最終章 息吹-イブキ-

息吹 00

 少女が走っていた。

 焦げ茶の髪の毛の片側だけを三つ編みにしており、もう片方の髪の毛は結べなかったのか、少女の手には黒のヘアゴムが握られていた。

「アンジュ先生ーっ!」

 若く張りのある大きな声で、目的の人物の名を呼んだ。

 沢山の子ども達に囲まれた、エプロンを付けた短い金髪の女性がその少女の声の方へ向いた。

「どうしたんですか?」

 瑠璃の目の女性─アンジュ・リティアナ=ダルシアンは目線を少女に合わせ、ニコリと微笑んだ。

「髪の毛、結べなかったの!」

 だから結んで、と少女はアンジュへヘアゴムを差し出した。

 だが、アンジュはその無邪気な手を取るのを躊躇ってしまう。「任せて」と言ったところで、片腕のアンジュには上手く結ぶ事は出来ない。どうすればいいものかと悩んでいると、ポンと頭を叩かれた。

「アンジュ先生は不器用だから、俺が代わりに結んでやるよ」

 少女の手からヘアゴムを受け取り、エプロン姿の黒髪の男─クロウ・ルーシャは、少女の焦げ茶の髪を丁寧に三つ編みにしていく。

「はい、出来た」

「あ、ありがとうございます......」

 少女はほうっと息をついてクロウを見て、彼女の頬が少しずつ朱色に染まっていっていた。

「...クロウ、ありがとうございます」

「いやいや、いいってば。言ったろ?俺はお前の右腕になるって」

 クロウのその言葉にアンジュは目を丸くして、「そうですね」と口元を隠しながらくすくすと笑った。

「よし、じゃあお前らぁ!今から俺と遊ぶか?」

「えー、アンジュ先生とがいいー」「クロウ先生、おとなげないんだもん」「アンジュ先生みたいに優しくないもん」「クロウ先生はアンジュ先生が好きなのー?」「クロウ先生カッコいいのに、残念なんだよね」「分かるぅ」「アンジュ先生、遊ぼー」「おままごとしようよー」

 子ども達の反応に、クロウは明らかに傷付いた顔をして項垂れた。アンジュはその様子を見て、子ども達の口から漏れる純粋悪の恐ろしさを実感していた。

 その時、

「はいはーい、みんなー。皆のお姉さんのクロエが来たですよっ!」

 元気はつらつとした弾むような声に、全員の目が彼女へ向いた。

 1年前より大分伸びた栗毛の髪を高く結い上げた、薄紫色のカチューシャを付けた若木のような瞳をした少女─クロエ・テレシアは、優しく華やかな笑みを浮かべて立っていた。

「クロエお姉さんだ!」「クロエお姉ちゃん!」

「はいはい、皆で遊びましょ!」

 クロエはあっという間に子ども達に取り囲まれ、楽しげな笑い声が広場に響く。

 その間にアンジュはクロウへ近付いた。そして、労うようにポンと肩を叩いて、

「...クロウ、大丈夫ですか?」

「精神的には抉られたけど...、大丈夫」

 クロウはアンジュへ苦笑いを浮かべた。アンジュもそれを見てクスリと笑う。

 復讐をし終えた後、アンジュとクロウは〈片翼の使者〉の残党メンバーに誘われて、彼らの運営する孤児院の職員として働く事になった。元々子どもと触れ合う事は嫌いではないアンジュは二つ返事で引き受け、クロウは苦手ながらも頑張る、と引き受けた。

