4月、ピクニックへ

仄ら

4月、ピクニックへ


 年度末のこの時期のおれは忙しいどころの騒ぎじゃない。朝起きて会社の制作課の自分の椅子につくなり、まるでよくできたコメディ映画みたいに次から次に仕事が押し寄せてきて、しかもこいつらときたら行儀よく順番なんか守りゃしないもんだからそれはそれはもうひどい。うわーっと一気にいろんなのがやってきて「これここなおしてよー!」とか「この写真別のにしてよー!」とか「ここに図を入れてほしいよー!」とか「12ページ上段8行目の(、)を取って下さい。そして11行目冒頭に「やはり」を入れて下さい。それから15ページ表中の…」とか色々にわがままを言うのだ。しかもおれはいちいちそれにつきあってやらないといけない。(そんなのわりとどうでもいいんじゃね?)と思うようなものであってもだ。やらないと営業が赤い目を剥いてさかんに喚いておれを悪く罵るからね。印刷会社の仕事とはそんなものらしい。とても続きそうにない。


 特にげっそりとなるのはこの時期大量にやってくる学校生徒会誌とかいうやつで、これに至ってはデジタルで入稿しない場合も多い。つまり学生がお気楽な気持ちで書いたであろう「三年間クソッ楽しかった!浜辺でのBBQQは一生の思い出です!(山田)」とかいうのも原文ママに入力せねばならん。「クソッ」って何だよとか「BBQ」じゃないのか、とか様々に思いを巡らせはするが、これを迂闊に治したりすると「これはBBQQ(バーベキュー・クエスト)っていう行事の名前なのでこのままにしてください!」なんてぴしゃりと言われたりするので基本忠実に入力するわけ。ちなみにこういうのの担当の先生というのも一字一句目を通して、やたらと事細かく赤字でびっしりの校正を戻してくる人もいるし、おおらかでのんびり屋で、今日印刷だってのに「ちょっと、ここと、ここの写真を変えたいんですよね~? まにあいますかね~?」なんて言ってくるのもおる。へぇへぇ、よろこんで修正させていただきます、などとおれは電話口で一見柔和な声色でもってそう言うが、内心ではお察しくださいと言うやつだ。なにしろそう言って電話に出てる間にも社協報の入稿(明日まで)だの館報の修正(今日中にやっといて)だの、修正指示のFAX(だいたいまっ黒くなってて読めないのでこちらから電話をかけることになる)がめちゃくちゃに机の上に溜まっている。もはや一体どれを優先していいかわからない。優先順位などということを考える間が惜しいのでとりあえずおおらかでのんびり屋の先生が言っていた写真の修正に手を付けることにする。写真の差し替えなんぞそう手間はかかるまい。


 「差し替えの写真はUSBに入れて、営業の佐々木さんに渡しましたので~」と言っていたが。電話を終えてデスクに戻ると「例の差し替えの写真です 佐々木」というメモともにUSBメモリが置かれている。頭にいちごを被ったおかしげな猫のキーホルダーがくっついているがしげしげと眺めている暇はない。

 ところでUSBメモリの使い方にも性格というのがあり、不要となったものは次から次に捨てていき常に空き容量を保つスタイルやら、容量8GBだからいくらでも入るね~などと言いながらめちゃくちゃにいろんなものが入ってるスタイルなどさまざまなものがある。まぁしかしそんな事は人それぞれだしヨソサマがとやかく口出すようなことでもない。とにかくこちらとしてはメモリを開いた第一階層に「8P差し替え写真」と「16p差し替え写真」というのがわかりやすく入っていさえすればいいのだ。ところがだ。メモリを開くといきなりわけのわからんフォルダがめちゃくちゃに入っている。これはあんまりひどい。目が吐き気をもよおした。

 「PTA関連」「dcim」「神輿祭り」「職員研修」「ドドミの会」「幹子結婚式」「かつこ結婚式」「どらちゃん」「アレチウリ」「クーポン」「1年遠足」「PTA関連2」「映研」「音楽祭」「どじょうすくい関連」「2学期テスト」「伝統芸能の導き」「研究発表」「武蔵」「研修旅行」「3学期テスト」「みさき結婚式」「28年度名簿」「近藤さんデータ」「拾った画像」「20」「食生活改善」「21.3広島」「更新済」「バックアップ」「広島12.8」「新しいフォルダ」「名称未設定フォルダ 1」「名称未設定フォルダ 2」「名称未設定フォルダ 3」「名称未設定フォルダ 4」「アニキ」…メチャクチャだ。


 このメモリーはどうやら先生の私物らしい。だって「幹子結婚式」だの「みさき結婚式」フォルダには思いきりプライベートな写真が何十枚もぶち込んであるし(どちらにもどじょうすくいの格好で泣いている謎の女性の写真があった)、「どらちゃん」と名付けられたフォルダには.WMV形式の動画(サムネイルから察するにアニメ)が何本も入っている。これ大丈夫なやつだろうか。違法なやつじゃないよな? 

