第13話

学校の近くのマクドナルドはうちの生徒が多すぎて居心地が悪いと倉橋さんが言うので、あたし達は学校から少し歩いて駅のそばにあるマクドナルドによく行った。放課後になると週に一回か二回、マクドナルドやミスドや倉橋さんの家に行ってひたすらお喋りをするようになった。共通言語は学校のことだったけれど、それぞれの世界はまた違うところに存在していて、倉橋さんは最近デートしたおじさんが最悪だった話とか、あたしは家の宗教じみた話なんかをした。あたしは倉橋さんのことをくらちゃんと、倉橋さんはあたしのことをきよよと変なあだ名で呼ぶようになっていた。ただ、くらちゃんと遊ぶ日は学校に残って勉強をすると恭次に嘘をつかないといけないことを最近心苦しく思っていたのだけど、最近くらちゃんと仲良しであることを今朝言及されて、怒られも咎められもしなかったので拍子抜けした。優しい世界。うちのママは健康にうるさくてマクドナルドに行ったことが二回ぐらいしかなかったのだけど週に二回通ってもマクドナルドは美味しくて、あたしは安くてお腹が膨れるハンバーガーが好きだった。くらちゃんはピクルスが嫌いでピクルス抜きを注文するけどあたしは好きで、ピクルスが三枚ぐらい入っていたらいいのにと思う。ハンバーガーにかぶりつきながら教育実習生のお別れ会の話をした。今日ホームルームの時間に開かれた短い会はつまらなかった。クラスのみんなは最初は今村さんのことを暗くてハズレだとか言っていたくせになんだかんだ打ち解けたようで、クラス全員からの寄せ書きと一人百円ずつ集めた花束を贈って別れを惜しんでいた。短い間でしたが楽しかったですこのクラスに来れて良かったですと予定調和のスピーチをされてわあっと拍手。学園祭にはみんなに会いに来ますと今村さんが言うと、絶対来てね、待ってます来てくれなかったら許さない、と野次が飛んだ。あたしはそれを冷めた目で見てしまって分かりやすい流れにのれない自分を嫌なやつに感じた。「きよよは可愛い顔してぐう暗くてうける」と笑い飛ばされ、「うるさいなあ、あたしは暗い女なのよ」とむくれると、「うちはね、うちのクラスに来てた算数の実習生がかっこよかったから、ハンカチあげて一緒に写真撮ってもらったんよ」と初耳の話を聞き、「嘘、くらちゃんミーハーねえ。すごい行動力よ」と驚いた。スマホを持っていくのは表向き禁止されているからわざわざ持って行ったというデジカメで写真を見せてもらうと、二組のなんとか先生とダブルピースの笑顔のくらちゃんが映っていて、「この写真どうするの?」と聞くと、「大切にする」という抽象的な返事が返ってきた。くらちゃんにはそういう可愛いところがある。くらちゃんと信仰をなくして穴が空いたあたしは世界に絶望していて、でも世界に少しだけ希望を求めてしまうという共通項があった。ちなみにあたしは寄せ書きに、「親切にしてくださってありがとうございました。」と一言だけを書いた。やっぱりあたしは嫌なやつだ、話しかけられた一件以来、彼女とは話をしていないのに。


くらちゃんといる時間は早く過ぎてしまって困る。家に帰ると集会に行く出発時間の十分前だった。ママが顔をしかめて、「早く着替えなさいよ」と催促してくる。「恭次の風邪が移ったかもしんない。残って勉強してたけど帰り道しんどくなってきちゃって。あたしも風邪引いたかも、しんどいから寝てたいの」と口からつるつる嘘が流れるとママは軽くためいきをついた。仮病を使って学校を休んだ恭次といいあたしといい、うちの子達は困ったものねとか思ったのかもしれない。そうさせてしまったことに心が痛み、なんの信条もなくなった自分の存在意義の薄さを感じたけれど、それは大した痛みとなって残らなかった。ママとパパが車で集会に向かい、忘れ物をしたりして帰ってこなさそうなのをしばらく待つと、いっぱいあって使わないからとくらちゃんに一式もらった化粧道具を広げて部屋の鏡に向かった。くらちゃんは物を買うことに依存していて、部屋の隅には開封されてないショップバッグがいい加減に放り出されていたりする。くらちゃんは服を買うことが好きで、買い物は楽しいけど買ったら満足しちゃって袋に入ったまま放置したりしちゃう、と言っていた。くらちゃんのお母さんはそれを見ておかしいと思わないのだろうかと考えながら教わったやり方で化粧を施していく。


化粧が完成するとお風呂場のドアを開けて、「ねえねえ、どう?」と尋ねた。

恭次が浴槽に浸かっていて恥ずかしいところが隠れていることに安心して、しゃがんで顔を近づける。自分で化粧をするのは初めてであるわりには上手くできた気がして、恭次に自慢したかった。じいと見つめられてから、「もしかして化粧?」と当てられる。

