さよならさんかく、また居て君よ。

夏祈

さよならさんかく、また居て君よ。

 友人は、少しばかりおかしな奴だった。彼は自分の誕生日に、「おめでとう」と言ってもらうために、一体のアンドロイドを作っている。


「俺さ、誕生日祝ってもらったことが無いんだよね」

 それが、知り合って少しして、彼が毎日のように打ち込んでいるそのプログラムが何なのかを訊いた時に、彼から返ってきた答えだった。

「──それに、何の関係が?」

 眼鏡のレンズ越しに、彼の表情が見える。本当は酷く悲しいはずなのに、それを抑え込み、無理矢理に笑ったような。彼はどちらかと言えば瘦せすぎの部類で、今にも倒れそうな顔色の悪さをしていた。髪は男性にしては長く、暗い印象を受ける。その奥の顔は整っているのだけれど、ほとんどの人はそれに気付かないまま彼から距離を置く。俺だって、偶然が無ければ同じように近づこうとはしなかっただろう。

「だから、祝ってもらいたくて。一言、おめでとう、って言ってもらいたくて」

 彼はまるで、そうすることでしかその言葉を貰えないのだと、盲目的に。俺からの言葉など、期待をするどころか無いことが自然の摂理かのように話した。俺が祝ってやるのに、という言葉は、口にしないまま飲み込んだ。彼の技術は素晴らしかった。素晴らしかったのは、偏に「誕生日を祝って欲しい」という目標があり、それだけを見て突き進んできたから。人生の途中から現れただけの俺が、それを邪魔して良いのだろうかと、そんな感情が頭を過ったから。



「お前、ずーっとそれ作ってるけど、誕生日っていつなの」

 雪のちらつく冬の初め。帰り道で、出会ってからもう何度目かもわからないその問いを投げる。何度訊いても答えてくれないそれに、今回も然程期待はしていなかった。

「ん? 明日」

 していなかった、はずなのだけど。

「──……あした?」

 歩みの止まった俺を不思議に思ったのか、少し先を行った彼が振り向く。重い前髪の奥から覗く瞳は、純粋な疑問に満ちて、立ち止まったままの俺を怪訝に見つめていた。

「……いや、なんでもない。で、出来たの? 例のやつは」

 小走りに、彼の隣に並ぶ。そうしてまた進み始めながら、彼は少し嬉しそうに声を上げた。

「うん、いい感じ」

 まぁるく開いた目はきらきらと輝き、まるで新しいおもちゃを貰った子供のように。──ふと、彼はその目標を達成したのなら、その後はどうするつもりなのだろうと、考えた。それを尋ねようと口を開くよりも先に、彼の薄い唇が微かに動いて、掻き消されそうな言葉が零れる。聞き間違いだと思いたくて、でも聞き返したら、彼はきっと確実になんでもないのだと誤魔化すだろう。決行は明日の午後四時。自分が生まれた時間だと、彼は微笑んだ。




 三限の授業を終え、昨日の彼の言葉を反芻しながら、彼がいつもいる研究室へと向かう。時刻は二時五十分。まだ早いが、ずっと彼の、昨日の別れ際の言葉が耳にこびりついて離れなかった。

『成功したら、死んでもいいかな』

それは少しばかり弾んだ声で。彼からしてみれば、ようやくこんな世界にさよならが出来る絶好の機会程度なのかもしれない。

 彼は、恵まれた子供では無かった。望まれてもいなかった。だから誕生日など祝われたことも無いし、プレゼントもケーキも無かったという。独りきり、自力で生きて、やっとここまで年を重ねてきた。ただ一つ、生を受けたその日に、おめでとうのたった一言を貰うため、それだけのために。彼と出会ったのも、仲良くなったのも、全くの偶然だ。たまたま講義で隣の席になり、彼のしていたそれが、興味深くて話しかけた、それだけ。でも彼からすれば、それすら奇跡のような出来事だったと言う。

 別に、俺たちは仲が悪かったわけでもない。人並に話すし、遊びにだって行く。それでも、そこに誕生日を祝う、という出来事が当たり前のように存在しなかったのは、互いにそれに触れることは禁忌だと思っていたからでは無いだろうか。そんなはずも無いのに。あぁ、俺は、彼に死なれたら寂しいし、彼の誕生日だって、祝いたいと思っているのだ。



 時間とはあっさり過ぎ行くもので、もう四時の五分前。右手に持った箱が揺れないよう細心の注意を払い、出せる全速力で走る。あぁもう想定外だった、こんなに近くにケーキ屋が無いなんて! こうして買って行ったって、告げる言葉を用意したって、彼がいなければ意味はない。誰よりも先に、言ってやらねばならないのだから。

 研究室のドアを乱暴に開けてから、中に彼以外に人がいなかったことに安堵する。こちらに背を向ける彼は、どこか悲し気に見えた。四時は、一分過ぎていた。

 声をかけるよりも先に、彼と向かい合うひとつの人影に視線が向く。男性とも女性とも、子供とも大人ともとれない不思議な見た目をした人型のそれは、彼が作ろうとしていたアンドロイド。今は目を閉じて、下を向いたまま沈黙している。彼を呼べば、生気のない瞳がこちらを向いた。

「──……どうだったんだよ」

 結果など、火を見るよりも明らかだけど。

「ありがとう、って、言われた」

 蚊の鳴くような細い声が、そう言葉を紡ぐ。それは、彼が求めていたものとは違う言葉。

「それだけだった、それきりだった」

 同じように、彼も沈黙する。これじゃあ、誕生日というよりお通夜だ。彼は俺の持つ白い箱にも気付かないほどに項垂れていた。

「……なぁ、俺が祝うんじゃだめなのかよ」

 彼ははっと顔を上げる。それに合わせて彼の眼前に箱を突き出せば、何も言わないまま受け取った。開けて良いのか、と問うような視線が向いたから、頷けばいそいそと慣れない手つきで箱を開けていく。開けきる前に、俺はその言葉を言うのだ。

「誕生日おめでとう」

 それが彼に届くのと、箱が開けられるのはほぼ同時で。中身はただの三角形のケーキだ。何が好きなのかもわからないから適当に数個。一緒に、チョコレートのプレートも添えて。

 どちらにも驚いた彼が、どっちを向くべきかと視線をうろうろさせる。それに笑えば、彼も笑う。そうして俺は、彼に呪いのような希望をあげるのだ。

「来年も祝ってやるから、生きてろよ」

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