原案

石上あさ

第1話



 物語は、ある少年が一人で悩みを抱えている所から始まる。

「生きていていいことなどなにもない」――そんな悪夢の中から抜け出せなくなった少年は、うずくまったままどこにも進めないままでいた。

 しかし、少年は周りの人たちの温かい気持ちに触れ、素敵な物語との出会いを通して、少しずつ自然治癒の力を取り戻し、小さくはあったけれど、自分の好きなもの、大事なものを胸に自分の足を一歩ずつ踏み出せるようになっていった。

 

 悪い夢から目を覚ました少年の心は、生まれたての赤ん坊みたいに瑞々しかった。

 何もかもが新しくて、見慣れた景色さえ輝いて見えた。

 そして少年は夢をもった。

 今まで知らなかった、気づかなかった世界の面白さを自分に教えてくれた人たちのように、自分も面白いものを生み出して届けられるような人になりたいと思うようになったのだった。

 それは、バトンをもらったのと同じだった。

 親や先祖から遺伝子を受け継ぐのと同じように、少年は心の遺伝子を受け取った。それをもっと深めていって、広げていって、自分なりに育て上げたものが誰かの役に立つことができたら、こめた想いが伝わったなら、それはどんなに嬉しいことだろう。

 憎しみや恨みといった負の連鎖ではなく、そこから自分を救い出してくれたポジティブな循環。その長い長い鎖の輪っかの一つになり、物語を通して想いを届けたり、あるいは誰かと繋がったりする――それが少年の夢だった。

 

 ところが落ち着いて考えてみれば当たり前なことなのだけれど、生きていれば、やっぱり色んなことが起こる。 

 嫌だなあと思うこと、辛いなあと切なくなること。どうしてこの人はこんなヒドいことをするのだろう、こんなことをして本当に楽しい気持ちになれるのだろうか、そんな風に思ってしまうこと。どうしても人を恨んだり憎んだりしてしまう気持ちをおさえられないようなこと。そういう「現象」とて、世の中のもつ色んな顔のうちの一つであることは、誰も異論がないだろう。

「この世は素晴らしい!」「人生は面白い!」そんな風にばかり思ってきた少年は、このあたりから自分の考えを現実に合わせて更新していく必要がありそうだと気づき始めた。確かにそれはそれで少年の信じるところでもあったし、そう思うことのできなかったかつての日々は、それはもうしんどくてならないものだったけれど、ポジティブなものしか受け入れない、見ようとしないのも、それはそれでかなり偏ったものの見方だと認めざるを得なかった。

 三角錐という図形をあげるのが一番分かりやすい。

 真上から見れば「円満」をあらわす角のない円をしているのに、真横から見るといかにもとんがった三角形の形をしている。円と三角、一見して矛盾し相反する性質にも思われるけれど、それは紛れもなく同じ物を別の角度から切り取った紛れもない一つの事実にほかならない。

 それまで世の中を球体のようにしか捉えてこなかった少年は、三角の部分で刺される痛みを通して自分の考えの狭さを思い知った。そして、それを書かない物語は嘘だと思った。意図的に最も重要な部分を隠匿し、極めて偏った見方から虚構の世界を構築するのは欺瞞に他ならない。それからというもの、少年の書く物語には必ず不条理が登場したし、それに極めて強く光をあて、意図的に影を濃くしたものまででてくるようになった。


 やがて少年は青年になり、つまずいたり迷ったりしながらも、なんとか自分の大切なものだけは忘れまいとしていたけれど、ある出来事をきっかけにそれまでの生き方を続けるのが難しくなった。

 それは、青年がだいぶ謙虚さを失って己を過信したり、人を信じるという言葉に逃げて自分の直観を理屈でねじ曲げたり、あるいは不運な人の縁の巡り合わせだったり、青年自身が目を背けてきた自分自身の歪さのためだったりしたけれども、ともかく青年は挫折を経験し、己を見つめ直さざるをえなくなった。

 そこから先は思い出すだけでも吐き気がするほど具合が悪くなるし、また、余裕をなくした自分の振る舞いは直視するのがたえがたいほど惨めでもあった。けれども、それはそれとして、どんなに不愉快や理不尽が溢れようともそれはほかならぬ男自身の物語であった。自分の物語にさえきちんと向き合えない者にどうして人に届くほどの作品が作れようか?青年はほとんど無理矢理といいたいくらいの必死さで来る日も来る日も創作を通して、意識の奥に埋もれてしまった自分の本心を掘り出そうとした。


