かけがえのない友へ、おめでとう

タカテン

かけがえのない友へ

 イチローの引退に関する話題の中で、こんな記事を見た。

 

「アメリカではこういう時『引退おめでとう』と言う。それは野球人生が終わり、新しい人生のスタートだから」


 もちろん、これまでのイチローの数々の功績に対し敬意を払い、日本同様に『お疲れ様でした』と労うのも忘れない。そのうえで「おめでとう」と祝福するのだ。

 なるほどと思った。何事に関しても前向きなあの国らしいと思った。僕はバリバリの日本人で、泣き上戸で、イチローの引退にはとりわけセンチメンタルになってしまったけれど、こういう「さぁ次だ、次。きっと楽しいことが待ってるぜ!」みたいな視点はこの機会に手に入れたいと考えている。

 

 さて、そんなイチローの引退から時を置かずして、僕は今朝、とある友人の告白を見た。

 普段は明るく、気さくな姿しか見せない友人が内に秘めていた、あまりに辛すぎる結末を迎えての告白だ。

 昨日のうちに予告めいたツイートは見ていたものの、いざ明らかにされたその実情はあまりにも衝撃的だった。

 

 まったく、朝からなんてものを読ませるんだ。おじちゃん、泣いちゃったじゃないか。

  

 人生に挫折はつきものだ。

 過度な期待は叶わなかった時、大きな失望へと変わる。

 否定を受けても傷つかない柔軟な心が肝要だ。


 それらを人生を航海するための信条と彼は心得ているように見える(ちなみに僕はいい歳してるくせに、これらを全然身につけていない。挫折を味わう度に「もう終わりだぁぁぁぁぁ」って嘆くし、絶対に見に行くぞと意気込んでいたAqoursの5thLiveチケットが外れた時は三日ほど落ち込んで何も出来なかったし、否定されたら心がざっくざっくに切り裂かれる)。

 

 そんな彼が「応援してくれたみんなに『ありがとう』と『ごめんなさい』を伝えるために書いた」と言っていて、今はメンタルを持ち直しているようなことも書かれているけれど(もっとも翌日目を覚ました彼が自分の書いた告白文と、僕のこれを読んで大いに後悔する可能性はある。が、書いてしまった。すまない)、それでもやはり彼が受けた苦しみは僕に痛いほど伝わってきてしまう。

 

 僕は先述したように、いい歳はしているけれども基本バカなので、こういう時にどういう反応をしてあげればいいのかよく分からない。

 笑えばいいと思うよ、とアニメファンの彼なら言うかもしれないが、僕の強欲な壺(知らない人は「遊戯王 強欲な壺」で検索してほしい。僕の笑顔はまさにこれそっくりなんだ)スマイルを返した日には速攻でツイッターのアカウントをブロックされるかもしれない。

 

 どうすればいいんだろう? なにをしてあげられるんだろう?

 そう朝から考えて、冒頭のイチローに関する記事を思い出した。

 

 だから友にこの言葉を贈ろう。

 おめでとう! もう君を縛りつけるものはなにもない!

 

 僕たちの人生は長いようで短い。

 だから君が縛られて動けなかった時間がこれでまた動き出したんだと思うと、僕は嬉しく思う。


 確かにこの結末は君だけじゃなく、僕たちだって心から残念に思っている。

 何がいけなかったのか。そんなのは誰にも分からない。

 君の小説みたいに何度もやり直すことが出来たらいいんだけれど、でも思えばアレっていつか自分の思い描いた未来へと辿り着けた本人はいいんだろうけど、そうじゃない世界に残された僕たちはどうなるんだろうと考えると結構寂しい気持ちになるよね。


 それよりも君がまた君だけが紡げる新たな物語で、僕たちを再び導いてくれることに感謝と期待を抱きたい。

 仮に進んだ先が行き止まりだったとしても、また別の道を探せばいい。

 休むことはあっても立ち止まらなかったら、いつかきっと太陽が昇る丘に辿り着けるさ、きっと。


 だから友よ、火星に行くのはまだ早いぞ。

 地球にはまだ君が必要なんだ!

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