 決して楽な仕事では無いが、毎日を平穏に暮らしている。

「.........2人ともー」

 ここの経営を任されている責任者、栗毛に澄み切った空の色と新鮮な檸檬の色をしたオッドアイの男─ジルヴィア=リティスが2人に声をかけた。

 ジルヴィアはあの事件後、宗教騎士団の神兵を辞め、ここで彼らと共に働いている。

「ジルさん、どうしたんですか?」

「...そろそろ、皆を中に入れて。......昼ご飯の時間、やからさ」

「あー...、そう言えばそうですね。分かりました」

 クロウはそう言って、すっと息を吸い、

「そろそろご飯だから、皆ー中に入って席に着けー!」

 クロウの声に子ども達はクロエから離れて、建物の中へ入っていく。子ども達に続いてクロエはアンジュの側へそそそっと近付き、ギュッと抱きついた。

「アンジュっ!久し振りなのっ!」

「久し振りですね、クロエ」

 アンジュはポンポンと、大分大きくなった彼女の頭を優しく撫でた。

 彼女は今、スミスの元で懸命に刀鍛冶を習っているのだという。そのせいか、彼女の身体からはほのかなシャンプーの香りに混じって、僅かに鉄の匂いがする。

 それは、彼女が自らの夢へ向かって頑張っている香りだ。

 ジルヴィアは2人の様子を少し見て、重たい口を開いた。

「.........クロエさんも、食べてく?」

「いいの?!」

「......子ども達の、為に、...多めには...、一応、作ってるから。.........大丈夫」

「是非っ!」

 クロエは目を輝かせ、子ども達の後に続いて中へ入っていった。

「クロエの席もくださいなー」「クロエお姉ちゃんも一緒に食べるのー?」「やった!ここに座ってー」

 きゃいきゃいと嬉しそうにはしゃぐクロエと子ども達の声を聞きながら、3人は顔を見合わせて微笑む。

 そして3人も中へ入って行った。


◆◇◆◇◆◇


 長い金髪を一つに結い上げた碧眼の女性─シェリー・マリアンヌ=ダルシアンは、屯所のとある場所へ来ていた。【第1団長室】とプレートのかかった部屋をノックもせずに、乱暴に足で蹴り開ける。

「は、ぁい?!」

 中に居た人物は目を丸くする。当然だろう。








 彼女の手の内には、大口径のグレネードランチャーが構えられていたのだから。



 これがあったせいで、シェリーはこの扉を足で開けるしか無かったのだ。

 彼が慌てている間に、シェリーはさっさと引き金を引いた。バコンと部屋の空気を震わせて、その大口径の銃口からは、






 大量の紙吹雪が彼へ飛ばされた。




「あ、あの...。シェリーさん?」

 その色とりどりの紙吹雪を身体中に浴びた黒髪の一部を赤く染めた、紅蓮の瞳を抱く男─ノア・ナサニエルは、当惑に眉を寄せ、複雑そうに顔を歪めた。

「いやぁ!大抜擢おめでとうと思ってね!昨日シズマから『ノアが第1師団の団長に昇格する』との報告を貰ってさ!これは祝うべきだと思って、これを取り寄せたんだが...。最近の手品グッズは凄いなぁ!」

 シェリーは悪びれる素振りなど一切無く、嬉々として手にしている手品グッズとは思えないゴツい代物を褒め称えている。

 ノアはそれ以上なにか言うことが面倒になり、何も言わずに立ち上がる。そして、いち早く危険を察知して逃げていた人物へ、目を向ける。

「いやぁ、危なかったなあ」

 ひょこっと、シェリーの死角に当たる場所から、両目を包帯で覆い隠した金髪の、少年のような男─エリアス・ジノヴィオスが現れた。その姿を見て、シェリーは目を瞬かせる。

「...なんだ、エリアスも来ていたのか」

「君みたいなサイコ愉快犯と思考が一緒なのは酷く心外だけど、僕もノアくんのお祝いをしに来たんだよ」

 エリアスは面倒そうにそう答え、据え置かれているソファに腰を下ろした。

「で、どうなのノアくん。第1師団の団長に大抜擢された気分はさ」

 ニコニコと、エリアスはノアへ訊ねた。

「何だか...、いまいち実感は沸いてないですね。変な気分ですよ」

「その敬語も止めろ、ノア。私達と肩を並べる地位の人間なんだ。年功序列なんていうのも大切だが、少なくとも私はそんな事は気にしない。なぁ、エリアス」

「うん、そうだよ。...本ッ当に君と意見がかぶるなんて、最悪だ」

 エリアスのあまりにもシェリーを毛嫌いする態度に、ノアは不思議に思い首を傾げる。それを察したシェリーのニヤリッと意地悪気な笑みを浮かべ、親指でエリアスを指差す。

「コイツが私を毛嫌いしているのには、ちゃーんと理由があるんだ、ノア」

「っ!?ちょ、おい、シェリーっ!」

 焦ったエリアスの声を、ノアは初めて聞いた。

 エリアスは彼女の口を覆い隠そうとするが、包帯で目を覆っている為、気配で居場所が分かっても、それがシェリーなのかノアなのかが分からず、手が出せない。

「コイツ、前に私とシズマとで飲む機会があったんだ。で、その時酒買って来いって言った時にな、買って帰れなかったんだよ。身長と童顔が災いして、酒屋を門前払いだったのさ。あの話、なっかなかケッサクだよなぁ!」