 つまり、はじめのうちは青年とてどうにかして前へ進もうとはしていたのだ。

 どんなに視点を変えようとしてみても「現実とは理不尽なものである」という考えに囚われて抜け出せなくなったときは、物語の力を信じることをした。青年にとっては創作は表現でもあったし、また、同時に探求でもあった。主人公の葛藤を描くことを通して、それを見守ったり、ケツを蹴り上げたりすることを通して、青年自身がこの日本という国、現代という時代、そうして今置かれている状況でいかに生きるべきかを見つけ出そうとした。

 たとえ嘘でも強がりでも綺麗事でも、形だけでも世の中の素晴らしさを信じたかったし、実際に事件が起こる前は何度か嫌なことがあったとしてもちゃんと理想を捨てずにやってこられたのだ。かつて愛することができたものなら、誠実に向き合いさえすれば、もう一度愛することだってできるはずだ、そういう風に考えて挑戦してみたりもした。

 小説というものが、嘘から生まれた物語だとしても、そこに本当に大事な想いを込めることはできるのだ。現実が真っ暗にしか思えなくて、足がとまったときだって、虚構の中でなら、あるいは虚構の中だからこそ、成し遂げられることあると信じていた。

 たとえ嘘でも、ツギハギの心でも、張りぼての自分を繕うのが苦しくなっても、何もかもを投げ出してしまいたくなるときだってあるけれど、そういうときだからこそ、人には信じるものが必要なのだ。

 はじまりは嘘でもなんでもかまわない。とにかく、何かを信じて、光を見つけ出して、それを目指して進もうとする、その格闘の過程こそが大切なのだ。そうして文字通り命を削りながら創作を続けた。

 そうして三つの作品ができた。世の中をできるだけ円として捉えようとしたもの、円錐として捉えようとしたもの、三角として捉えようとしたもの。それが青年がもてるもののほとんど全てを費やして創り出した成果だった。よく作品を子どものようなものだという人がいるけれど、青年にとっては親の面影もあり、兄弟でもあり、子どもでも孫でもあった。つまりは自分のすべてであるといってよかった。実際、生活の焦りはあったけれど、少なからぬ満足感と物を書くことを通して得られる誇りのようなものも感じていた。


 ところが、全身全霊でもって作り上げたそれらの作品は、てんで誰にも見向きされなかった。まず、円のものについては、一応キャラクター要素や、終盤にギャグ要素も積んで楽しんでもらおうとはしたけれど、文体が硬かったし、面白くなるまでの助走が長すぎたので不親切だったかもしれないと反省した。それから、極めて簡素なライトノベルのような文体を意識した円錐の二作目、これは主人公の無垢な性質から心理描写の説明がほとんど必要なかったのが功を奏して、あっというまに描き上げた。それから、今度はうってかわって三角を押し出したエスエフの三作目。こちらは色々と世界観を説明するためにも、そして物語の骨格となる風刺を全面に押し出す意味でも、どうしても多くの文量を必要とした。

 それらを書き上げて、応募したあとのことについては、ちょっとどう書いたものか悩ましいけれど、ともかく青年はすべてを失ったような気がした。作品は、既に書いたとおり、青年にとっては人生そのものだった。

 たとえば、自分にとってかけがえのない人からもらった、時が経つにつれて一層大切になっていくプレゼントをなくしたとする。あるいは、喜んでもらう顔を思い浮かべながら選び、渡すのを楽しみにしていたプレゼントがあるとする。なにかの事情でそれを失ったときにその人のもとからなくなってしまうものの大きさは、単純なプレゼントの物の値段という損得の価値観でははかることができない。

 青年は今まで血反吐をはいてやってきたこと、そうして今もまだやろうとしていること、そしてこれからやりたいと思っていたこと、それらのすべてが、もうどうしようもないくらい台無しになった気がしてならなかった。

 そうして青年はとうとうひとりぼっちになり、悪夢の中から抜け出せなくなってしまった。これまでにも少年時代にも一度、青年時代にも一度抜け出すことを経験してはいるけれど、そんなことはなんの気休めにもならなかった。それらを託した小説が、もはやなんの用もなさなくなってしまったのだから。

 青年はもう、自分が悪夢から目を覚まし、もう一度信じていた夢を取り戻すことが思い描けなくなりつつあった。もはや砂粒ほどの気力も残されてはおらず、その容貌も、心の中身も醜く淀み、最もなりたくなかったものへと変わり果てた。

 自分の思い通りにならないことを、あいつらがアホだから、見る目がないから、と他人のせいにして自分の怠慢を棚に上げては、自分が一番頑張っているのに自分はこんなにも不幸だと本気でおもいこんだりもした。

 他人のことはまったく分かろうとはしないのに、自分のことだけは分かってもらうと、いや、他人は自分のことを分かるべきだと駄々をこね、それに筋が通っていないことに気づかないでいた。

 さらにあろうことか、かつて信じた、想いを繋ぐための物語を他人をこきおろすためだけに使おうとまでした。そこにはもう、かつて憧れに胸を躍らせ、夢に瞳を輝かせた少年の面影はまったくみられなくなっていた。


