とある物書きのはなし

螢音 芳

少女とピアノと招待状

 俺の名前は、上杉優作。普通のどこにでもいるような、施設勤務の介護士だ。

 夜勤明けに気が向いたから足を運び、駅の近くの商業ビルへと赴いていた。

 ぼーっと商業ビル内のベンチに座りながら、最近、自分はそろそろやばいのかな、と思う。

 というのも、数日前から変な郵便屋っぽい少年が何かを探すようにふよふよと浮かんでいるのが見えるからだ。ちなみに他の人には少年のことは見えていない。

「おっかしいな。ここに最高の物語の気配を感じて来たんだけど」

 そんなことを呟きながら、時折ちらっとこちらを見る。何か期待するような視線だ。

 言っておくが、俺にはそんなものはない。

 無くなってしまったというのが正しいか。

「俺に期待するなら間違いだ。だって俺は」


「物語(友人)を殺してしまったのだから」



 俺には小さい頃から妄想癖があった。

 何かアニメでも、漫画でも、小説でも、とにかくなんにでも、自分で物語を追加させて考えるのが好きだった。いつからか物語の中に自分で考えたキャラクターが追加されるようになり、そしてそのキャラクターは他の物語の世界ではなく、俺が考えた世界で活躍するようになった。

 彼らの活躍は、俺が現実で嫌なことがあった時、悲しいことがあった時、いつでも励ましてくれた。彼らは俺の中でかけがえのない友人となっていた。

 彼らと共に俺は歳を重ねて大人になり、ある日彼らの世界が一部欠けていることに気づいた。前はワクワクしたシーンを俺は、忘れてしまっていたのだ。いくらでもエピソードは考え出せる。けど、失うのは勿体ない。そう思った俺は物語を書き残すことにした。

 今思えば書く作業はとても楽しかった。指を動かせばもっと自分の世界が広がり、自分の友人がもっと色鮮やかで人間味を帯びていく。

 もっと彼らを知って欲しい。

 次に起こったのはそんな欲求だった。俺は書いた小説をネットにアップした。アップした物語に反応が返ってくるのが嬉しくて、俺はのめり込んだ。

 ある日、仕事で経験も経ていた俺は管理職を任され忙しくなった。仕事は嫌いな訳じゃない、仕事から物語の構想を得られたこともある。けれど、疲れてパソコンに向かえない日々が続いた。続きを、続きを、そんなことを思いつつも、疲れ果て、書くことの出来ない日々。

 最後に投稿して半年が経とうかという頃、ようやく続きを書こうとした。物語の続きを書く、そう豪語していたのに、まったく指が動かなくなっていた。

 思い描けていたはずの世界はとても遠くて抽象的で空っぽ、友人のことを書いているはずなのに、まったく他人のようで、人形を動かしているかのよう。

 どれだけ頭の中を探しても、彼らの世界に手が届かない。見えていた終わりまでの道がわからなくなっていた。

 続きが、書けない。

 そう悟った俺は小説をアップしていたサイトを閉じたのだった。



 俺が放った剣呑な言葉に少年がたじろくような表情を浮かべた。

「これでわかったら、とっととどっか行ってくれ、夜勤明けで疲れてるんだ」

「ちょっ、ちょっと待ってよ、貴方の中には……」

 少年が言葉を続けようとした、その時、ピアノの柔らかな音色が響いた。

 ストリートピアノ。

 駅や商業ビルの一画にグランドピアノを設置し、自由に弾いてもらうという試みだ。弾きに来る人は初心者からベテランの人、独学の動画投稿者まで様々だ。時には、何でこの人からこんな音色が表現できるんだ、という演奏もあるから、面白い。

 今、弾いているのは自分と歳の変わらない男性で、ピアノの側に撮影するようにスマホを置いていた。

 最初は試すように静かに優しく始まり、徐々に音がはっきりとビル全体へ広がっていく。男性が演奏しているのは、映画の主題曲になったもので、春をイメージした曲だ。柔らかなたんぽぽを表現する有名なフレーズに、通りがかった人が気づいて立ち止まっていく。

 いい音色だ、そう思って音の世界に浸っていると、俺の近くに一人の高校生ぐらいの少女が座ってスマホを操作し始めた。

 ピアノの演奏をSNSにでも挙げてるのか、と思いきやその少女は指を止めない。スマホに熱中してるようだ。

 せっかくの演奏なのに無粋な、そう思って呆れていると、少女のスマホの画面がガラスの窓の反射越しに見えた。


 スマホに映し出されていたのは、SNSで友人にメッセージを送るには有り得ないであろう程の文字の羅列だった。


 よくよく見ると、ピアニスト、音色、などピアノの演奏に関わる単語が並んでいる。それを見て、自分は少女が何をしてるのか、気づいた。

 少女はピアノの演奏を受けて、物語を書いているのだ。

 熱心にスマホを見ているように見えて、少女はじっと耳をすませながら指を動かしている。物語を書いていたからでこそ、自分にはわかる。この少女はこの場にいる誰よりもピアニストの演奏を受け止めて新たな物を生み出そうとしているのだ。今、感じているものを逃がさないように。

