カタリくん大冒険

くら智一

Adventure of Katari Side

 少年の手が崖の淵から離れそうだった。

「う、うわわわ」

 両手の指が岩にかかっているが、カタリの全体重も指に集まっていた。

 場所は断崖絶壁。手を離せばブロッコリーの大群のように木々が小さく見える地面に真っ逆さま。背後ははるか広い森が地平線まで広がっている。万事休すだ。


 カタリは数分前の出来事を思い出した。山越えで尾根沿いを歩いていたときに、大きな山イノシシに追いかけられた。山イノシシは本来とても大人しい。ビックリしたときだけ、我を忘れて突撃してしまうクセがあった。どうして、岩の陰なんかでばったり出くわしてしまったのだろう。


 どうして逃げて飛び込んだ先が崖になっていたのだろう。幸運の神様は僕を見放したのだろうか。ああ、重い――。木を瞬く間に登ってしまうカタリの身軽な身体でさえ、指と手の力だけで支えるのはつらい。それでも不屈のがんばりでなんとか上半身だけでも崖の上まで登ることができた。


 ところが、山イノシシとまた目が遭ってしまった。今度は3頭も同時にだ。


「うわぁぁ!」


 手を離したカタリの身体は宙に浮き、背中から真っ逆さまに崖の脇を落ちていった。目で追えないほどのスピードで下から上へと流れて行く崖の壁面が次第にぼやけていく――。


 お父さん、お母さん、ごめんなさい。


 カタリの身体が突然止まった。今度は上へ飛び跳ねた。再び身体が止まると、毛むくじゃらのマットの上。


「カタリ……無茶をするもんじゃないぞ」

 パイプオルガンの重低音のような声がマットの先から発せられた。


「ト……トリィ?」

「トリィではない、トリだ」

 カタリの下にあるのは布団よりも大きなフクロウの背中だった。


「トリィ、どこいってたんだよ! 探したんだぞ。どこにもいないから1人で旅に出たんだ」

「カタリ……待たせて済まなかった。私には、サンシュウネンのオダイを王国の民へシュツダイするという仕事があったのだ」

「20日も前からだよ」

「カクヨム王きっての願いを断るわけにはいかなかったのだ。だから、できれば私が戻るまで旅に出るのは待ってほしかった」


 カタリは四つん這いの姿勢のまま、うつむき加減に首をすくめた。上目遣いにフクロウの後頭部を見る。

「で、でも……」

「つかまっていろ、カタリ。飛んで目的地まで行くぞっ! リンドバーグの家まで……」

「うんっ!」


 巨大なフクロウの「トリ」は速度を上げた。まだはるか下に見えるブロッコリーの木々が前方から背中へと動き始める。


「うわぁ……!」

 カタリは目にかかる栗色の髪を手でかき分けながら、次々と地平線から現れては背後へ消えてゆく緑色の絨毯に魅入っていた。水たまりが時折まぎれているが、実際は大きな湖なのだろう。


 雲すら瞬時に突き抜ける速度の中、トリは口を開いた。

「……カタリ。詠目ヨメは治らないのか?」

「うん、使おうとしても本が見えないんだ」

「何事にも好不調はあるものだ。……とはいえ半年だからな。リンドバーグに会いさえすれば解決の糸口が見つかるはずだ」


 巨大なフクロウは森を越え、山を越えた。景色がみるみる変わる。


 トリが速度を緩めた。後ろに巻き上げられていたカタリの髪がそっと頬の位置に戻る。はるか下の地面は草原と丘が広がっていた。


「降りるぞ、つかまっていろ」

 トリは急降下を始めた。再びカタリはマットのような背中にしがみついた。顔を前に向けると、向かう先に煙突から白い煙を上げている一軒の家が見えた。


 トリが頭を上げて体勢を変える。腹を前方にし、翼をはばたかせて減速する。地面に近いところで足を出し、家の前で着地した。勢い余ったのか、カタリはトリの前に放り出され、草むらの中に腰から落ちてしまった。


「いったぁーー!」

「手を離すなと言ったはずだがな」

「トリィの毛を引っ張りすぎると痛いかもしれないじゃん!」


 ははは……、トリは心優しき少年に暖かい視線を向けた。この子に詠目ヨメを与えたのは間違いではなかった。人間の心に眠っている新たな本を見つけて取り出す不思議な目の力は、心が清らかな者でなくては使いこなせない。


 カタリとトリの目の前にある一軒家は木造の平屋建てだ。こじんまりした家の煙突から白い煙が時折、昇っている。


 玄関がゆっくり開いた。


「お客様ですか? ごめんなさい、今野菜のパイを焼いていて……家の中で待っていただけますか?」

 現れたのは白いブラウスに草色の帽子をかぶった、美しい女性だった。


 カタリは突然現れた自分より少し年上の女性を前に、あわてて身体中についた草の切れ端を払い落とした。女性は、白い陶器のような顔をほころばせた。


「ひさしぶりだな、リンドバーグ」

 トリが巨体の上から低い声で挨拶した。


「トリさん、いらっしゃい。それから……

 カタリの前に顔を近づけた。

「いらっしゃい。カタリ君」


 カタリは両手で顔を隠してしまった。きっと耳まで真っ赤になっていたんだと思う……。


「おふたりとも、家の中にどうぞ」

「うむ」

 トリの巨大な身体は家に近づくたびに縮み、入り口へたどりつく頃には人間の子供程度の大きさになっていた。カタリはフクロウの後を追った。


 招かれた2人……1人と1匹は、木目模様豊かなテーブルの前に備えられた椅子に座った。家の奥、台所の方から良い匂いが漂っている。


「パイは焼きあがるまでもう少しかかりそう。では、早速お話を伺いましょうか」

「手紙で伝えたはずだが」

「え、そうだったかしら? ちょっと待ってね。ハードディスク確認っと」


 リンドバーグ……バーグさんは、左右のこめかみにそれぞれ左右の人差し指を当てて、小声でぶつぶつ呟きだした。カタリが不思議な表情を浮かべている横から、トリが説明した。

