そして夏が終わる。「KAC10」

薮坂

その夏の思い出は。


 8月下旬。夏休みも残すところあと少し。僕は通い慣れた通学路を歩いていた。

 僕の通った道をトレースするように、汗がぽたぽたと落ちる。でも地面に落ちた瞬間、それはすぐに蒸発する。それくらいに気温は暴力的。

 目指す学校はすぐ先だ。そこに僕が会いたい相手がいる、ハズだ。


 ユリとは別に約束をしている訳ではなかった。

 ただ僕の予想が正しければ、ユリは今日、例の飼育当番である。ユリは根が真面目だから、今日も腹を空かしているウサギたちにエサをやるのだろう。

 僕は教室ではなくウサギ小屋に向かう。

 果たしてユリはそこにいた。ケージの中で、ウサギたちにエサと水をあげている。


「よう、ユリ」


「あれ、ワタル。どうしたの、まだ学校は始まってないよ」


「今日は学校を見納めに来たんだ」


「あぁ、退学ってこと。さては何かやらかしたな。ノゾキでもしたか」


「やらかした訳ないだろ。でも、退学ってのは本当だ」


「え?」


 ユリが水のホースを持ったまま、僕に向き直る。当然、水のレーザービームはケージ越しに僕に直撃する。


「おいユリ! 水! 水止めろ!」


「ワタル、学校辞めるの?」


「あぁ、辞めるっていうかとりあえずまず水止めろ!」


 それからたっぷり数十秒後。ユリはやっと水を止めてケージの外に出てきた。おかげでびしょ濡れである。


「……本当に辞めるの?」


「いやまず謝れよ、水浸しだぞ」


「ふん、むしろあたしに感謝しなさいよ。ほら、こんなに暑いんだから」


 ユリは空を見上げた。僕も見上げる。

 広がる青空。どこまでも高い入道雲。

 夏だった。それはもう、夏だった。


「それで、さっきの話だけど。前に言っただろ。僕の父親が海外赴任してるって話。母親がどうしても海外暮らししたいみたいでな。僕もついて行くことにした。残念ながら、根が孝行息子なんだよ」


「なるほどね。そういうことか。寂しくなるね、いじる相手がいなくなるのは。今後、何でストレス解消しようかな」


「僕はサンドバッグだったのか、ユリにとって」


「それ以外の使用方法あったっけ?」


 クスリと笑うユリ。僕も同じように笑う。

 それはまるで付き合いの長い幼馴染のよう。

 実際は、半年の付き合いもないけれど。でも仲良くなるのに時間は関係ないのかも知れない。ユリと出会って僕は、そう思った。


「いつ行くの?」


「8月31日。日取りは急に決まったんだ。見送りとか、別にいらないからな」


「するか、バカ。勝手に行け」


「ユリ」


「……なによ」


「こっち向けよ。なんでずっと空を見上げてるんだ」


「夏だからに決まってんでしょ。あたしは、夏の空を見上げるのが好きなの」


「ユリ」


「だからなによ」


「最後に、言っておきたい事があるんだ」


「……なに」


「僕と出会ってくれて、ありがとな。ユリと出会って、僕は自分にとって『冒険』ってのがいかに大切か、改めてわかったよ。帰る場所があるから冒険なんだ。ユリは、僕の帰る場所だった。本当に、感謝してる」


 ユリはまだこちらを向かない。でも、時々鼻をすする音が聞こえる。ユリは泣いているみたいだ。ユリを泣かせるなんて、僕としては大したものだと思う。一矢報いた、というヤツかも。


 本当は、もうひとつだけ言いたいことがあった。でもそれは。僕の胸の内に秘めておこう。

 いつか帰る場所。僕にとってそれが、いつまでもユリであるために。


「……ワタル」


「どうした」


「最後だから。あたしも言っておきたいことがある」


「ふん、愛の告白か?」


 僕はわざとらしく言ってやる。ユリとの最後は、こういう「いつもの僕たち」が相応しいと思ったから。


 でもユリは、初めて僕の方を見ると。

 僕に軽いキスをした。唇が軽く触れ合う、そんな柔らかな軽いキスを。


「……あたしの初めてだぞ。責任とってよね」


「え?」


「責任とれって言ってんの! 冒険し尽くして一旦疲れたら、あたしの元に帰ってこい。しばらくの間は待ってるから。さて、あたしに何か言うことは?」


 言わないつもりだった言葉。

 でも、言う機会を与えてくれたのはユリ。


「……僕は、ユリが好きだ。だからいつか、ユリの元に帰ってくるよ。その時は、僕のとっておきの冒険譚を聞かせよう。約束する」


「守れよ、その約束。それじゃあ、指切りしよう。ほら、指だして」


 小指を絡め合う。そして僕たちは子供のように歌う。


 指切りげんまん、嘘ついたら。

 針千本のーます。指切った!