 つい気になってクリックした「アニキ」フォルダに至ってはボーイズラブものの画像がたんまりと入っており、とてもじゃないがこんなもの会社で開けるようなものではない。あらぬ誤解を招くだろうし、正直なところこんなフォルダなんぞ漁って探しものをしてる時間さえこちらは惜しいのだ。こうしてる間にもなんか見たくもないような未読メールが三件も立て続けにたまっているのだ。まぁ、ものすごーく暇だったらそういうのも楽しいかもしれないが、今はちっとも楽しめる気分ではない。「拾った画像」フォルダとやらに至ってはネットでよく見るおバカ画像みたいなのが山盛りに入っている。この人本当に学校の先生なんだろうか?

 一体この魔窟のどこに差し替え写真はあるのだろう。おれは「20」と名付けられたフォルダを調べてみた。するとどうだ。中には「19」と書かれたフォルダが一つきり入っている。それで「19」というフォルダを開くと「18」というフォルダが一つきり出てくる。あ? おい、なんなんだこれは? 「18」を開いてみると当たり前のような顔をして「17」が出てきやがるし、「17」のなかにはもちろん「16」が入ってて、「16」の中には「15」、「15」の中にはもうお察しだろうが「14」が入っている。「14」の中には驚くべきことに「13」。「13」の中には狂おしいことに「12」、「12」の中には微笑ましいことに「11」、「11」の中には…………、おれはひたすらそれを繰り返し、やがて「1」というフォルダにたどり着いた。「1」を開いてみると出てきたのは何と「0」という名のフォルダである。もうー! いい加減にしてよね!とおれは本気で思った。こっちは忙しいのだ。例えるならキッチンタイマーが鳴った途端電話がかかってきて玄関のチャイムも鳴ったとたんお湯が湧いて笛吹ケットルが鳴り出し赤ん坊はギャーンと泣いてるみたいな感じだ。泣きたいのはこっちだ。それなのにこの先生ときたらフォルダでマトリョーシカなんぞ作って遊んでやがって、あぁもう、すごいストレスだ。流れる涙が真っ赤だ。

 おれはもうあんまりうまく物事が考えられなくなって「0」フォルダを開いた。するとどうだ。写真だ。そこには写真がたくさん入っている。だがしかしこれらが件の差し替え写真とは到底考えづらかった。

 というのもこの写真、学校生活を営む生徒の様子を撮った写真なんだが、妙なことには写真に収められているのは特定の男子生徒のみなのである。仮にこの男子生徒を杉山君としよう(体操服の胸にそう刺繍されているから)。そこにあるのは給食を食べる杉山君、給食のみそ汁を飲む杉山君、給食のイカのマツカサ焼きを食べる杉山君、給食のプリンを食べる杉山君、体操服に着替え中の杉山君、雑巾がけ中の杉山君、…おぞましいとはこういうことだろうか? ここには何百日分という量の杉山君の生活の様子を収めた写真がめちゃくちゃに保存されているのである。中には自宅と思しきベッドで眠る杉山君の写真まである。「やべー、こいつストーカーかよ…」ゾッとしながら「0」フォルダの中を最下部までスクロールしていくと、そこに「-1」と名付けられたフォルダがあるのをおれは見つけてしまった。何故かフォルダの色が赤い。おれの操るマウスカーソルの矢印はおそるおそる「-1」フォルダに近寄った。


 その時だ。

「ハヤシさん、青沼中学のイソヤ先生から3番にお電話です」と会社の事務の女の子がおれのところにやってきてそう言った。ハヤシさんとはおれのことであり、青沼中学のイソヤ先生とはこのメモリの持ち主である。タイミングにドキリとしながら受話器を取ると一言、


 「見 タ ナ」


 と言われた、というのはまるきりの嘘である。「すいませーん、メモリに写真入れてなかったみたいでー、今からメールで送りますねー」とイソヤ先生は極めて明るい口調で言った。改めて送られてきた写真を指定の頁のものと差し替えると晴れて生徒会誌「青沼」49号は校了となった。そうしてその日あたりを境にだんだん厄介な仕事も減っていき、4月になったのでおれは晴れて会社を辞めた。



花の美しい4月、サンドウィッチをたくさん詰めて、今日はピクニックに繰り出そう。湖でボートを漕いだり、草だんごを食べたりしよう。満開の桜と青空のコントラストをたくさん心に留めよう。そういうことをいいと思う感性がなきゃ、いきてても苦しいばかりさ。


あの「-1」フォルダの中身についても、いまさら語るようなことはなにもない。だって、これは例えばの話だけど、もしもそこに何かとんでもない写真(杉山くんの変わり果てた姿とか)があったとしても、取引先の先生の個人の持ち物のことを通報するだなんて会社としてはイメージダウンにしかならないし、もしも匿名で告発するなんてしたところでおれにはリスクしかない。

一応上司に相談しようかと「とあるお客さんの個人情報に関してなんですが…」とおれが切り出すと、上司ときたらおれの言うことなんざまるきり興味がない様子で、「そんなことより知ってるか?個人情報保護法(こじんじょうほうほごほう)には「うほうほ」が入っているんだぜ」なんていい出したので、おれの脳はすっかりしわしわに疲れ果てた。もうなにも思い出したくない。考えたくもない。何もかも忘れておれは出かけるよ。4月、ピクニックへ。

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4月、ピクニックへ 仄ら @honola

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