第13話 目覚めの祝福

 王都への侵略が終わってからの三日間はとても忙しかった、ほぼ休みも取らずに後処理をすることになった。


 あの後、すぐにオトノを探そうとするがシューヤに引き留められ苦渋の決断の末、私はオトノを選べなかった。


 瓦礫の撤去や街中に倒れた死体を運んだり――その惨状に言葉を失い、そんな簡単な表現にしかしたくなかった。

 赤黒く塗られた道に直列に並ぶ死体。家の瓦礫に潰されて苦しんだ顔で息絶えていた者。


 それが仕事なのだから仕方がないけれど、やはり精神的なダメージが酷かった。戻してしまう子だっていた。粗方終わってもなお、皆暗い顔をしていた。



 もしアルバが生きていなかったとしたら、私は壊れていた。絶対に。思えばずっとオトノに助けられてばかりだ。私が今こうしていられるのも全部オトノのおかげなのに。


 それなのに、あの時言うべきだったありがとうが言えてない。本当に嫌な奴。なんて狡いんだろう。


 あんなにも苦しんでいるのに、彼を利用するだけして私は何も返せない、何の助けにもなれない。そんな弱い自分が情けなくてどうしようもない。


 四六時中そんな罪悪感で満たされていた。本当はそんな事を感じる権利、私には無い。彼に失礼だ。


 感謝の言葉を伝えて自己満足したいんじゃない。そんなの誰だってできる。


 私は彼を、オトノを幸せにしたい。心の底から笑ってほしい。生きることが幸福になってほしい。




 ――彼の笑顔が見たい。




 そう思うと居ても立ってもいられなかった。私は慌ててベッドから抜け出す。そこで一度冷静になりルームメイトを起こさないよう静かに部屋を出た。


 一人暗い廊下を走る。疲労でまともに速度は出なかったけど気力を保って足を前に出した。今だけは嘘のように眠気も吹き飛んでいた。


 一歩、また一歩と進む度に闇が深くなる感覚に陥る。自分の進む先が正確か記憶に確認を取りながら角を曲がった。そんなことをしていたら、いつまで経っても闇から抜け出せない。けど、今道を間違えることは死に繋がる、そんな気がした。



 ――そして、ようやく辿り着いた。誰にも遭遇することなく、オトノの部屋の前に来れて一安心した。


 左手で胸を抑え右手の甲を扉に近付けた。触れるか触れないかギリギリの所で心臓は高鳴る。


「……」


 一度手を引いて胸に両手を添えた。自分の胸を赤子に見立てて、優しく抱くようにその鼓動を落ち着かせぐっすりと眠る吐息に変えた。


「――よし」


 再び右手を扉に近付け、そして二回ノックした。


 コンコンッ。


 乾燥した喉を唾液で潤してから口を開いた。


「オトノ…。アリアだけど……、えと…、起きてる…かしら――」


 馬鹿だ。自分で言っておいてそのおかしいことに今更気付くなんて。こんな夜中に部屋を訪ねるなんて失礼極まりない。もしこれで目を覚ましてしまったらどうするのか。


 ――これ以上許して貰おうと思うな。


「ごめんなさい……」


 聞こえる筈もない声で呟き私は右手を下げた。


 ただ、其処から動けない。帰るべきなのかもしれないが、色んな感情が私を此処に縛り付けた。身体はもう前にしか進めなかった。


 自然と私は左手でドアノブを掴んで回していた。


(……あ)


 少し引くと扉に隙間が生まれ鍵が掛かってないと分かった。自分の意思で部屋に入ることは可能、そう考えると手の汗が止まらなかった。


「………、…入る…ね…?」


 返ってくる筈ないと承知の上で、扉を引いた。






 ――瞳が重なった。






 扉を開けて真っ暗な部屋の中に一歩踏み入れた時、ベッドの上で三角座りをするオトノが私を腕の隙間から覗いていた。


「――アリア?」


「あっ…、ごっ…ごめんなさいオトノ!本当は起こすつもりは無くて……」


「…寝てないから、大丈夫」


 そう言うと、オトノは立ち上がり私にゆっくりと歩み寄ってくる。彼は右手を前に出し私に触れる――と思いきや、私のすぐ後ろにある部屋の電気のスイッチを点けた。


「あっ…」


「何かあった…?」


「いや、そうじゃないの…。だけど…」


「……とりあえず座ろう」


 そう言って彼は徐にベッドに腰掛けた。私はお邪魔しますと一声掛けて扉を閉めた。私も彼の隣に同じようにして座った。



「……」


「……」


 彼はじっと見守っていた。自分からは声を掛けずに静かなままだった。だがそれが今の私にとってはとても気持ちが落ち着いたし、最適解だったのだろう。


「ありがとう、オトノ」


 機を見計らって、私は確りと感謝の言葉を伝えた。


「……!…俺だって、助けてくれてありがとう、アリア」


 オトノは少し驚いたような表情を見せてから首を横に振り、悲しげな顔になった。


「……私、間に合わなかったのよ…?」


 怒ったり、八つ当たりしてくれたって構わなかった。あんなこと聞いた後だと、少しでも気が楽になってほしかった。


 彼は一瞬きょとんとした様な顔をして目を動かして、何かに納得した顔になった。


「あー…、もそうだ……」


「それ――」



 えっ?



