なら、多少の冒険もできるというものです。これは、人類から見て遥か古の、でもさっきより天文学的確率の数値くらいにちょっとだけ最近の事でした。


 私がついたのは、月の表のある丘である。道中出会った月の黒獅子に聞けば、ここは朧ヶ丘というらしい。なんでも、ここからなら、青い星を綺麗に眺めることができるのだそうだ。これが、ついに待ち望んでいた瞬間なのだと思うと、目頭が熱くなった。今まで、上を見ないように下を向いていた甲斐があったというものである。私は、意を決すると、頭を上へと向けた。

 その時、私の前に広がったのはただひたすらに「青」であった。月では、大地の色は灰色唯一つであったから、私はその鮮やかな驚きによるまぶしさに、思わず眼を細めた。実際には、そんなことはないのだが、細めてもなお、青が眼の中に入ってくるような感覚がした。少しして、もう慣れたかと思い、目を少しずつ開いて、私は再び、青を見た。

 改めてみた青い星は、よく見れば、ただの「青い球」ではなかった。単一の青に見えたその星は、よく見ると青の中に様々な色を含んでいた。表層は流動する白によって覆われ、青のみに見えたその下の層は、よくよく見れば緑や茶といった多様な色に分かれていたし、形も、完全な球ではなく、月と同じように少しの歪さを持っていた。それらが何かは初めて青い星を見た私には分からないことであったが、少なくとも、月では見慣れないものばかりであった。私は、この景色が表のはなしとして伝わる原因が何となく理解できるような気がした。きっと闇色の宙に浮かんだこの青はおそらく、それほどの魅力を持った景色なのだろう。私は、しばらくその場で尾ひれを揺らしながら、星を眺めていた。


 これ以来、鯨は時たま、朧ヶ丘を訪れるようになりました。因みに、この頃サルは、賢くなることが己の武器となる事に気が付きました。そして、それは鯨もまた、同じなのかもしれません。生きとし生けるものというのは進化していくものですから、最初は遠いところであった朧ヶ丘も、やがて、鯨にとってはおなじみの場所となりました。そうなってくると、段々と最初は見えなかったことが見えてくるようになるものなのです。


 私が、幾度かこの朧ヶ丘に来るようになってしばらくした頃、私はある話を知った。それは月の白蟹から教えてもらった話だったと思う。なんでも、あの青い星には、我々と同じようなものかは定かではないが、少なくとも我々と同じように鼓動する存在がいるのだそうだ。私は当然、その話に興味を持った。別に、星に生命があるというのは珍しい話ではない。八本足の火星人だって見たことはあるし、金星の三つ首龍の壁画だって見たことはある。光がなくとも生きる命はあるし、水を毒とする命も存在する。

「生きるために必要な条件は種によって同一ではない」という考えは、この広い宇宙では誰もが知る当然の道理である。

 私の関心はそこにあるのではない。気になるのは、あの星に生きる命の色彩である。火星人は星の色と同じような赤褐色をしていたし、金星で暴れた龍は星の名にふさわしい黄金色をしていた。かくいう私は、この星のレゴリスと同じような灰をしている。その法則が正しいのであれば、あの星に生きるものはどのような色彩をしているのだろうか。やはり、星色と同じような青であろうか、いや、表層の白をしているかもしれない。緑か茶か、はたまた、それらが混ざり合った末の未知の色をしているかもしれない。その答えには大いに興味があるが、あの白の下を見通すのは、少なくとも私には不可能な話である。ふと、もしかしたら声は聞こえるかもしれないと思い立ち、耳を澄ませてみるが、青い星の方向から聞こえるのは、少なくとも咆哮だけであった。


