夏の終わり、その一歩前。「KAC9」

薮坂

ショートケーキ


 人生とは選択の連続である、とは誰の言葉だったか。僕はこの状況に追い込まれて、その言葉が真なりであると肌で体験した。

 目の前の選択肢をひとつずつ選択した結果を積み重ねて、自分の人生が形成されるということだ。


 さて、今回の選択であるが。いや、元より選択できる余地などない。それは既に決定されていて、後はどう伝えるか、という伝え方の選択だ。さらりと軽く伝えるか、それともずしりと重々しく伝えるか。いずれにしろ結末は決まっている。だから伝え方に意味なんてないのでは、とも思う。


 でも僕は、それを真摯に伝えたかった。

 他でもない僕の大切な友達に。輝かしい高校1年の夏を過ごした友達に。



 ──さよならを、告げよう。




    ──────



 8月の下旬。暦の上ではもう処暑が近づいてくるところであるが、しかし陽射しは相変わらず暴力的。むしろ8月前半より確実に暑い。いやもう熱いという漢字を使っても差し支えないとさえ思う。

 そんな酷暑日の午後、よく晴れた昼下がり。僕はいつものカフェ「ロダン」でアイスコーヒーを啜っていた。呼び出そうと思っていた相手に、先に呼び出されたのだ。まさかの先制パンチである。

 こういうのをシンクロニシティって言うのだろうか。いやユング先生は良く知らんけど。


 茹だるような暑さの中、ちうちうとアイスコーヒーを啜っていると。約束の時間に随分と遅れて相手がやって来た。僕は軽く手をあげる。彼女は僕に気がつくと、無言で目の前の席に腰掛けた。


「よう、えらく待ったぞ。まるで重役出勤だな」


「あ、うん。ごめん、遅くなって」


「飲み物は何にする?」


「ええと、じゃあアイスラテ」


 瞬く間にアイスラテが運ばれて来た。同じタイミングで注文した、僕の2杯目のアイスコーヒーも一緒に来る。僕は言った。


「あのな、電話したのは他でもない。話があるんだよ。ちょっと、言わないといけないことがある」


「こっちにも、あるよ」


「そうか。僕からでいいか」


「……待って。どんな話? 良い話? 悪い話?」


「捉え方によるな。微妙なラインだ」


 微妙なライン。僕は微妙に笑う。それはまさしくその通りだった。僕が決めたことだけど、やっぱりその選択に不安もある。その選択が正しいかどうかなんて、その時点では誰にもわからない。選択の結果がわかるのなら、みんな幸せだ。この世に争いなんて生まれないかも知れない。


「うん、迷うね。こっちから言おうか、そっちから言ってもらうか」


「そんな迷うことか? なら僕から言おう。実はな、」


「待って! やっぱり私から言わせて、ワタルくん」


 ルコは右手で僕の言葉を制する。続けて、大きく息を吸い込んでから、よく通る声で言った。


「……私、ワタルくんが好き」


 当然、その言葉に僕は驚いた。まさか、ルコがこんなことを言ってくるとは思ってなかったから。僕の驚きの表情を他所に、ルコは続ける。


「ワタルくんの冒険好きなところも、ちょっと人と違うところも。なぜか自信たっぷりなところも、こんな私に優しくしてくれるところも。そしてなにより、ワタルくんの笑顔も。全部好き。ワタルくんが、どうしようもなく好きなの」