 話が食い違っている気がする。そんな私を気にもせずオトノは話を進めた。


「アリアには、助けてもらってばかりだ……。…ごめん」


「あ…?え…?私の方こそ…じゃなくて、助けて貰ってるのは、私なの。それで…何もオトノにしてあげられなくて…」


「――必要?」


 俯いていた私はぎこちない動きで目を向けた。


「へ?」


「十分救われてるんだよ、俺は…」


「……」


 まただ。まるで説得力が無い言葉。救われていても、幸せじゃないとダメなんだ。


「何度も言うけど、あなたに幸せになってほしいの!」


 声が大きくなってしまった。少しだけ落として、でも、それでも伝えたい事が多すぎる。


「あなたはもう私にとって大切な人なの。だからお節介だと言われても構わない。皆が笑って、あなたにも笑ってほしいの」


 オトノは無表情のままだった。ちゃんと聞いていたのか疑いそうになるけど、そうと一言呟いて私から目線を外した。


 彼は手を組んだり組み直したりして次第に俯いていく。何かに悩んでるのは確かだった。


「私はあなたから色んなものを貰ってばかりなのに、何も返せてなくて…。不公平だよね…。――オトノ、あのね…。アルバを助けてくれてありがとう。私、あの時取り乱してて、嬉しくて。お礼を言いそびれて――」


「――凄く気持ち悪かった」






 酷く寒気がした。不安がこびりつく嫌な感覚。私は取り返しの付かないことをしてしまったんじゃないかと。


 凍ったような首を動かし恐る恐るオトノを見つめると、目元から雫が落ちていた。






「治したくないって…思ってしまった。アリアを幸せにしたいと……思ってる筈なのに、戸惑ってしまった……。薄々気付いていたから、余計…思った」


 …ああ、これだ。私も哀しくなってしまう姿だ。


「わからない…。本当に自分が何をしたいのか……」


 私も限界になり、涙を流していた。


「意思とか、感情とか、自我とか……。全部…自分のものなのに、わからなくて…怖い……」


 彼が本当に救われているのかなんて、そんなこと言葉じゃ幾らでも偽る事ができる。そうだとしても五十歩百歩、誤差でしかない。これは、まだ救われてない。


「アリアが、笑った事に安心したんだ…。本当に…気持ちが悪い……!こんなこと自覚できなければ、苦しまなかった、けど…!そんな奴になりたくない…!!」


 両手から溢れたその涙が手首や腕を伝っていく。


「嫌だ…」



 彼は今、世界で一番弱かった。だから、勝つことが不可能だった。


 彼よりも自分の方が不幸だと嘆く者がいたら幾らでも殺してあげたい。彼そのものを批判し、否定し、馬鹿にする者がいたら誰であっても一生許すことはできない。


 でもそれ以上に、彼を不幸から守ってあげたい。身に降りかかる災難全てを払い除けてあげたいって、そんな気分だった。


 でも結局それが私にはできなくて、彼は泣いてしまった。


 


 私は過去を知らないけれど、彼はこの世界でもずっと不幸なままなの?


 少しくらい、報われたっていいのに、それすらも許されないの?