 やがて、鯨が朧ヶ丘に来てから、時が過ぎました。それは青い星に棲む命からすれば永久のように長い時間かもしれませんが、月に生きる鯨や命にとっては、それほど長いものではありませんでした。もしかすると、カップヌードルにお湯を入れて待つような、一瞬の時間だったかもしれません。まあ、とにかく、時が過ぎたのです。この間に、サルはヒトとなり、ヒトは人間になりました。それが、ヒトにとって良い事だったのか、良くない事だったのかはわかりませんが、とにかく、ヒトは、知恵の炎を手に入れ、文明というモノを知り、文化というモノを手に入れたのでした。


 今日の朧ヶ丘には、ツキツバキの花が咲いていた。あの星のような輝ける青ではなく、もっと儚げな灰のような銀を帯びていた。月の黒兎は、大層いい薬になるのだと、この花を摘んでいた。

 私は、青い星を見た。あの星に生きる命の事を知ってから、いくらかの時間が過ぎた。あの星に耳を澄ませば、以前とは異なり、面白い話が聞こえてくるようになった。なぜあの星の命の言うことが理解できるのか、我ながら不思議に思うところではあるが、わかるのだからしょうがない。

 どうも、あの星の命は、この月を特別なものだと考えているらしい。例えば、私には想像もつかなかったが命曰く、この月を司る神がいるそうだ。なんでも女神で、いろいろな名前のものがいるそうだが、少なくとも私は見たことがない。いや、おそらく私のは見えない。きっと、信じる心を持つあの星の命にしか見えないのだろう。私も、もしあの星に命があることを戯言だと一蹴していたら、あの星の命の声は聞き取れなかったのだろう。

聞こうとしないものに聞こえる声はどこにもない。ただそれだけの事である。


 さて、女神の名前は漢字だったりカタカナだったり、狩猟の女神だったり夜を統べる神だったり、実はそもそも女神じゃないかもしれなかったりするのですが、そこまで詳しく知る術のない鯨にとっては、あまり関係のない事でした。


 ある時、青い星から声が聞こえてきた。なんでも、月には命がいないと考えているらしい。

 どうやら、あの星の生命にとっての生きるための条件には、この星のような環境は含まれていないらしい。

 

 やがて、鯨は気づきました。あの星の命には、まだこの月を正しく見ることはできないことに。自分の事がちゃんとわかっていないのに、誰かの事を理解しようだなんて無理な話です。人々が月を正しく見れるようになるには、まだまだ時間が必要でした。

 そして、人にとってある程度の時が経ち、その間に人は、科学というモノを手に入れました。


 いつからか、あの星は以前よりも明るくなった。昔は夜になれば同じように暗くなったあの青い星は、気づけば夜でも光を放つようになっていた。それはきっと、あの星に生きる命が灯した明かりなのだろう。それは少しの冷たさを持った光であったが、きっと、あの星の命が成し遂げた一つの形なのだろうと思うと、そこには何らかのあたたかさも感じられるような気がした。

 ある時、月のトウダルース山脈の犬が言っていた。あの星には、私たちとは違い、他を統べようとする種が存在するらしい。犬もすべてを知るわけではないが、曰く、その種は星の他の命を削って自らの生きる糧とするそうだ。その時、私は思った。あの輝ける星に生きる命たちも、やはりこの宇宙に生きるものの一つなのだと。何かをするためには、何かを削るしかないのだと。何物もないところから誕生するのは何物にも不可能であるからしょうがない。


 朧ヶ丘の近くの桜谷で兎たちが餅つきをし、グラディウス月海の近くのバイパー湖で犬たちが海水浴をしていた頃、人は大きな戦をしていました。それはそれは大きな戦だったそうで、その音は宙にまで届きました。因みに、人はその戦を第二次……なんちゃらとか言ったそうですよ?