 ケラケラと、女性としては何とも豪快な笑い声を上げて、エリアスの肩をバシバシと叩いた。エリアスは明らかに不機嫌そうな顔へと変わり、そっぽを向いた。

 シェリーはひとしきり笑い終えると、ふうっと息を吐いて、ノアの方へ再度視線を向けた。

「...んで、ノア。あの子から何かあったか?ダルシアン家にも帰っていないんだ」

「......いえ、何も無いですよ。場所も分かりません」

 ノアは寂しく微笑み、目を閉じる。






「でも、これでいいんだと思います」





 ノアは歯を見せてはにかんだ。

 その姿を見て、シェリーは納得したように頷き、エリアスも仏頂面を崩して笑う。

 もう2度と彼女と会う事が出来なくとも、ノアは構わないと思えた。

 彼女はきっと、彼女自身が納得出来る未来の道を歩いているはずだ。ノアはそう信じている。

 だから、そんな彼女に恥じぬよう、自らも団長としてこれからどういった待遇を受けるか不安がっている宗教騎士団の団員達を引っ張っていかなくては。

──頼りない『ノア・ナサニエル』はもう、卒業だ。

 ノアは窓の外の景色を見る。

 窓の向こうの、海へ沈もうとする太陽の最後の輝きは、新たな決意を灯したノアの紅蓮の目のように、




──街を、照らしている。



◆◇◆◇◆◇


 夜の〈夢遊館〉の店内で、白髪を1つに結い上げた薔薇の目の男─ウィルソン・ヴェルディーは机を拭き、ぱっつん前髪をした短髪の黒髪に、藤紫色の目をした女性─ユエ=ワールダットは、車椅子に乗って店の汚れの点検をしていた。

 汚れが無い事を確認したユエは、ふと店内を照らす月に目が向いた。そしてポツリと、

「...葬式は黒い喪服だからね、ウィル」

「はぁ?」

 何を急に言い出すんだ、とウィルソンは眉を寄せる。まさかここで死のうと考えているのか、と頭に過ぎるがすぐに否定する。

 ユエならもっと他人に迷惑をかけないような、そんな賢い死に方をするはずだ。して欲しくはないが。

「...私が死ぬまでずっと傍に居てくれるんでしょ?なら、葬式にはちゃんと出てくれるよね?泣いてくれる?」

 ユエはニコリと微笑み、ウィルソンの顔を覗いた。その瞳に込められた想いを感じ取り、

「......はいはい、泣く泣く」

「うー、絶対適当だ」

 ユエはそこで言葉を止め少し考えてから、またポツリと呟いた。

「リリーの店で手に入る、1番カッコいいタキシード着てよ」

「はぁ?」

「いい?約束だよ?私のはウィルの好みで決めていいから。あんまり派手過ぎるのは好きじゃないから却下だけど」

 ユエの言葉にウィルソンは首を傾げる。彼女の言っている意味が、ウィルソンにはまるで分からない。

「教会で挙げるのは私が嫌だから...、そうだね、〈夢遊館〉で挙げる?その日だけ休みにしてさ」

 ─教会を上げる......?〈夢遊館〉で上げる...?

