キミガタリ 〜物語配達人カタリィ・ノヴェル〜

大石 陽太

空白の街

 爽やかな風が吹き抜ける草原に囲まれたある村。

 その村の中心にある広場で、子供たちが無邪気に駆け回っている。

「ははっ! こっちだ!」

 その中の一人、樺色の髪をした少年が煩わしそうに、赤い羽根の付いた帽子と地図を突っ込んだ鞄を外して、地面に放り投げた。

「さぁ! ここからは本気だっ!」

 その時、どこからともなく飛んできたフクロウのようなトリが、少年の頭に留まった。

 広場の子供たちが驚いて動きを止めると、フクロウのようなトリは数回、少年の頭の上で羽ばたいてみせ。

「ッギャブ」

 少年の頭に噛みついた。

「イッ⁉︎ ギャアアアアアアアアアアアア⁉︎」

 少年の絶叫で、広場は一時騒然となった。



「いつっ……まだ血が出てる……」

 終わりの見えない草原を歩くその少年、カタリィ・ノヴェルは自分の頭を触りながら、苦痛を呟いた。

 カタリの頭上では、カタリの頭を噛んだフクロウのようなトリが旋回して飛んでいる。

「鞄を放ったのは悪かったよ……。だから、いい加減に機嫌を……」

 カタリが肩から下げている鞄には、仕事道具である、物語を形にするためのペンと紙、それに行き先を確認するための地図が入っていた。

 その鞄を雑に扱ったカタリに対して、トリは相当怒っているようだった。

「でもさ、本気を出すときは勢いよくするんだよ……ああいう着脱は」

 ブツブツ言いながら、カタリは鞄から地図を取り出して、広げた。

「うーん……おかしいなぁ……そんなに遠くないはずなんだけど」

 地図に打ち込まれた赤い印。

 そこには、インターリネアスタウンと、街の名前が書き込まれてあった。

「やっぱり方角も分からない地図に頼ったのは間違いだったかぁ」

 そんな事を呟くカタリの頭の横で、トリが何度も羽ばたく。

「うわぁ! なになに⁉︎ なんかよく分からないけど何かに怒ってる!」

 トリは「方角が分からないのは地図じゃなくて、お前のほうだ!」と怒っていた。

 しかし、そんなトリの怒りはカタリに伝わることはなかった。

「おいっ! そんなとこで何やってんだ!」

 その時、前方から力強い声が聞こえる。

 見ると、一台の竜車がものすごいスピードでカタリの方へ向かって来ていた。

 やがて、竜車はカタリの側で止まった。

 竜の背にはガタイのいい男が乗っており、カタリが聞いた声もこの男のものだった。

「いや、インターリネアスタウンに向かってるんだけど……」

「はぁ⁉︎ おめ、そりゃ逆だぞ! 近くまで行くから乗ってけ!」

 強面の男を少しだけ怖がっていたカタリだったが、半ば無理矢理、男の竜車に乗せられた。

 最初は警戒していたカタリだったが、竜車から見る草原の景色に、いつしか男に対する警戒など忘れてしまっていた。

「一体、どんな所なんだろう。――空白の街」

 地図上の赤い点を見つめながら、カタリは楽しそうに呟いた。



           ◇



 そこは静かな街だった。

 灯りは見えるし、人が住んでいる形跡もある。

 しかし、具体的な人を誰一人として思い浮かべることができない。どこか不安を感じさせる。

「気をつけろよボウズ。ここに来たやつは、どいつもこいつも薄味になるっていうからな」

 そう言って、男は夜道の中を竜車で駆けていった。

「街まで連れてきてくれるなんて、親切な人だったなぁ」

 本当は、近くの街まで来たカタリが、そこからまた反対方向へと歩いていこうとしたからなのだが、そんな事にカタリは気づかない。

「ここに、この物語を必要とする人がいるのかぁ」

 カタリが懐から取り出したのは一枚目に『明日へと渡る』と大きく書かれた紙の束だった。

「何度も同じ日を繰り返すなんてゾッとしちゃうな」

 紙の束を見つめた後、カタリは物語を思い出しながら街を歩いていく。

『明日へと渡る』の内容はこうだった。



 ――村に住む青年、チャコスは、ある時突然“今日”から抜け出せなくなる。どうせ戻るならと、好き放題していたチャコスだったが、無限にある“今日”という時間を持て余して、暇つぶしに、と明日がくる方法を探し始める。そうして、何とか明日へ辿り着いたチャコスだったが、その明日さえも繰り返されていた。毎日、『明日へ向かう条件』を見つけるチャコスは、やがて“明日”の意味を知る。



「このチャコスの台詞。『明日とは、川の向こう岸のようなものだ。ただ流れているだけでは自分の明日へと到達する事は決してない。もし、流れ着いた先で、明日を見ても、それは真の明日ではない』僕もチャコスのような目に遭えば、こんな事が言えるようになるのかな?」