大正解!でも至近距離で顔を見られることが恥ずかしくなって誤魔化すように、「どうよ!」と大きな声を出した。恭次に可愛く見られたいという欲求が透けているのも恥ずかしい。しゃがんだせいでマキシ丈のワンピースの裾が濡れていたのが目に入る。「倉橋さんにもらったの?」「うん」濡れて黒くなった裾を見ながら肯定する。恭次はあたしの人間関係をちょきちょき切り取って制限しようとしない。こっそり籠から飛び立つ鳥になることを許してくれる。踵をちょんと上げると水気を吸った裾が重くなっているのが不快で、あたしもお風呂に入りたくなった。最後に一緒に入ったのはいつだったか分からないし、中学生の姉弟がそうするのはあまりよろしくなかったかもしれなかったけど、「服濡れちゃった。私もお風呂入るね」と勢いで口走ると拒否の言葉は返ってこなかった。ばばばっと服を脱いで、ママのクレンジングを使って化粧を落としてからシャンプーをしてリンスして身体を洗った。恭次はいつまでも湯船に浸かったままで、「身体洗わないの?」と尋ねると、「洗い終わったけどせっかくだから見てる」と返されたので、「はあー?気持ち悪い。さっさと上がればいいのに」と軽口を叩いた。お互いにあんまり喋らなくて、今更だけど裸の恭次に視線を向けるのが恥ずかしくて躊躇われた。だから恭次が本当にあたしを見てるのかぼうっとしてるのかは分からなかった。でも、洗顔を終えても恭次はお湯に浸かったままで、あたしもどぶんとお湯に浸かると、「長い間浸かってたからのぼせちゃった」と向かいで身体を小さくして座る恭次が赤い顔をしていた。

「さっさと上がれば良かったのに」と眉を八の字にしてみせると、「せっかくだから」とせっかくを繰り返された。せっかくだから手を伸ばして濡れた輪郭を撫でてから、顔を近づけてキスをした。は、と恭次の口からこぼれる息が熱い。どちらともなく舌を出して絡めあう。ふしだらなあたし達は最近よくこういうキスをするようになっていて、最初の犬みたいな不器用なキスから進化してリズムができていた。は、は、は、と息をこぼしながら恭次の頬から顎に向かっての骨を撫でて、恭次はあたしの裸の肩を撫でた。親愛の情なのか欲情なのかただの戯れなのかキスが表すところは自分でもよく分かっていなくて、でもそれ以上のことはしなかった。くらちゃんからえぐい話を聞いたりはしていたけれどそれ以上のことがあたしにはよく分かっていなかったのだ。


静かに整列したみんなに交ざって、目を瞑って神に祈りを捧げる振りをする。隣には恭次がいて、その隣にはママとパパがいる。でも、あたしの祈りは空っぽで、これはあたしが選び取ったものじゃなくてママに与えられたものだったと気付いてしまった時、信仰心はひび割れ、信仰を支えにして生きてきたあたしそのものも空っぽなものになった。ママを悲しませたくなかったし、面倒なことになるのは目に見えていたから、週に三度の集会には参加したし週末の奉仕活動にもついていき、嫌な顔を見せないでこなしていたけど、あたしはママに仮面を使っていて、しかもそれはお祭りで五百円ぐらいで売っているようなアニメキャラのチープな仮面と大差ないのにママはそれに気付かなくて、うんざりするほどちょろくて楽だった。嘘をつくコツはいきなり嘘をかますことじゃなくて、じわじわ嘘を馴染ませることだ。一年生の時より学校の勉強が難しくなってきた、家でやると恭次がちょろちょろしてくるから集中できなくて困る、学校の図書室だと人が少なくて集中できる、なんてことを数日かけて話しているとママはあっさり信じて、週に一回か二回帰りが遅くなることをちっとも疑わなかった。集会に行くぎりぎりになって帰ってくると目につきやすいので集会の日はくらちゃんと遊ばないようにして、他の日に夕食までには帰ってくるようにすれば良くて、図書室で勉強した話を喋りまくると嘘くさいからたまに図書室であったことを話すぐらいが自然だなんて悪知恵がついた。悪いことをしているとはもはや思わなくて、これはあたしとママとみんなが平安に過ごすための知恵で、むしろ気を遣ってそうすることに感謝されてもいいんじゃないかとすら思った。嘘をのせて賛美歌を歌い、そうしながら、こないだカラオケに行った時にくらちゃんがビジュアル系バンドの曲を髪を振り乱して歌っていたことを思い出してくすっと笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

こちらハデスだよ。まだですかハルマゲドン あれ東 @hikarinokuni

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