「ちょっと待てルコ。それって、」


「最後まで言わせて。私はワタルくんが好き。きっと世界で一番、ワタルくんを好きだよ。だから」


 ルコは一旦、言葉を止める。

 そして意を決したように、続けた。


「私は、ワタルくんと出会えて幸せだよ。そんな幸せを、いつまでも私は感じていたい。これからもワタルくんの、隣に居たいんだ。ねぇ、ダメかな?」


 ルコの告白。それは僕にでさえも。ルコが本気だと伝わる、それくらいに熱い告白だった。

 ルコは本気だ。どうしようもなく本気だ。

 だから僕も、このルコの言葉に本気で答えなければならない。


「ルコ、ありがとう。僕はルコと出会えてよかった。本気でそう思う。でも、ルコの思いには応えられない」


「……好きな人がいるから?」


「そうだ。それはルコじゃない」


「そっか。そっか……」


 グス、とルコが鼻をすする音が聞こえた。ルコは鼻声。それでも気丈に言った。


「好きだって、その人に伝えないの。きっと待ってるよ、ワタルくんの言葉を。言ってあげなよ」


「いや、それはしない。僕な、高校辞めるんだ。この夏休みが終われば、在籍も終了する。僕は新学期にはもういない」


「え?」


「それを、ルコに言いたかったんだ。話さないといけないことってのは、その事だ」


「どう言うこと?」


「どうもこうも、言葉通りだ。僕の父親のこと、話してなかったか。前から海外に単身赴任していてな。母親はずっと父親について行きたいと思ってたみたいなんだ。それで、僕は前から向こうの高校への編入申請をしてたんだけど、ようやくそれが通った。って言っても、また1年生からやり直しになるみたいだけどな」


「海外に……?」


「あぁ、向こうは僕みたいな冒険野郎がたくさんいるらしい。僕は当然、向こうでも冒険するよ。この夏、冒険が本当に楽しいと再認識できたから。だから、ルコにありがとうを言いたくてな。ルコのおかげで、僕は向こうに行ってもこの冒険心があれば大丈夫だと気付かされた。本当にありがとう、感謝している」


「……海外進出、おめでとう。って言ったらいいのかなぁ」


 ルコはもう鼻声を隠していない。流れる涙も拭わない。せめて涙を拭いてあげたいとも思ったが、それはやめておいた。中途半端な優しさは、時に相手をより傷つける。それくらい、いくら恋愛経験のない僕にだってわかることだった。だから僕は、そのまま黙っていた。

 それがルコに対する一番の誠意だと思ったから。


「こんなに悲しい『おめでとう』を言ったのは、初めてだよ。ワタルくんは、私にいろんな初めてを教えてくれるね。本当に、ありがとね。ねぇ、いつかこっちに帰ってくるの?」


「僕は日本人だからな。またこの街に帰ってくるよ。冒険のついでに」


「ついでなんだ」


「そりゃそうだろ。僕は冒険家だぞ。帰郷なんてついでに決まってる」


 そりゃあ、そうだね。と、泣き笑いのルコ。いろんな表情を見せてくれたルコ。ひと夏の付き合いしかなかったけど、ルコは出会った頃とは別人のようになった。それはいい方向に変わったのだと、僕はそう思う。


「じゃあ、僕は行くよ。今から行かないといけないところがあるんだ」


 そっか、わかった。ルコはそう言い、僕にどこへ行くのかは訊かなかった。でも、ルコは代わりにこう僕に訊いた。


「最後にこれだけ教えて、ワタルくん。ショートケーキのイチゴってさ、最初に食べる? それとも最後?」


「最後に食べないヤツなんているのか? イチゴを食べたらもう、それはショートケーキじゃなくなるだろ」


 合わない訳だ。クスリと笑うルコ。よくわからないが、ルコが納得できたならそれでいいと思う。


「……さよなら、ワタルくん。元気でね」


「ルコもな」


「いつかまた、会えるかな?」


「冒険をやめない限り、いつかな。ルコも続けろよ。自分だけの冒険を」


「……うん!」


 ルコは笑った。それは今まで見たルコの笑顔の中で、一番キレイな笑顔だった。


 僕は踵を返して歩き出す。決して振り返らないと心に決めて。



 その足で、僕は通い慣れた学校へと向かう。

 僕は海外に行く。その事を伝えないといけないヤツが、もうひとりいる。

 ルコには申し訳ないが、僕は一番大事なことは最後に取っておくと決めている。僕は昔から、そんな人間だ。


 見上げれば、白く輝く入道雲。

 陽射しは暴力的。地面からの照り返しにもジリジリと肌が焼かれる。

 

 けれど。


 この夏は、もうすぐ終わる。

 それだけは確かだった。


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