 ウィルソンの頭の中は、クエスチョンマークで溢れかえっていた。

 ユエはそれを知っていながらなお、くすくすと笑いながら、彼は絶対意味を知らないであろう言葉を投げた。

「ねぇ見てよ。月が......、綺麗だね」

 ユエの言葉に、ウィルソンは窓の外を見た。

 太陽は沈み、ようやく夜の空に月が見えていた。

 美しく、柔らかな金色の光を街中に照らしている。

 ウィルソンは静かに息を吐き、ユエの方を向いた。

「ばーか。俺はお前より少なくとも50年は長く生きてんだ。それの意味を知らねぇと思ってたのか」

 ウィルソンはひょいっとユエを車椅子から抱き上げ、月夜に照らされ僅かに光る藤紫の瞳を覗き込む。

 想定外の事にユエは白くなっていく頭の中で、懸命にウィルソンへの暴言を考えていた。しかしこういう時に限って、良い答えをユエの頭は叩き出せなかった。

「ずっと前から月は綺麗だ」

「........っウィル」

 あぁ、狡い。狡賢い。小賢しい。馬鹿。

 そんな言葉が浮かんでは消え、しかし口からは零れなかった。ただただ、ウィルソンという存在が今までもずっと支えてくれていたのだ、と理解する。

──君は、本当に...。私の必要としてる言葉をすぐにかけてくれる。

 ユエが何も言わずにぼうっとしていると、ウィルソンは少しユエから顔を反らし、

「ンだよ......。『今日は月欠けてるから満月の方が綺麗だろ』って言って欲しかったのか?」

「ち、違う...っ!そんなロマンの欠片もない言葉は求めてないっ!」

「じゃーいいだろが」

 ふん、とウィルソンは満足気な顔をして、ユエの額にキスを落とした。

「......でもあんまり輝き過ぎんなよ。他がお前に寄るのは好きじゃない」

「......ふふ、ふふふ」

「な、...っわ、笑うなっ!」

 先程の秀逸なセリフを吐いた人間とは思えない言葉だった。そのギャップにユエはくすくすと笑う。ユエのその反応にウィルソンは口を尖らせて拗ねる。

「やっぱり、ウィルはウィルだった!カッコいいウィルは、やっぱり何か違和感あるもん」

 ユエは白く細い腕をウィルソンの首に巻き付け、数cmまで顔と顔を近付ける。

 目と目を合わせて、決して視線を離さない。

「知ってる?結婚式にキスをするのは、キスをする事で神前で述べた宣誓の言葉を封じ込める為なんだって」

「へぇ、相変わらず物知りだな」

「......だからね、私達の神父様は三日月だよ」

 ユエのその言葉にウィルソンは目を見開いて、それからニヤリと笑った。

「成程な」

「じゃあ、ウィルからどうぞ」

 ユエはニコリと微笑み、そう言った。






「ずっとこれからも永遠に、月は美しいまんまだ」






「......それはね、太陽が照らしてくれるからだよ」





 ウィルソンとユエは微笑み合い、お互いの宣誓の言葉を、お互いの魂へ封じ込めた。


◆◇◆◇◆◇


「なかなか、感慨深いと思いませんか?」

 グレー色のスウェットを着たアンジュは2つの白いカップに注いだ、ほんのり湯気立つ紅茶を、藍色のジャージ姿のクロウの目の前の机へ置いた。

 クロウの鼻腔をくすぐる香りから、これがアップルティーである事を理解した。

 あの事件後、2人は〈夢遊館〉の近くの空き家で共に暮らしていた。

 アンジュとしては〈夢遊館〉で暮らしても構わなかったが、「いつまでもユエさん達にお世話になるわけにはいかないだろ?」というクロウの言葉に共感し、この家で暮らす事を決めた。

「感慨深い...か。確かにな」

「ふふ、私達が『先生』と呼ばれているんですよ。不思議な感じがします」

 アンジュは椅子に腰を下ろし、軽くカップを回して1口飲む。

「『先生』って呼ばれる立場に近い人間だとは思えないけどな」

 ケラケラとクロウは笑って、アンジュの注いだアップルティーに口を付ける。

「もう、1年も経つんですね」

「......そうだな」

「...クロウのお陰ですよ、あんな事が出来たのは」

 アンジュはそこで言葉を区切り、クロウへ微笑みかけた。

「ありがとうございます」

「......なぁ、その、さ...」

 クロウは少しだけ視線を外し、それから口を開いた。

「敬語、そろそろ止めね?」

「......が、頑張りま......、頑張るね?」

 アンジュはやや頬を染めて、クロウへ問うような形で口にする。

 宗教騎士団に所属していた時期から、周りの人間全員が目上の人間であった為、敬語を徹底させていた。

──それが今はこんなにも抜けない状態になってしまうとは...。アンジュは軽く考え込んで落ち込む。

 一方のクロウは、アンジュの照れたような仕草と敬語を止めた口調に、思わずドキリとする。しかしそれを悟られないように呼吸を整えてから、先程のお礼の言葉に応える。

「それと!ありがとう、って別に...。俺だってアンジュがいなかったらあんな事出来なかったんだから、お互い様だよ」

「...そうだね」

 アンジュはふわりと微笑む。

 その顔を見て、クロウはカップに沿えていた手を離し、アンジュへ差し伸べた。アンジュが何事かと目を丸くしていると、クロウは片頬の口角を上げて、





「本当に、お前は最高の相棒だよ」





 そのセリフと手を差し出されたこの光景が、アンジュの頭を、ある思い出の景色が駆け抜けた。

 1年前のあの日。彼の手を取った瞬間。アンジュとクロウの間に関係が出来た。

 アンジュは少しだけ目を閉じ、それからその手を握る。





「私も。クロウは最高の相棒だ」




 2人の手は、力強く握られた。

 それは2人の絆のように硬く、2人の思いのように優しく、決して崩れない。



──決して、離れない。

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断罪天使 本田玲臨 @Leiri0514

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