手紙
「は?」
下駄箱を開けてすぐ、俺の口からはそんな言葉が漏れた。慌てて周りを見回したが、良かった、誰も居なかった。変な目で見られる心配はない。
俺は恐る恐る手を伸ばして、スリッパではなく白い封筒を取り出した。間違いかと思ったが、封筒の裏の端の方に小さく「
高校三年、つまりは受験生。それを知っていての行動なのか...。
人生の中で初めて体験しているリア充イベントに、心臓は緊張している時のように変にドキドキしている。
封はそこまでしっかりとされておらず、すぐに開く事が出来た。中には、五時半に教室で待っていて欲しいという旨だった。
定番と言っていい、まさに定型文のような告白文。女子らしい丸文字ではなく、綺麗で整った文字で記されている。
ギャル系や可愛い系女子ではなく、真面目系女子からか?と首を捻るが、生憎そんな知り合いはいない。そもそもそんなに女子の知り合いが多くない。
どんな子が書いたのか、さっぱり見当が付かないまま授業を受け、文化祭の裏方作業をさっさと終えて、教室内で待つ事にした。
俺達の教室は当日は食事の取れる休憩所になるので、机の位置が変わっているものの座る事は出来る。人も来ない。
外からは運動部の掛け声と、明日の文化祭で劇をするらしい演劇部の声、準備に追われている生徒会の生徒の声がする。
夕焼けが教室に差し込んでいる。いつも作業が終わり次第帰るので、こんな風景を見ているのはいつぶりだろうか。...変に老いを感じている。
ふと、腕時計を見る。
「......五時四十分、か」
約束の時間を十分ほど過ぎていた。
まぁ、よくある怖気づいてしまったというパターンなのだろうか。人生始めての彼女が出来ると思ったんだが、特に悲しく思う自分がいない。...男として、あるいは人として枯れているな、俺。
ま、彼女が出来るとかなんとか友達に言いふらさなくてよかった、と思うか。
帰るか、と机の上に置いていた鞄を肩にかけ、教室の戸の方へ歩こうと席を立った時。バンッ、と大きな音が立って、向かおうとしていた戸が開いた。
「......柚月か。なんだよ、びっくりした」
そこに立っていたのは、親友の
高校一年の当時俺の前の席になって話した事をきっかけに仲良くなり、それ以来よくつるんでいる仲だった。
確か柚月は今日は美術部だったような気がするが、文化祭に展示する作品を持っていく作業は済んだのだろうか。
ま、一人で帰るのもあれだし、途中までだけど一緒に帰るか。
「文化祭準備終わったのか?それなら一緒に帰ろうぜ」
俺がへらっと笑いかけて訊ねたが、いつもの笑顔は帰って来ずに真剣な黒目が俺を向いた。
「...どうした?」
張りつめている彼の空気感に勘付きもう一度聞くと、柚月は俺の方へ向かってきた。
決意の籠った瞳で、唇がゆっくりと動いているように見えた。
「律...、俺、律の事、好き...っ!」
少し間をおいて、彼は一息にそう言った。
「え」
一瞬思考が止まる。
それは、どういう事だ?友達として、好きっていう事か?
でも、そういう意味じゃないような...、そんな気がする。俺の顔色から何となく察したのか、また柚月が口を開いた。
「友達じゃないよ...、好きな人、なんだ。律が、俺の、初恋の人なんだ」
「っ!?」
嘘だろ、とか。冗談止めろよ、とか。いくらでも言葉をかける事は出来るのに。
目の前の涙で潤っている瞳を見ていると、そんな事言えなかった。
気付けば俺の目の前に柚月は立っていて、縋るように俺の服の裾を掴んだ。
「ここに居るって事は、手紙、読んでくれたんだよね...」
「...うん、読んだよ。確かに、あれは、言われてみりゃお前の字だな」
彼の性格を表したかのような文字は、時々勉強会をしたときや授業の内容を移させてもらう時に見ていた文字だった。手紙の主が女子だとばかり思っていたので、男子である柚月の事は完全に除外していた。
「俺、男だぞ?」
「知ってる。体育の時着替えてるの見たし、トイレだって...」
ぎゅっと柚月の手の力が強くなった。俺の方を向いていた顔は、下を向いてしまった。
「...これが、いけない気持ちだって分かってるんだ。世間的には許されなくて、生産性のない関係だって。でも、夏は受験勉強するで忙しいでしょ?それにこれからはずっと勉強ばっかりになって、律は勉強できるから、大学はきっと離れ離れになる。この機会逃したらもう言えなくなるって、そう思って......」
段々と涙声になってきている。それを無くしたいのか、一度息を吐き出すと再び声を紡いだ。
「嫌なら、突き放して。友達に戻れなくてもいい。返事が、欲しい...」
「......っ」
か細く震える声。
俺はこいつに対して、どんな感情を抱いているのか。
今の今まで親友だと思っていた。でも俺の名前を呼ぶ声に、そんな感情が込められているなんて想像もできなかった。
俺とは違うさらさらした、痛みを知らない黒い髪の毛。
やや垂れ目の大きな黒目。睫毛は女子みたいに長い。
雪国育ちの白い肌は、照れると赤くなる。
薄い桜色の唇は、優しく低い声で、俺の名を呼んでくれる。
身体つきは、柔道黒帯とは思えない程の華奢さで、強く抱き締めると壊れそうで。
これが女子か男子か、とにかくどっかの誰かの手に渡ると思うと、何か。なんか嫌だ。
あれ、俺結構...。こいつの事、割りと好き、なんじゃね?
「..............柚月」
彼の名を呼ぶ。
「......返事、決まったの?」
「...俺、お前と同じ気持ちか分かんない」
ぴくり、と柚月の肩が震えた。離れてしまいそうな身体を逃がさないよう、すぐに震えていた彼の肩を掴んだ。
「今、お前が別の誰かの横を歩いてる想像したけど、嫌な気分というかモヤモヤした。...これが、恋心か分からね」
素直な気持ちを口にする。
ゆっくりと柚月の頬に手を伸ばし、そっと顔を上げさせた。黒い宝石からは今にも雫が溢れてしまいそうになっている。
あぁあぁ、俺がもう少しこういうのに詳しければ、今のこの気持ちがあっさりと分かるんだろうか。
あっさりと分かりたくない気持ちもあるけど。
「教えてよ、これが何て言う気持ちなのか。俺にさ」
「それ、って......っ、つまり...」
「よろしくお願いします...って事になるな」
俺のその言葉に、ぶわっと雫が柚月の目から零れてきた。
「おい、泣くなっての」
俺は目の下に流れていく涙を指で掬ってやる。本人もごしごしと目の下を擦っている。
「っ...っうれしいのに...っ、なんでだろ......っ」
彼はしゃくり上げながら、へらっと口元を緩ませた。
泣いているのに笑うその顔に、ずくりと胸の奥が蠢く。
なんだろ、コレ。よくわかんないけど、なんか...なんか。
「..............っり、つ?」
気付いたら、柚月の顔がすぐ近くにあった。
あ、駄目だこれ。俺、結構どころじゃなく、本気で柚月が好きかも。今まで、気付かなかったのがおかしいくらいに。
すり、と頬を撫でる。柔らかで心地よい感触で、ずっと撫でたくなってしまう。
震える唇をじっと見つめた後に、俺はその上に自分の唇を押し当てた。
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