 カタリの問いにトリが答えることはない。

 カツ、カツと街にカタリの足音が響く。

 いくつもの無機質な建物がカタリを見下ろしている。

「静かだなぁ。なんだか歩くだけで気を使っちゃうよ」

『明日へと渡る』の作者は一万歳を超えるエルフの男だった。

 自分から生まれたその物語を読んだ男は、静かに涙を流して「空白の街へ、これを」と言った。

「私は……もう少しだけ時間がかかる……」

 カタリに男の言葉の意味はわからなかったが、とにかく空白の街へ物語を届けにやってきた。

「うーん……どうしようかな」

 夜なのでとりあえず泊まる場所を見つけようと思ったその時。

「誰かいる……」

 前方にある輝く噴水のふちに、カタリよりも一回り小柄な少女が座っていた。

 少女は早々にカタリに気がつくと、生気のない目でカタリを見つめた。

 カタリが少女の前まで行っても少女はピクリとも動こうとしない。

「お兄ちゃん誰? こんな時間にこんな所で何してるの」

 少女の問いかけにカタリは意気揚々と答えた。

「僕はカタリ。カタリィ・ノヴェル! 詠み人をしてるんだ! 好きな漫画は超龍戦士ドラグーン……じゃなくて、この物語を届けに来たんだ」

 そう言って、カタリは『明日へと渡る』を少女に見せた。

 しかし、少女は物語を手に取るでもなく、ジッと見つめるだけだった。

「キミの名前は? こんな時間に一人で何してるの?」

 物語を鞄にしまったカタリが、今度は少女に質問した。

「チャコス」

「え?」

「あ、ごめん。なんか頭の中に浮かんできて……。私の名前はカンナ。家に帰りたくないからここにいるの」

「どうして帰りたくないの?」

 カタリの質問にカンナは足をブラブラさせて俯いた。

「だって、つまんないんだもん。この街の人、みーんな」

「つまんない?」

「うん、全然笑わない。怒らない。悲しまない」

 そう言うと、カンナは立ち上がって噴水を見つめた。

「この噴水を見てる方がずっと面白いよ。出来たのずっと前らしいけど」

 噴水から目を離したカンナは、カタリの手を引いて歩き始めた。

「あっちょっ」

「今日、カンナの家に泊まって。そうしないとつまんなくて死んじゃう」



 カンナに手を引かれてやってきたのは、カンナと出会うまでにたくさん見た建物のひとつだった。

 ドアを開けて家の中へ入っていくカンナの後を追うようにして、カタリも中へ入る。

「お邪魔しまーす……」

 中に入ると、カンナの母親らしき女性と父親らしき男性が無言で食事をしていた。

 二人はカンナよりも生気のない目をしていた。

「今日、この人泊まるから」

 カンナがそう言うと、女性は無言でもう一人分の料理と器を用意し始めた。

「あ、いや……お腹なんて……」

 遠慮しようとしたカタリのお腹から、怪物の唸り声が聞こえる。

「お腹減ってんじゃん」

 カンナはカタリを見て、少し笑った。



「美味しい〜」

 料理を口に運ぶたびに幸せそうにするカタリとは違い、カンナの両親は表情ひとつ変えることはなかった。

「…………」

 カタリは食事する手を止め立ち上がると、三人に向かって、指先で、左目の前に四角をつくるポーズをした。

「何してるの?」

「いや……ちょっとね」

 歯切れの悪い返事をしたカタリは、すぐいつもの調子に戻ると、また料理に舌鼓を打った。



「ねぇ……トリ」

 この街の全てが寝静まったであろう夜更け。

 余っていた部屋に寝かせてもらったカタリは、トリに向かって静かに話し始めた。

「この街がなんで『空白の街』って呼ばれてるか知ってる? ……この街の人は心が無いみたいに真っ白で、何も感じないから、らしいよ」

 カタリは見慣れない天井を見つめたまま言った。

「――心が見えなかったよ。カンナちゃんの両親。本当に何も無かった」

 相変わらずトリからの返事はない。

「もし、この街の人が皆、二人みたいだとすると、この物語が必要なのは、もしかして……」

 カタリは部屋に差し込む月明かりを照明代わりにして、もう一度、とあるエルフの、心の物語を読んだのだった。



 次の日の朝。

 カタリは一番に『明日へ渡る』をカンナの両親に見せた。

「これ、読んでください」

 戸惑っているのかもわからないが、二人は少しの間をおいて小説を読み始めた。

 最初は母親、次に父親が読んだ。

「おはよー…………え?」

 起きてきたカンナが両親の顔を見て、驚きのあまり言葉を失う。

「…………っぅぅ」

 カンナの両親は涙を流していた。

「な、なんで…………」

 カンナの言葉にカタリはゆっくりと口を開いた。

「結びの一族……大昔にいたって言われてる心を司る一族」

 心を読むことができた結びの一族は、遥か昔の戦争で、裏切りものを見つけたり、敵の情報を盗むために利用されるのを嫌がり、自ら心を失った。

「その結びの一族って……」

「多分、この街の人たちだと思う。カンナちゃんと最初に会った時、物語を読んでいないはずのカンナちゃんがチャコスと言ったのは、僕の心を読んだからだよ」

 カタリはテーブルの上に置かれた『明日へ渡る』を見た。

「心が見えなかったのは、大昔に心が置き去りになっていたからなんだ。この物語の作者であるエルフは、きっと、結びの一族が心を閉ざしたのを、その目で見た人。だから両親の心に届いたんだ」

 カタリはカンナの両親に心の火が灯るのを感じた。

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キミガタリ 〜物語配達人カタリィ・ノヴェル〜 大石 陽太 @oishiama

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