 

 近頃、あの星から聞こえる音が騒がしくなった。それはここにいても確実にわかる次元での変化であった。心に聞こえてくる音が孕んでいたのは、ただひたすらに轟く感情の叫びであった。そこにあるのはおそらく、怒りや悲しみといった具体性を越えた、ただひたすらの願いである。もっとも、それがわかったところで、私にはどうしようもない。

 そのような音が聞こえるようになってから少しした頃、あの星から特別大きな音が聞こえてきた。それは、私にも克明に見える灰色を持った、月に突風を起こすほどの大きな音であった。そこにこもる思いは、おそらく悲しみである。私は星を見た。あの音が聞こえるようになってから、あの星の光は冷たくなった。おそらく、あの音を鳴らしているのは、以前犬が言っていた種なのだろう。


 これは人にとって、大きな戦が終わる年の夏、八月のある極東の島国での事でした。


 いつからか、あの音は聞こえなくなった。代わりに語ることがあるとすれば、あの星の青が少し濁って見えるようになったことと、あの例の種がこの月を目指そうとしていることぐらいだろうか。私にとってみれば、この星は故郷であるから、何の変哲もない星であるが、彼らにとっては違う。

 きっと、昔に私が初めてあの青い星を見た時に抱いた憧れのようなモノを、あの星の命は古からこの月に抱いているのだろう。その証拠に、近頃、あの星から金属の舟が飛んでくるようになったが、それはまだ、この月に届くほどではないようだ。そう考えていると、また一つの舟が宙を浮いているのを私は見つけた。


 大きな戦が終わった後、人の関心は未知の地へと向かいました。そこには当然月も含まれていましたから、人は宙へ飛ぶための舟を作っては打ち上げました。それはアポロ計画と呼ばれることになる挑戦でした。


 ある日、一つの舟が遂に、この星に飛んできた。それはこの星で少しばかりの話題となり、それを遠くから眺めようと月に生きる者たちは野次馬根性を働かせていた。私の知る月砂色のクロコダイルも、その日を楽しみにしていた。

 私も、その日の事は今でも確かに覚えている。その舟は、この星ではまず見ないような輝く色をしていた。その舟から出てきた者たちは、白い鎧をまとっていた。が、記憶に残る由縁はそこではない。それは、あの星の名前の呼ばれ方を知ったこと。件の種が「ヒト」ということそして、その舟から出てきたあの星の生命が、この星を離れるその時まで、私たち月に生きる存在に気が付かなかったことである。


 人間は初めて月に降り立った時、鯨や月の動物たちには気が付きませんでした。それは、宇宙における光の当たり方の違いだとか、元素の構成の問題だとか、色んな説がありますが、鯨にとっての答えは、鯨が月の女神が見えない理由と同じでした。


 きっと、ヒトという生き物は今でも、月は生きることのできない場所だと思っているのだろう。彼らはきっと、何らかのきっかけでこの月に崇めるべき女神を見出し、自らの力で夜に光をもたらし、そして、ついにはこの月へたどり着く術をその手につかんだ。しかし、ヒトが私たちに気づけるようになるには、彼らがいつかつかんでしまった誤りを打ち破らなければならないのだろう。


 自らが見つけた答えがもしも正しくないと後からわかった時、それを手放すのは、とても大変な事なのです。もしかすると、人が鯨を分かるようになる前に、人の時代は終わりを迎えるのかもしれません。


 それでも、あの星に棲む命が、月にも命が芽吹いていることを知った時、そのことを知ったあの星の命が月へとたどり着いた時、それは、もしかするとヒトではないのかもしれないし、その命は月に牙を剥くのかもしれないが、私はその命に何を語るのだろうか。

 それは、故郷のグラディウスルナメアの景色であろうか、この朧ヶ丘のツキツバキの色彩であろうか。それとも、かつてこの星に降り立った宙船のことだろうか。確かなのは、その選択の答えが、その時がやって来た時にまで分からないだろうことだけである。




 私は今日もこの月の大地から、あの星を眺めていた。

 今日のための答えは、未だ決まってはいない。


 それはきっと、いつかの日。

 地球の蒼がとても綺麗に見えるようになった頃の話でした。


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