「彼女はな。AIアンドロイドなんだ」

「えぇぇぇ?」


「人間じゃないとイヤかしら?」

 カタリの目の前にバーグさんの顔が近づいた。

「い、いえ……その……びっくりしたけど、す、素敵だと思います!」

 バーグさんはにっこり笑いながら椅子に座りなおした。


「あ……ごめんなさい。うっかり手紙を既読にしてました」

 バーグさんが口元から少し舌を出して、恥ずかしそうに笑った。

「解析開始します。なるほど、なるほど……」


 バーグさんがカタリの顔を覗き込むように尋ねた。

「カタリくんはどんな本が好きなのかな?」

「冒険物が大好きです。主人公が活躍して、悪い敵をやっつける……何度も読み直したくなるんです」

「他にはどう?」

「SFも大好きです。ロボットが出てきたり機械が出てきたり……カッコイイです」

「恋愛ものなんてどうかしら?」


「え……?」

 カタリは黙り込んでしまった。バーグさんの大きな瞳が自分をまっすぐ見ていた。

「恋愛は好きじゃないんです、退屈なので……。ミステリーとかホラーとかもツラいのはイヤなんです」

「ふぅん。わたしは恋愛物もミステリーも好きだなぁ」

「僕は……嫌い……です」


「カタリくんが詠目ヨメを使って人の心から取り出した本に恋愛物やミステリーはあったのかな?」

「え……」

 カタリは言葉が出なかった。今まで取り出してきた本の数々はみな、冒険物やSFばかりだった。

「ねえ、カタリくん。わたしも実は昔、恋愛物しか読んでいなかったの。初めて読んだ冒険物で暴力的なシーンがあって、それ以来受けつけなかったの」

 バーグさんの前を一筋の風が吹きぬけた。


「でもね、ある日、面白い冒険物の小説に出会ったの。何も暴力的なものだけが冒険物じゃなくて……SFだって、難しいものばかりじゃなくて……。本の面白さは、それまで自分が考えていたものよりずっとずっと、広いものだったの」

 カタリはよくわからないという表情を浮かべた。


「あっ、そろそろ野菜のパイが焼けたみたい。持ってくるから2人とも食べる?」

「うむ、ご相伴しょうばんにあずからせていただこう」

「僕も食べるっ。お腹がぺこぺこなんだっ!」


「はい、お待たせいたしました。リンドバーグ自慢の野菜入りパイです!」

 手袋をはめたバーグさんは鉄板の上に乗せた大きなパイを運んできた。

「うわーい、やったー!」

「カタリくんは、にんじんやブロッコリー好き?」

「大好きっ!」

「良かった。他にはセロリとパセリが入ってるの」

「セロリ……パセリ……」

「あれ、苦手だったかな?」


「僕……やっぱりお腹すいてないかも……」

 人数分用意した皿に盛りつけながら、バーグさんが微笑ほほえんだ。

「ちょっと食べてみて。苦味や臭みがなくなるよう、工夫したの」

 カタリは恐る恐る、皿の上のパイをフォークでさして口の中へ運んだ。

「あれ? おいしい!」

「……でしょう?」

「これは美味うまい。リンドバーグ、以前に来たときより腕を上げたな」

「えへへー。我が家特性の野菜パイですから」

「本当においしい。バーグさん、おかわりください!」

「はい、たくさんあるから好きなだけどうぞ」

 カタリは2人前をぺろりとたいらげた。


「僕、なんだかわかった気がする」

「……そう?」

 バーグさんの瞳が再びカタリに真っ直ぐ向けられた。

「ちょっとだけ待ってて」

 カタリは両手を胸の前に広げ、両手の親指と人差し指で四角形をつくった。その中からバーグさんの顔が見えるようにゆっくり動かす。

「うーん……それっ!」

 バーグさんの前で光が瞬き、一冊の本が現れた。空中を漂っている。彼女は本を手に取って中身を確かめた。


「これ、恋愛小説?」

 バーグさんの質問にカタリは得意そうな顔で口を開いた。

「そうです。バーグさんの心に眠っていた本を出せると思ったんです。面白いかもしれない、僕も読んでみよう、と思ったら冒険物でなくてもできました」


「そっか。カタリくん偉いっ!」

 トリは得心がいったとばかりに語った。

「なるほど、詠目ヨメを使ううえで大事なのは、相手の心に合わせてありのまま眠った本を取り出すことだ。目の使い手が自分の好みを押しつけては、良い本は出てこない。カタリはスランプに陥っていたのだろう。リンドバーグのおかげで解決した。良かったな、カタリ……」

 カタリは満面の笑みでトリとバーグさんに応えた。



<END>


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カタリくん大冒険 くら智一 @kura_tomokazu

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