花火
「ねぇ、せっちゃんって着物の着付け出来る?」
目の前で赤いアセロラジュースを飲んでいるせっちゃんこと、
「今の撮影は秋服でしょ?何、どっか行くの?」
同期のモデルであり友人である彼女は、俺の良き相談相手だ。
「いやぁ...、その、律に...、夏祭り行こうって誘われて...」
「へぇ。ゆずの話を聞く感じ、ゲームオタで引きこもりかと思ってたけど案外アグレッシブなところもあるんだねぇ」
「ちょ、せっちゃん!」
彼の悪口に、思わずせっちゃんを責めるような口調になる。だが彼女はけらけらと笑って、白いストローに口を付けた。
俺の名前は、
そして、ゲーム好きな高校時代からの親友である
世間的には認められるような関係ではないけれど、それなりに彼とは上手くやっている。さらに言えば、俺の場合はせっちゃんがいてくれたお陰でもある。女子っぽいかもしれないが、彼女に相談する事が出来るというのが俺にとって大切な事だった。
彼女は別に腐女子というわけではない。ただアニメやゲーム好きのオタクではある。
「うーん...、私でいいなら出来ない事は無いけど。それでもいい?」
「うん」
「よし。じゃあ、当日は早めに上がらせてもらえるように頑張ろっか。それにしても、五年付き合ってて今まで花火大会なんて行った事ないんでしょ?なんでまた急に...」
そう、付き合って五年間行った事なんてなかった。俺が仕事で忙しかった年もあったりだとか、そもそも律がゲーム三昧で誘うにも誘えなかっただとか、そんな感じで。
でも、今年は彼から誘ってくれたんだ。
時は昨日に遡る。
「なぁ、八月の十日って暇?」
二人で協力ゲームをしていた手を止め、慌ててポーズ画面にする。不思議に思って顔を律の方へ向けると、彼はゆっくりと口を開いた。
俺は脳内の手帳を開きその日の内容を確認する。確か、朝から午後四時まで軽い撮影があったように思う。
「うー、ちょっと撮影があるけど...。どうしたの?」
「あー...その、花火大会、一緒に行かね、と思って...」
気恥ずかしいのだろうか、ぼそぼそと律はそう言う。
俺の事を可愛い可愛いという彼だけど、俺からすれば律も可愛いと思うんだけど。本人に言ったら確実に睨まれるから言わないけども。
「そりゃ俺は全然いいけど...、いいの?ゲームとか、その、周りの視線もあるわけだし。いつもならそんなリア充イベントって言って、行かないじゃん」
世間的に許されない関係。外では親友程度の関係で、いちゃいちゃする事は出来ない。それゆえにか、室内でのんびりと過ごす事が多かった。
「あー...、そのファッション・マスクに言われたんだよ。いい加減そう言わずに外出ろってさ」
ファッション・マスク、それは彼の大学時代のサークルの先輩の事だ。俺は会った事ないけど、俺で言うせっちゃんとの関係みたいな感じらしい。深く聞かないのは、彼の事は信頼しているという事だ。
「で、いいんだよな?」
「うん!午後五時くらいになっちゃうけど...、逆に良いの?」
「いいんだよ」
そう言い終えると、ポーズ画面にしていた画面を元へ戻し、再びゲームをやり始める。こころなしか、彼の顔は明るくなっているような気がした。
「へぇ。なんだ、良い彼氏じゃん」
「っせっちゃん、声大きいっ」
普通の声のトーンで言われ、慌てて周りを見回した。どうやら他の人には聞こえていなかったらしい。
ほっと胸を撫で下ろした。
「まま、当日は私に任せて残り三日頑張ってこ!」
ぽんぽんと彼女は肩を叩くと、残りのジュースを全て飲んでカメラマンの方へと歩いて行った。
残り三日、か。
着物で来いよと言っていた事を考えると、彼も着物で来るんだろうか。どんなのが似合うかな。やっぱりかっこいいんだろうな...。
モデルをしているなりに顔や背格好はあるものの、律だって目は鋭いが顔立ちは整っているし、背も俺より高い。
サラリーマンしてるの勿体ないくらいだし。
そこではたと思い出す。俺、着物持ってない。
俺は慌ててせっちゃんの元へと駆けて行った。