 男は、このあたりで、だいぶ、物語を読むのがしんどくなってきた。

 本を引き裂いたり、わけのわからぬまま叫び出したくてたまらないような気持ちにもった。けれど、それでも、どれだけ辛く、逃げ出したくても生活が無情にも自分で終わらせるまでは続いていくように、どれだけ苦しくて地獄のように思えても、残酷なまでに未来ははてしなく広大に伸びていくのと同じように、読み進めようとさえする限り、物語には続きがあるのだ。これは又吉という人の言葉だけれど「生きている限りバッドエンドはない」のだ。

 男は震える指で、弱い心を奮い立たせながらページをめくる。

「――!」

 そして、驚きのあまり目を丸くした。

 なんと、そこにはたった数行の文章が書かれているだけだった。雨の降る日に、ある少女が青年のもとをたずねてきただけ。それで、終わり。あまりにも突然に、なんの文脈もなく物語はそこで「終わって」しまっているのだった。

(いや。違う……?これは終わりではないかもしれない)

 男はたった数行だけ書かれたページから顔をはなし、より広い視野で改めて全体を見渡した。

 そこには、どうしようもないくらいに広大な「余白」があった。なにも書かれていないということは、そこに虚無があることを意味しているわけではない。これから新たに書き加えることのできる可能性が残されているということを表しているにすぎないのだ。

「君は……いったい」

 カタリィと名乗る少女は、穏やかに微笑みながら答える。

「あたし、『詠み人』っていう仕事をしてて、だからその人が心の中に『封印』した物語を一篇の小説にすることができるの」

 にわかには信じがたいことだ。

 にわかには信じがたいに違いないけれど、しかし、どうやら信じるほかはなさそうだ。少なくとも、本と瞳の発光と自動筆記に関しては男とてその目で目の当たりにしているのだから。

 世の中には、本当に思いもよらないことがあるものだ。嬉しいことも、歓迎するのが難しいことも、壁だと思っていたものが動き出すようなことさえある。そうして、たぶん、半分くらいは疑ったままだとしても、もう半分くらいを信じてみることから、新しい世界への一歩は始まるのかもしれない。

「俺が『封印』した物語……」

 その『封印』といいう言葉の意味が、今の男には分かるような気がする。

 ショックのあまり、憎しみや恨みにとらわれて、目を濁らせてしまっていたけれど、はじまりは、きっとこうじゃなかった。こうなることを望んでいたわけではなかった。

 こういうことをしたい、こういう風になりたい、そういった誰かを素晴らしいと思えた心や、何かを好きになれる気持ちがあったはずなのだ。ところが、それらは次々に降りかかる雨によって氾濫した川の濁流によって隠されてしまった。男はそれがあると頭では想いながらも、心では見つけることができなくなってしまった。

 そうしている間にも辛いこと、苦しいことは降りかかる。思ったようにはうまくいかず、現実を飲み込めるほど寛容にもなりきれず、どうしればいいか分からないまま溜め込んだ色んな想いが、その腹の中でうまく消化されずに暴れ狂い、実際男は吐き気を覚えることが何度か、そう多くはないけれど、何度かあった。

 だから、男はそれらすべてから目を背けるために『封印』したのだ。

 何かを願うこと、信じることはあらゆる苦しみの根源なのだと決めつけて、思い通りにならない人々をアホな奴だと見下すことによって自分を守ろうとして、しかし、実のところ一番アホなのが自分であることからは目をそらし続けた。

 その『封印』によって、男を支えていた夢も憧れも、なにもかもが生き埋めにされた。

 それでも、いくらかその心は晴れやかだった。

 もちろん手放しで喜べるような気持ちにはなれない。まず、状況が悪いことには変わりがない。次に、『封印』が解かれたことによって大切なものを思い出すことはできたけれども、深層心理に沈めていたはずの様々な感情が一挙に溢れ出してきて、これまでとは違う意味で精神的に不安定というか、ふわふわと浮き足だっているような気持ちになる。

 それでも、男は思う。

 この瞬間、この出会いを通して、再び自分は目を覚ましたのだ。

 どれだけ客観的になろうとしても、人間である以上は主観を免れないのと同じように、本来はどれだけ悲観的になろうとも、人の心のどこかには楽観的な部分、あるいは、楽観的であろうとする部分だってあるのだと思う。

 おそらく、今までの自分は人と会わずにいたことによる精神的な不衛生と、連続した長期間にわたる製作の負担、切羽詰まっていく生活の不安と焦り、それらによってちょっとおっかなくなるほど追い詰められてしまっていたのだと思う。

 

 で、あとはこっから、また会話をしてエンディング。


 

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