彼女が「おめでとう」を言う理由

澤田慎梧

彼女が「おめでとう」を言う理由

「――おめでとうAA11BC。君は適正基準をクリアした。来月から正パイロットコースへ転籍となる。人類再興の為に、その能力を発揮してくれ」


 私が今月の者の名を告げると、教室は盛大な拍手の音に包まれた――が、殆どの生徒達の目は笑っていなかった。彼ら彼女らの目はむしろ、嫉妬や焦燥感、無力感と言った感情に支配されていた。……いつものことだ。

 そして――彼女だけが他のクラスメイト達と異なる反応を見せたのも、いつものことだった。


「おめでとうAA11BC! 私達のクラスから、また卒業者が出るなんて誇らしいわ! 頑張ってね」

「……ありがとう、AA19EE。君も早く卒業できることを祈っているよ」


 卒業者であるAA11BCに「おめでとう」の言葉を送った彼女――AA19EEは、はにかむような笑みを浮かべている。そこには嘘偽りなど全く見受けられず、彼女が本心からクラスメイトの門出を祝福していることが窺えた。

 全くもって稀有な少女だ。


 ――人類が高機能AI「ヤルダバオート」によって、地球圏を追われて幾星霜いくせいそう。火星圏で再起を図る人類は、AIを全廃した代わりに遺伝子調整児デザインベイビーの大量生産を開始した。

 子供達の脳には特殊な改造が施され、二つの能力が与えられていた。

 一つは、機械を超える演算能力を持った生態演算ユニットとしての能力。

 もう一つは、AI軍の宇宙戦闘機に対抗すべく誕生した、一騎当千の人型機動兵器「サタナエル」のパイロットとしての能力。


 子供達はアカデミーへと入れられ、二十歳までの間パイロットとしての英才教育と演算ユニットとしての調整を受ける。

 そして十三歳を過ぎ、適正基準をクリアしたものから順次、正パイロットの訓練課程へ転籍し、やがて戦場へと赴くことになる。アカデミーでは、正パイロット課程への転籍を「卒業」と呼んでいた。


 パイロットとなった者の多くは最前線へ送られ、その大半は戦死する。だが、二十八歳まで生き残りかつ目覚ましい戦果を上げたものは引退を許され、火星首都マーズシティでの生活を許されることになる。

 アカデミーの教官を勤める私もその一人だ。戦友の何人かは、研究職へと転身したものもいる。


 ――更にその内の何人かは、パートナーを見付けを行っている。パートナーを得ることも、そのパートナーと生殖行動をすることも、優秀な元パイロット達に与えられた権利の一つだ。人間が生物である事を忘れぬ為の、神聖な行為なのだ。

 ……私はまだパートナーに恵まれていないので、やったことはないが。


 一方、二十歳までにアカデミーを卒業出来なかった者の末路は悲惨だ。

 彼らは「適正なし」と判断され、自由意志を剥奪された上で、ただの生態演算ユニットとして余生を送ることになる。人間の尊厳を完全に奪われ、ただのパーツとして扱われるのだ。

 だから、クラスから卒業者が出ると……残された者達は嫉妬と羨望、焦燥感と無力感に塗れた視線を送ってしまう。「自分はまだか」「なんであいつが」と。


 違う遺伝子グループから生まれた者の卒業ならば、まだ諦めは付くのだろう。だが、中には同じ遺伝子を持ち同じ教育を受けてきたのに、能力に決定的な差が出てしまう子供もいる。

 そういったケースでは、悔しさも数倍だ。


 ここまで言えば、私がAA19EEを「稀有」と表現したことの意味が分かってもらえるだろう。

 子供達の頭の中にあるのは、「誰よりも早く卒業したい」という気持ちだけだ。他人の卒業を祝福する余裕などない。

 ――にもかかわらず、AA19EEは卒業したクラスメイトを心から祝福しているのだ。今までに卒業者が出た時も、彼女はやはり「おめでとう」と笑顔で送り出していた。なんでも、前任の教官の時からそうだったという。


 何故、そんなことが出来るのか?