***
三日なんてあっという間。すぐにその日が来た。
撮影が終わってすぐ、六月頃に使っていた衣装として置いてあった着物をせっちゃんが買い取ってくれて、それを衣装さんと一緒に着付けてくれた。下駄も用意してくれて、せっちゃんのマネージャーさんが車で近くまで送ってくれた。
待ち合わせ場所は、赤い鳥居の近く。広い土地のある神社の中でする祭りで、出店が軒を連ねる。
石の階段を上ってすぐの鳥居にもたれかかり、星の光る夜空を見る。鳥居をくぐって、カップルや親子、学生の友達同士が祭囃子の中へと消えていく。
スマホを見ると、約束の時間の十分前。いつも遅刻ギリギリで来る律だから、少し早く来すぎちゃったかな。
顔を下に向けて、下駄をカツコツと鳴らす。早く来ないかな...。
「ねぇ、おねえさん、ひとり~?」
耳に典型的なナンパセリフが入って来た。面白味も何ともない、せっちゃんなら「これは○○フラグだ!!」と大声で喜びそうな言葉。
あー、早く来ないかなぁ...。
そう思いながら下駄の先で小石をいじると、俺の足元が暗くなる。近くの提灯の明かりがなくなったんだろうか。不思議に思い顔を上げると、一人の男が立っていた。
明るい茶髪に、耳に尖ったピアスをした男。律は確かに茶髪だけどここまで明るくないし、ピアスはしてない。知り合いにこんな人はいないし、つまりその...、誰?
「ね、おねえさんに話してるんだけど」
「はい?」
完全に思考が停止してしまう。それからすぐにこの状況を飲み込んだ。
なんだこのチャラ男、性別も分からないのか!?身長を見ても、身体つきを見ても男だって分かるだろ?!馬鹿なの?
「いや、あの俺...っ、おとこ、なんだけど......」
俺はすぐにそう言って、とんとんと自分の胸板を叩く。明らかに女の子みたいに膨れていないし、そもそも声はそれなりに低い方ではあるのですぐに分かるだろう。
だが、チャラ男はヘラヘラと笑って胸を叩いていた俺の手首を強く掴んだ。その行動に完全に思考が上手く働かなくなる。
目線を動かすと、恐らく彼の仲間だと思われる数名が林の方でにやにやと笑っている。暗がりでそんな集団を見て、良い感じなんて全くない。
「っだから...!」
「女と間違えたのは悪かったよ。でも、あんた色っぽいんだもんよ...。いいだろ?悪いようにはしねぇからさぁ?」
「っヤダって......!」
これでも柔道黒帯。投げ飛ばすべく空いている片方の手で男の腕を掴もうとしたが、その手も封じられてしまう。チャラ男の顔が近くになる、彼の吐息が分かる。
このままでは本当に連れ込まれてしまう。...っどうすれば。
その時だった。ぱしり、と俺の手首を掴んでいた腕を誰かの手が握った。
「おい、俺の連れに何か用事でもあんのか?」
聞き馴染みのある、地を這うような低い声が鼓膜を震わせた。
「っ律!」
「ンだ、てめぇ」
「こっちのセリフだ。人のもんに手ぇ出してんじゃねぇ、ガキが」
ギロリと猫目がチャラ男を睨む。ガチギレだ、ガチギレしてる。それに気圧されたらしい彼は、背後の仲間の方へ目を向ける。だが、そこには完全に倒されている彼の仲間達と、平均より少し身長の低い一人の男。
「ありがと、ファッション・マスク」
「そのあだ名、止めろって言ってるだろ」
ちょっと高めの声だ。白いマスクをした黒地に縞模様の入った甚平を着た彼は、嫌そうに眉を寄せている。
チャラ男はそれで完全に助けを失った事を感じたのか、すぐに仲間を起こしてひぃひぃ言いながら去って行った。
マスクをした彼は林から抜けると、律の横に立つ。俺を見ると、少し顔が穏やかになった。
「へぇ、良い子そうじゃん」
「だろ?」
「ん、じゃあ。仲良くやれよ」
彼はそう言うとひらひらと手を振って、祭りへと足を踏み入れて行った。
「...えっと、」
ありがとう、と声を出そうとして、思わず彼の姿に見惚れる。
黒地の浴衣に薄っすらと紫陽花が咲いている。白帯で締めており、いつもの違いにどきりとして言葉を詰まらせる。...やっぱ、かっこいいよなぁ。
