71.4℃
リュウ
71.4℃
死にたい。
今思えば、漠然と感じたその感情が君を呼んだのだろう。
それは凍えながら春の曲を集めたプレイリストを聴くような季節だった。僕の人生は好調とは言えないものの、不調と言うほどでもなかった。ベッドから左手を伸ばせば窓、右手を伸ばせば冷蔵庫、足を伸ばせばテレビに当たるくらいの小さな部屋で、買ってきたコンビニ弁当を温めて食べる。いつもと変わらない夜だ。だからそれは本当に突然だった。
死にたい。
突然湧いてきた感情に、戸惑いはあったが否定はなかった。もともと僕は、ものすごく幸せな時ほど死にたくなる。「幸せな今死ねたら最高だろうな。」そういう考えの持ち主だ。それでもこんななんでもない時期に死にたくなるなんて珍しい。実は今のこの状態がものすごく幸せだということなのだろうか。
"死にたい 幸せ" 同士を探そうと検索をかける。同士を見つけるよりも眠りに落ちるほうが先だった。
*****
右肩に感じた重さで僕は目を開けた。いや、目は開かなかった。が、意識ははっきりしていた。誰かいる。初めは人の足の、強いて言うならふくらはぎのように感じた。ふくらはぎのような何かは、僕の右肩と首とを押し広げるように膨らんだ。それは、ふくらはぎなどではないようだが、なんなのかはわからなかった。とにかく肩から降りてもらおう。右手で掴もうとするが、右手は痺れて布団の下から1mmも浮きやしない。左手を右肩に伸ばし、それを捕らえるが、力が強すぎて跳ね返されてしまう。それがこの世のものではないということは明白だったので、目さえ開ければいなくなる、そう確信した。
なんとか目を開けると、肩の重さがスーッと引いていった。恐る恐る右肩を見る。何もない。よかった、いなくなった。しかし右手は動かない。そして、とてもまぶたが重い......
目が閉じてしまうと再びそれは僕の右肩で膨らみ始めた。掴む、跳ね返される。目を開ける、軽くなる。目が閉じる、膨らむ。何度目かの跳ね返しのあと、僕はこのループから抜け出す方法を思いついた。右肩のスペースを無くせばいい。目が開いた。ずっと仰向けだった僕はそれとの力比べで痺れてきた左手でなんとか枕を頭の下から引っ張り出し、右を向く。そして枕を右肩と首の間に挟む。完成と同時に再び目は閉じられた。
しかし相手はこの世のものではないのだった。枕の存在など関係なく、今までと同じように膨らみ始める。もうどうすればいいのかわからなかった。
(どうすれば君は成仏してくれるの?)
問いかける僕に、答えは返ってこなかった。もうそれを掴む元気もなくなったが、目が開く時間はやってきた。困惑する僕の眼に映ったのは、さっきまでとは違う景色だった。ベッドの右側、冷蔵庫、そして──冷蔵庫の上の電子レンジ。
(......ん?)
使ってない時には消えるはずの、電子レンジの表示がついている。上、現在の温度、47℃。下、設定温度、71.4℃。71.4℃とはこれまたなんと半端な数字だろう。しばらく数字を眺めている。それを成仏させるためには、この数字が何か関係あるんじゃないだろうか。
71.4? ナナジュウイッテンヨン? ナナイチヨン? ナイヨ? ......ないよ?
47と71.4? ヨンナナないよ? ヨナないよ? シナないよ? ......死なないよ???
(もしかして僕に死なせないために君は......?)
答えはなかった。ゆっくりと目を閉じる。少しずつ、右肩から君が去っていくのを感じる。もう仕事は終わったとでもいうように。僕は目を開けずに呼び止める。
(ねぇ!)
君の動きが止まる。
(......小説にしてもいい?)
背筋を縦にやさしく撫でられた。
「うん」
右肩が一気に軽くなり、玄関のドアが閉まる音がした。
*****
次に目が覚めた時は、とても爽やかな朝だった。
「幽霊のくせに玄関から帰るのかよ」
笑いながら僕は、パソコンを立ち上げて君の小説を書き始めた。"死にたい"と思ったら、また君に逢えるのだろうか。でも、君のおかげでしばらく君には逢えそうもない。
完
71.4℃ リュウ @bknskih_Ryu
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