第2話 幼女が来た
「アナタにはこれから暫く、この子と一緒に暮らしてもらうわ」
そう云って
まるで死んでいるかのような生気のない目はクマだらけ。まるで骨格標本に人の皮を被せたかのように痩せこけた体。身なりほどはキチンとしているものの、戦火や災害で残された孤児のような印象があった。
「はっ、はぁ?…姉貴の連れ子?」
「違うわよ」
姉は地を這うような低い声で、カエルを睨むヘビみたいに俺を睨みつけた。
怖っ。
そしてすかさず細長い美脚の先の尖った靴先が俺の
「グハッ」
俺はあまりの痛みに地面にひざまずいた。そんな俺を姉貴はヒールでドスドスと踏みつける。
それが仮にも県民の暮らしを守る県警の婦警さんのすることか!
「大体アンタ、アタシに彼氏がいない事知ってるでしょ!ほんッと!デリカシーが無いのねこの愚弟が!」
俺の姉貴は怒ると鬼のように怖い。
「痛い痛い!ごめん姉貴!ごめんてば」
「ダメよ。主税くん。なかなかシビアなんだから。このお年頃の女性にそんなお話はNGよ。下手したら思春期の子よりも大変なんだから」
令和さんは苦笑しながらとんでもない情報を提供してくれた。
「うっさい。令和は黙ってなさい」
姉貴は令和さんをタカがヘビを見る様に睨みつけた。
女って怖えぇ…
「そもそも、そう云うアンタも彼氏居ないんでしょ?」
グサッと云う音がした様な気がした。姉貴の辛辣な言葉が令和さんに突き刺さった。図星だったか…
「でも安心したよ。姉貴が虐待してるわけじゃなくて」
「アンタ。どうしてわかったの?この子が虐待されてるって」
どうしてわかったって、見ればわかるだろう。それに隠しているんだろうが、首筋に痣が見える。下手したら全身痣だらけなんじゃないだろうか。
「この子は児童相談所で保護してる女の子よ。薬香の子じゃないわ。
そう云って令和さんは愛しげに令香の頭を撫でた。
可愛い可愛くない以前の問題だろ?
年齢より幼く見えると云うのは栄養失調からきているのではないだろうか。栄養失調で命を落とす人数は殺人の四倍にも上るという。これは単なる晩熟じゃない。
この状態は異常だ。
そして令和さんは僕に問いかけた。
「主税君。アナタはこの子を見て如何思う?」
「如何思うって…酷い目に遭わされたんだな。痛かっただろうに」
俺は見ていて心苦しかった。この痣や痩せ様から見ていると、その光景が脳裏に浮かんでくるようだった。痣を見ているだけでも痛い。
それでもこの子はずっと耐えていたんだろう。いや、耐えなくてはいけなかった。耐えなければ死んでしまう。耐えながら必死に助けを待っていたんだ。
「この子には心のケアが必要なの。でもそれは
えっ?…ドユコト?
俺は一瞬「は?」と思った。
「こっ、断る。そもそも引きニートの俺に何ができるっていうんだ?ガキの面倒なんて見れないぞ?」
俺は今絶賛一人暮らしをエンジョイしている。働かなくても暮らして行ける。そんな快適な暮らしを誰にも邪魔されたくはなかった。
「あら。もしかして断る?断っちゃうのかな?」
姉はこちらを見ながら妙にニヤニヤしている。それがなんだか
「ああ。お断りだ。俺には何もできないし、してやれない。共倒れするだけだぞ?」
「あーら。良いのかな?主税。今迄一人暮らしを、それも引き籠り生活を堪能できたのは、一体誰のお陰なのかしら?資金源があるでしょ?良いのよ。資金源はいつでも打ち切れるのよ?」
そう云って姉は俺に微笑みかけた。が、その微笑みは優しいものではなかった。いや、ある筈がなかった。顔は笑っているものの、姉を取り巻くオーラはドス黒い。悪い女の顔をしてやがる。
俺の引き籠り生活の資金源。それは潤沢に湧き出てくるものではない。婦警として働く姉、いやお姉様の稼ぎだ。つまり俺はただのスネ
そんな資金を止められると云うことは、生活費が底をつき、それは俺の死を意味する事となる。
「資金源は打ち切って、あんたの身柄は更生施設に引き渡すわ。でも、もしも引き受けてくれるって云うのなら、資金は増額するわ。ただし、ふたり分と云うことで」
今まで通り資金を受け取るか、もしくは死を選ぶか。もうすぐ
「…引き受けます」
この時俺の引きこもりエンジョイ生活は、音を立てて崩れ落ちた。
「主税ならそう云ってくれると思ったわ」
姉はそう云って嬉しげに俺の肩をポンと叩いた。半ば強制だったような…
「だけど、俺には里親の資格なんてないないけど」
そう。里親になるためには手続きやら、審査やら、研修やらを経て里親として認定されなければならないのだ。
「よく知ってるわね。でもそれは心配ないわ。もう手続きは踏んである。なんてったって、私は児童相談所の職員だからね」
令和さんはえっへんと胸を張って云った。
不正じゃないよね?
「さ。交渉成立ってことで、夕飯でも食べましょ。あ~良いにおい。今夜はカレーね?」
姉は何も知らなかったていでそう云うが、すべては姉の仕組んだことだ。道理で甘口が食べたいって要求したわけだ。
「と云うわけでアンタにこの子のお世話は任せる。一通りの生活は自分でできるから、間違っても一緒にお風呂とか入らない様に」
姉はビシッと僕に薄桃色のネイルを塗った人差し指を突きつけた。
「はっ、入らねーよ!」
「えっ?主税くんってそんな趣味だったの!?」
令和さんは大げさに驚いたように開いた口を手で塞いだ。
「だから違うっつってんだろ!」
俺の悲痛の叫びは最早このお姉さま方にとっては滑稽な姿にしか映らない。
ここまで築き上げてきた俺の引きこもり生活は、ベルリンの壁の様に音を立てて崩れ落ちた。
碧い空の下で 正保院 左京 @horai694
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