 スマホに向き合う少女の横顔を見て、俺は強烈な羨望を感じた。感じたものをその時間で思うままに書ける喜び、書けることが楽しくてたまらないという喜びに。

 その時、俺の中で、とくん、と何かが脈打つ感じがした。

 ピアノの演奏が終わった後も少女はしばらく指を動かし続け、ふーっとため息をつくと、ようやくその指を止めた。

 そして、少女が顔を上げると、自分と視線が合った。

「「あ」」

 少女の顔がわかりやすく真っ赤になる。

 慌てて少女が立ち去ろうとするので、俺は声をかけた。

「ごめん、教えて欲しいことがあるんだ!」


 その少女、栞からナンパか何かと勘違いされつつも誤解を解いた。スマホで何をやっていたのか聞くと、小説投稿サイト、『カクヨム』というものがあり、そこで執筆活動をしていたということだった。

「小説の活動はA.Iが応援してくれるんですよ! 一言アレな時があるのが残念なんですけど……」

 最初こそ警戒されたが、そこは物書きどうし。栞は嬉しそうにサイトと自分の投稿活動を教えてくれた。

 いろいろと栞から教えてもらった後で、俺は彼女と別れた。

「いい子だったね。あの子からもいい物語の気配を強く感じたよ」

 嬉しそうに郵便屋っぽい少年が写真家のように指で窓を作りながら少女を見る。

『詠目』、人の心の中に封印されている物語を小説にする少年の能力だ。

 ふと気になって俺は声をかける。

「なあ、俺の中に……」


 まだ友人たちは生きているのか。


 期待するように声をかけようとして。

「……やっぱいいや」

 俺はやめた。彼らが生きてるかどうかを少年に聞くのはフェアじゃない気がしたからだ。

 友人の手を引っ張り上げるのは、自分で在りたい。誰にも譲りたくはない。

 少年が何か言おうとした俺に対してきょとんとした目を向けるが、俺は苦笑すると歩き出した。


 それから、俺はまた物語を書き始めた。続きはもう無理だったけど、思いついたプロットをパソコンに叩き込み、少しずつ書いていった。思うようにいかないもどかしさはあったけど、通勤時間や休憩時間を利用してスマホで活動できたおかげで、自分のアイディアや書きたいという熱が冷めることはなかった。

 少しずつ書いて、物語が進むにつれて、キャラがプロットを脱するようになってきた。ただ、それを感じて俺は苦笑を浮かべるとプロットの方を直して調整した。



 優作が『カクヨム』で執筆活動を始めてから2ヶ月経ったころ。郵便屋っぽい少年は寝入ってしまった優作を見てため息をついた。

「あれだけ言ったのに、また電気つけっぱで寝ちゃったよ」

 仕事の疲れもあり、優作はよく寝落ちしてしまう。そして、後日届く電気代の請求書を見て、ぎゃーっと悲鳴をあげるのだ。

「カトリ」

 つけっぱなしだったパソコンから声をかけられ、少年が覗き込む。

 そこには、優作が書いた物語が描かれていた。小説で言えばようやく一巻が終わったぐらいだろうか。物語の展開はありふれていたけど、キャラがとても活き活きとしていて、優作の彼らへの思いが伝わってくるようだった。

 その時、少年の『詠目』が反応する。気づけば、少年は物語の登場人物たちと相対していた。彼らが少年へと何かを差し出す。それは、招待状だった。

「わかったよ」

 微笑みつつ、彼らから招待状を受け取ると、いつの間にか、優作の部屋へと戻っていた。

「じゃあ、僕は行ってくるよ、バーグさん。優作をよろしく」

「行ってらっしゃい、カトリ」

 招待状を携えて少年が飛んでいくのを、A.Iの女性が優しく見送った。



 一つの季節が巡って、日差しが強くなった頃。俺はまた、あの日のように商業ビルに来ていた。ここに来れば、また、あの少女に会えるような気がしたからだ。

 ピアノの前には大きなリュックを背負った女性が座り、初夏の爽やかな音色を奏でている。

 聞き入っていると、

「あの…」

 と声をかけられた。顔を上げると、栞が立っていた。

「良かった、読んでもらいたいものがあるんだ」

 俺は栞に自分のユーザーネームと書き上げた小説を教えた。少女は俺の隣に座ると、スマホから読み始めた。目が素早く動き、熱心に読んでくれていることがわかる。

 複数の曲が奏で終わった頃、栞は突然立ち上がった。

「あ、あの、すいません、用事を思い出したので失礼します! 物語とっても面白かったです!」

 そう言うと、栞は早足で行ってしまった。

「あれ? おかしいな?」

 ふっと、現れた郵便屋の少年が首を傾げる。

 招待状は届けたのに……と不服そうな様子だ。

「ううん、書き手として、一番欲しい反応をくれたよ」

 立ち上がった時に栞が浮かべていた表情は、書きたくて書きたくて堪らない、という表情だ。俺の物語があの日のピアノのように彼女の心に響いてくれた証拠だった。

 演奏も終わって、さて、と俺は立ち上がる。

 今日はこれからどうしようか。

 続きを書いてもいいし、刺激を求めに出かけてもいい。

 あるいは他の物書き仲間から影響を受けに訪ねに行くのもいいのかもしれない。

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