「おい、大丈夫か?」
「...へっ、あ、うん」
自分の世界に入り込んでいたせいで、返事が遅くなって声が裏返ってしまった。それを聞くと、律は少し顔を綻ばせる。ぽん、と頭を一つ叩いてくれた。
「悪かったな。早めに着こうとしてたんだけど...」
「っううん、俺が早く着きすぎたから」
ぶんぶんと首を振るうと、ぱしりと手を握られた。ぐい、と手を引っ張られて先程までチャラ男に握られていた手首が露わになる。気にしていなかったが、痕になっていた。
律はじとりとそれを見ると、その痕に唇を押し当てた。
「っ!?」
唐突過ぎる行動に、俺はただ目を白黒させる。そんな心境を知ってか知らずか、彼はそのまま手を持って鳥居の中へ導いてくれた。
「ほら、出店なんか欲しいのあるか?待たせた詫びに奢るよ」
「は、あ、う、うん、えっと...、かき氷、食べたいな...」
「おー、夏だな」
何でもないように話す律の背中。だけどでもえっと、外で俺、律と普通に手ぇ繋いでる...!
家の中だとこれより激しい事しているのに、こんな小さな事でどきまぎしてしまう。
「何味食いたいの?」
「......いちご」
「へぇ、オーソドックス」
少し小馬鹿に言われ、思わずむっとしてしまうが、買いに行ってくれる事実に彼の優しさを感じる。
「ん」
赤いシロップのかかった方を差し出してくれた。もう一つにはオレンジ色のシロップがかかっている。
「律のは?」
「オレンジ。ほら、よく見えるとこ行こうぜ」
また手を握られてずるずると連れて行かれる。少し先を行くと、だんだんと人が多くなってくる。
神社には二つ入口があって、俺達が入って来た方の反対側の赤い橋のかかった土手で花火が上がる。
「花火なんて久し振りだなぁ...。中学生以来かも」
「あー、俺もそんな感じだな。ここ座ろう」
そう言って、律と俺は橋にもたれかかるようにして腰を下ろした。
周りのカップルや家族も橋にシートを引いて、花火の打ち上げを待っているようだ。俺達もかき氷を食べながら、時間を待つ。
「.........今日は、ありがとうね」
「んぁ?」
律はプラスチックのスプーンをひょこひょこと口で動かしながら、首を傾けた。
「助けてくれたから。あ、それと今日の恰好似合ってるよ!」
俺がそう言うと、律は目を丸くして小さく溜息を吐いた。...ん、何かまずい事言ったかな...。
「助けるのは、当然だろ。......恋人、なんだから」
消え入りそうな声で、俺だけに聞こえるような声で、律はそう言った。
あぁ、もう。そういう所が好き、なんだよなぁ...。
「それと...。着物、エロいし可愛い」
「...........は?」
「鎖骨エロいし、首筋エロいし、手首エロいし。しかも髪の毛アレンジしてて可愛いし。なんでそんな可愛く仕上げてんだよ...。そんなだからあんな奴に声かけられんの。...........次また見に来る事があったら、一緒だな」
律は一人納得するように頷いているが、彼の言葉を消化する事に俺は精一杯だった。
「っ人の事をエロいって連呼するな!」
「事実だし」
何でもないように彼はそう言う。飄々としたその口振りに二の句が言えなくなってしまう。
俺にはない、かっこよさだよな。
彼の横顔を眺めていると、放送の女性の声がそろそろ打ち上げを始めるという放送をした。主催者や関係者各位...とお礼の言葉を口にしている。
「お、始まるぞ」
わくわくしているらしい彼のキラキラと光る眼に、俺はそうだねと言って前を向く。
来年もまた、二人で来られたらいいなぁ。
そんな願いを込めて、かき氷のカップを握っていたせいで冷たくなってしまった手を彼の手の上に重ねる。
少し律の肩が跳ねて、それからぎゅっと握ってくれた。あったかい、手だった。
その時。
大きくどんと空気を震わせて、大きな花火が打ち上がった。
高槻くんと花堂くん 本田玲臨 @Leiri0514
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