穴掘り少年A
秋都 鮭丸
僕の趣味は穴掘りだ
「僕の趣味は穴掘りだ」
彼の自己紹介は、なんだか印象に残るものでした。名前よりも先に、自分の趣味を語り出したのです。そのまま穴掘りのすばらしさを延々と並べたてるものですから、ついに彼の名前はわからずじまい。
「不思議な人と同じクラスになってしまったなぁ」
思いがけぬ未知との遭遇に、私はほんのりわくわくしてしまいました。
ある日のことです。地面に敷かれた桜の花弁が、湿った土にまみれていたのをよく覚えています。梅雨の香りに誘われて、私はふらふらと散歩をしていました。まだ通ったことない道を選んで、なにか楽しいものを探していたのです。
ふと、私の目がそのなにかを捕らえました。なんてことのない一軒家の庭で、一心不乱に穴を掘る少年の姿です。「趣味は穴掘り」と豪語した彼の、穴掘り現場に遭遇してしまいました。
彼は私に気付く様子もなく、ただひたすらに穴を掘り続けます。いったいなにが彼を突き動かすのでしょうか。彼があの日語った穴掘りの魅力は、ほとんど覚えていません。途中から、彼の名前が気になってそれどころじゃなかったんです。でも今は、彼の名前よりも穴掘りの持つ「なにか」が気になって仕方ありません。私はつい、身を乗り出してしまいました。
「ねぇ」
「どうして穴を掘っているの」
彼は驚くでもなく、ただ自然に顔をあげました。声の主を確認すると、手を止め、額の汗をぬぐいます。
「日本の反対にはね、ブラジルがあるんだ」
彼の手は湿った土にまみれていました。
「だから下に掘り続ければ、ブラジルに行けるんだよ」
そう言うと、彼は穴掘りに戻りました。熱心に掘り進む瞳の先に、彼はブラジルを見ているそうです。
「じゃぁ、どうしてブラジルに行きたいの」
なんだか、彼のことをもっと知りたくなりました。彼の目に映るものが、私も見てみたかったのでしょうか。
「どうしてそんなことが気になるの」
彼は手を止めずに返します。予想外の言葉に、私は固まってしまいました。彼の目的を知りたいのは、彼のことをもっと知りたくなったから。では、なぜ彼のことをもっと知りたいと思うのでしょうか。
答えに迷う私に彼は、ほらね、と得意気に言いました。
「理由なんてないのさ。ただ気になっただけ」
「それだけで、こんなに穴を掘れるものなの?」
私の言葉に、彼は再び手を止めました。首をすくめながら、穴の外を指さします。そこには、掘り返された土がこんもりと盛られ、小さな山になっていました。
「自分がどれだけブラジルに近づけたか、一目でわかる。今日の僕は、昨日の僕よりブラジルに近いんだ」
「こんなに楽しいことは、他にないだろう?」
彼は自慢げに笑って、それじゃ、と穴掘りに戻りました。腑に落ちたような、落ちないような、なんだかふわふわしてしまった私は、しばらくその辺りを漂って、彼の穴掘りを眺めていました。汗で張り付いた土を払おうともせず、一言も発することなく、ただただ掘り進む彼の傍らで、土の山だけが成長を続けていました。
随分と長い時間そうしていたみたいです。気が付けば辺りはすっかり赤に染まり、今日が今にも終わろうとしているではありませんか。
「帰らないと!」
私は急いで帰路につきました。まるで夕闇から逃げるように、走って家まで向かいます。足元の影はぐんぐん伸びていき、今にも溶け落ちてしまいそうでした。なんだか少し怖いですね。
まだ日の落ち切らないうちに、なんとか家に辿り着くことができました。安堵とともに玄関に手をかけたそのときに、ふと思い出したのです。
また聞きそびれてしまいました、彼の名前。
穴掘り少年A 秋都 鮭丸 @sakemaru
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