 AA19EE達のクラスは既に十八歳。自由意志の剥奪まで、あと二年しか無いのに――。


   * * *


 ――そしてあっという間に二年の月日が流れた。

 私が前任者からクラスを引き継いで四年。私は三十二歳になり、AA19EE達はもうすぐ揃って二十歳になる(彼らは同じ日に製造された)。

 生徒達の中には既に精神に変調をきたす者が出ており、としていち早く薬物で自由意志を剥奪された生徒も数人いる。


 そんな中にあっても、AA19EEは変わりなかった。それどころか、ぎりぎり滑り込みで卒業したクラスメイトに、やはり「おめでとう」の言葉と笑顔を送りさえしていた。


「――何故、君はそんなに笑っていられるんだ? 何故……『おめでとう』と言えるんだ?」


 どうしても彼女の内心が気になってしまった私は、気付けば彼女を教官室に呼び出し、直接問いただしてしまっていた。

 彼女は最初、何を聞かれているのか分からなかったようだが……やがて私の意図を理解すると、少しだけ苦笑し、その茶色の瞳を揺らしながら口を開いた。


「パイロットとして活躍すれば、教官達のように人間らしい生活を送れるんですよね? 卒業すれば、その生活へ一歩近付いたことになる……。仲間の未来が少しだけ明るくなったんです、嬉しいに決まってるじゃないですか」


 そう言って、例のはにかむような笑顔を浮かべた彼女を前に、私はそれ以上何も聞くことが出来なかった。


 ――他人の幸福を我が事のように喜ぶ。今の人類の殆どが忘れてしまっている、人類にとって大切だったはずのその感情を、使い捨てにされようとしている少女が備えていた。その事実は私にとって衝撃だった。

 もちろん、私達元パイロットの中には、そういった感情を芽生えさせた者も少なくない。だがそれは、マーズシティでの安全で安心な暮らしがあってこその話だ。

 AA19EEのような、明日をも知れぬ身の人間に芽生える感情とは、とても思えなかった。


 そして自然と、私はこう考えるようになっていた。「彼女をこのまま失いたくない」と。誰に教えられたわけでもなく、人間にとって尊かったはずの感情を備えた彼女を救いたいと。


 彼女の成績を改ざんし、卒業させることも考えたが……彼女の能力では正パイロットの訓練にさえ耐えられないだろう。すぐにボロが出る。

 ――どうすれば彼女を救えるのか? その方法を見いだせぬまま、無情にも時は流れ、彼女達の二十歳の誕生日がすぐそこに迫った、ある日のこと。

 戦友の一人から、不意にメッセージが届いた。


『無事に子供が生まれました。是非、一度会いに来てください』


 メッセージに添付された写真の中では、戦友がパートナーとなった女性と、彼女との間に生まれた一粒種と共に笑顔を浮かべていた。

 殆どの子供が工場生産される中、自然妊娠は非常に珍しい。生まれた子供は生態演算ユニットとしての能力こそ持たないが、人類復興のシンボルとして丁重に扱われるのだ。


 パートナーの女性は、私や戦友よりも随分と若い。確か、彼がアカデミーに講師として招かれた時に一目惚れした若い女生徒を、多少無理を言ってパートナーにしたんだったか。

 生殖行動のパートナーを選ぶ権利は、退役パイロットに与えられた特権の一つだ。だから無理も出来たのだろうな……。


「――あっ」


 我知らず声が出た。それほど私にとっては意外で――あるいは自然と考えないようにしていた、彼女を救う方法に気付いてしまったのだ。

 確かに、私はまだパートナーを選ぶ権利を行使していない。生殖機能が働いている内は、男女問わずこの権利が消滅することはない。


 だが――教官と生徒として十六歳の時から接してきた彼女をパートナーに指名するという行為は、今の世の倫理に照らし合わせても少々問題があった。

 私は、教官という立場を利用して若い娘をパートナーにした好色家と、後ろ指さされるかも知れない。

 AA19EEは、自分が助かる為に教官をたらしこんだ売女と呼ばれてしまうかも知れない。


 そして何より、彼女が首を縦に振ってくれるとは限らないのだ。

 もし彼女に断られたら……お互いにしこりを残したまま、永遠の別れを迎えることになる。

 でも、それでも――。


『おめでとう』


 笑顔を浮かべながら、巣立つクラスメイトに「おめでとう」を贈る彼女の姿を思い出す。

 他人の幸福を我が事のように喜べるあの娘を、私はこのまま見捨てることなんて出来ない。


 私は、「教官室に来るように」とAA19EEに手早くメッセージを送ると、彼女が来るまでの僅かな時間、深呼吸しながら静かに覚悟を決めるのだった――。


   * * *


「――おめでとう。元気な赤ちゃんですよ」


 その数年後。

 「おめでとう」の言葉を他人に贈ってばかりだったとある女性が、周囲の人々から「おめでとう」を贈られる姿があった。



(了)

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