 その歌は、夏の青空に溶けていく。

 この夏と。そしてユリを忘れない。





    ──────






「──とまぁ、そんな事があったんだよ。良い夏だったな、アレは」


 焚き火に小さな枝を焚べながら、僕は言った。季節は極寒。凍てつく冬の大地。簡易テントの中に作った小さな焚き火に、僕を含め3人の人間が温まっていた。

 数時間前、凍死寸前で見つけた2人。ひとりは優男風のオレンジ髪の男で、名をカタリと言った。イタリア系なのだろうか。英語が通じて助かったけど。

 もうひとりはベレー帽を被った、正しすぎる発音の英語を操る亜麻色の髪の女の子だ。名はリンドバーグと言うらしい。


 僕が日本から遠く離れた、冬の大地でとある物を探しに冒険していたところ。軽装の2人が雪上にぶっ倒れているのを見つけて、とりあえずこの拠点に連れてきた。特にカタリと名乗る男は凍死寸前で、あろうことに冬を舐めきった薄手の格好をしていた。最初は自殺志願者なのかと思ったが、悪いヤツではなさそうなのでこうして助けてやったのだ。


 温かいスープを出してやり、カタリとリンドバーグは人心地ついてくれた。コーヒーも出してやると何故か『心温まる話をしてくれ』と所望されたので、こうしてあの夏の思い出を語ったという訳である。

 しばらく人間と話してなかったから、僕もつい饒舌になってしまったのだろう。


「いやー、ワタル。本当にありがとう。助けてくれてしかも、そんな良い話も聞けるなんて。僕は幸せ者だよ!」


「カタリが悪いのですよ。そんな軽装で、冬山に行こうとするからこんなことになるんです。これに懲りたら少しは自重してください」


「バーグさん、そんなに怒らないでよ。こういうの、日本では『怪我の功名』って言うんだろ? 終わりよければ全てよし。それで良いじゃないか!」


「ワタルさんの優しさに感謝することです。ワタルさん、本当にありがとうございました。私からもお礼を言わせて下さい」


「いや、別にいいよ。僕もしばらく誰とも話してなかったからさ。たまには人と話さないといけないな」


「それでさ、ワタル。そのユリとはその後、会えたのかい?」


「いやまだだ。でも今探してる物が手に入れば、それを土産に一度帰国しようかと思ってる。思い出を語って、僕も懐かしくなったからな」


 本当に懐かしい話だった。もう何年前になるのだろうか。あれからユリとは、電話やメールでやり取りしているものの、直接会ってはいない。誰かに思い出を語ると、本当に懐かしくなる。


「ちなみに、ワタルさんが今探している物って、何ですか?」


「……ユリだ。この雪山にしか咲かない、幻のユリ。冬にしか咲かないのに、その色は夏空を思わせる青色らしい。それを手に入れて、ユリに渡そうと思っている」


「……素敵な話だなぁ。本当に僕は、いま猛烈に感動しているよ! ワタルならきっと見つけられると思うよ!」


「見つかるように祈ってますね、ワタルさん」


 ありがとう。僕は礼を言う。カタリもリンドバーグも、きっと純粋にそれを願ってくれているのだろう。2人ともいいヤツだ。



「そう言えば、2人はなんでこんな雪山にいたんだ?」


「あぁ、ええと……」


 ぽりぽりと頭をかいて、リンドバーグを見るカタリ。リンドバーグは小さくため息を吐いた。なるほど、いつも迷惑をかけてるのはカタリの方なのか。尻に敷かれているのだろうな、カタリは。なんとなく想像できる。


「実は仲間とはぐれたのです。それを探していました」


「仲間か。それはマズイ。この気温だ、簡単に凍死するぞ」


「いえ、それは多分大丈夫です。あれは寒さに強いですから」


「そうなのか。まぁ、見つかるといいな。僕はしばらくここを拠点にしているから、2人もここを使うといい。ここに来たらまたスープとコーヒーを作ってやるからな」


「え、まだあるのかい? おかわり貰えるかな?」


「私もお願いしたいです」


 僕は2人に、温めたスープを注いでやった。湯気が立ち上るスープ。僕も自分の分を入れて飲む。うん、やっぱり美味い。


「ありがとう、ワタル。それにしてもこのスープ、美味しいよね。これ、なんのスープだい?」


「僕特製の冒険メシってヤツだ。現地の食材で作るってのが僕のルール。さっき、バカでかい太ったがいてな。弓で仕留めた。これはそのスープだ」


 そこまで言うと、何故かカタリとリンドバーグの手が凍りついたように止まった。


「バカでかい太った……?」


「フクロウみたいなトリ……?」


「あぁ、フクロウみたいなトリだ。種類はよくわからんが、トリなのは間違いない」


「あ、あのさワタル。それってもしかして、茶色くてふかふかしてて、顔の部分だけ白くて、クチバシは黄色だったりした……?」


「加えて言うと、胸に変なマークみたいなものがありませんでしたか? カギカッコをくっつけたみたいな……?」


「あぁ。その通りだ。2人とも知ってるのか? あぁ、わかったぞ。そのトリは、2人の好物なんだな。よし、またいつでも仕留めてやるよ。ハンティングも冒険の醍醐味だからな」


 僕はニカリと笑ってやったのだけど。

 2人の表情は、この雪山のように凍ったまま。

 僕は不思議に思いながら、またそのスープをひとくち飲む。やはり美味い。


 外は極寒。

 雪が吹雪に、変わり始めていた。


 でも何も問題はない。

 僕には、思い出すだけで胸が温かくなる。

 あの夏の思い出があるから。


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そして夏が終わる。「KAC10」 薮坂 @yabusaka

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