 ふざけてる。


 ふざけるな。



 不条理を決意に変えた。



「オトノ」



 泣いてる場合じゃない。涙を指で優しく拭って私は微笑んだ。



「私が着いてるから。だから、安心して」



 今、此処で誓おう――。






「私はあなたが笑えるその時まで、ずっと傍にいるわ」






 私がそっと彼の右腕に触れると彼は拒んだ。まるで殺人鬼が目の前にいるかのように酷く怯えた表情をしていた。



 そのような態度は今までで初めてだった。



「……えっ」



「どうして……?」



 オトノが涙ながらに問う。しかしそれだけでは何も伝わらず、ただオトノに拒否された事実が私を哀しくさせた。



「――聞いていい?」



 茫然としていた私に再度問う。



「絶対…、違うって言うはずだから…」



 私は唾を飲み込み、一言一句聞き逃さないように耳を傾けた。



 その言葉は、やはり衝撃的な一言だった。






「――アリアは俺の事をどう思ってる?」





















「――ん…」


 窓から曙光がさしてきた。その柔らかな光が朝を知らせている。


 身体を起こして壁の時計に目をやると、時刻は午前5時から5分前を示していた。


「ふわ……」


 大きな欠伸をしてから視線を落として左を見ると、黒い艶やかな髪と、きめが細かい肌を持つ彼が眠っていた。

 睫毛や指先、色んなところをじっくりと観察するとその一つ一つが女性のようにしか見えない美しさを持っていた。


「……」


 私はその前髪を子供じみた悪戯のように掻き分けた。嫉妬ではない、はず。ちょっぴり魔が差しただけ。



 いつの間にか、彼の部屋で寝てしまっていた。それも二人一緒にだ。数時間程度とはいえ、普通の人なら恥ずかしさを感じるだろう。


 こんなところを他の人に見られたらどうしよう。あまり茶化されたりするのは御免被りたい。


 五時になれば起床の時間だ。いつもよりも一時間早いのは非常事態なので仕方がない。しかし野宿をしないだけでも疲れの蓄積が全然違う。凄く身体が軽くて――、


 よく考えたらここまで疲労が回復するのはおかしい。


「ありがとう」


 私は立ち上がり彼の寝顔を最後に見ておこうと振り返った。


 そこには背中を丸めて膝を抱えながら眠るオトノ。






 それと――、






 “腕”。











「!!??!?」











 壁から、肌が爛れるどころか剥がれたように肉が見えて痛々しい腕が肘の辺りまで突き出ていた。




「ひっ…」




 あまりにもグロテスク過ぎる光景に一歩後退ると、彼の部屋に置かれた剣が踵に触れた。私はそれを掴み一瞬にして抜刀した。




 剣を中段に構え呼吸を整える。一回一回深く、ゆっくりと。酸素を肺に送り血液に巡らせていく。額や背筋から冷や汗がダラダラと流れていく。




「ハァ…ハァ……っ、あれ…これって……?」




 謎の違和感。それは以前感じた事がある恐怖であると気付いた。




 腕ではなくその奥、腕が生えている壁に目を移す。




 そこは白い壁ではない。白く光る、に変化していた。




「――そんな」




 オトノと初めて合う前に感じた気配。




 それは紛れもなく、オトノをこの世界に連れてきた異能スキル




「なんで此処にッ…!?」




 今まで感じた事のない種類の怖さ、それが何なのか自分には理解不能だった。




 両腕が何かを探るように空気を分ける。遂にそれが動き出し、嗚咽が込み上げそうになる。もうこれ以上何もしないまま、帰って欲しかった。




 ――しかしその願いは届かない。




 ピタリと止まったかと思うと、今度は水面が揺れた。光は強まり波紋が広がっていく。それは腕がどんどんとこの部屋に侵略しているからだ。





 肩まで到達しそうになると、水中にあるその人物の色がはっきりと見えてくる。それは。水を象徴するかのように深い青色の髪の毛がぼやけながら見えてきていた。






 ――ザバザバと、水と空気が掻き混ざる音を立ててその人物は水面から顔を出した。






 それはとても長い紺色の髪で自分の腰よりも下に来そうな程のロングヘアー。腕だけでなく顔も同様に酷く肌がない部分はとても生々しい赤色をしている。恐らく全身がそうなっていると推測できる。




 顎のラインや肩の形、更に水で濡れてその豊満な胸が透けそうな白いドレスを身に付けていることから、それが女性であると判別した。きっと美しい女性だったことが容易に想像がつく。




 その女性は目蓋を開き、エメラルド色の目が私を見つめていた。




 






「~~~~~~~」




「へ……」




 聞き慣れない言語。オトノと同じように分からなかった。思わず間の抜けた声が漏れた。




「~~~~~」




 彼女は何かを訴えかけ、左手を伸ばしていた。私にその指先を届かせようと必死に懇願しているように見えた。

 私はただ立ち竦む。ずっと眠ったままのオトノに助けを求めるような視線を送るも彼は静かに寝息を立てていた。




 狼狽えている私に、その女性は口角を上げてから口を開き、






「~~~~、アリア」






 ――確かに私の名前を呼んだ。






「え………?」




「……」




 それ以降、彼女は何も喋らないまま手を伸ばしていた。私は酷く動揺した。言葉も違う相手が私の名前を知っていた。何故?




 訳が分からないまま、彼女を覗いた。




「……」




 なんだろう。……




 オトノの様に、可哀想だった。よく見れば目元が歪んでいるがそれはきっと痛みによるものだ。全身が常に焼けるように痛いのかもしれない。そうじゃないとしても、女性にはあまりにも酷い仕打ちだった。自分の肌が見るに耐えない有り様なんて。




 ――そうか、分かった。




 だ。




 私は左手で剣を持ち、空いた右手で彼女の手を下から迎えようとする。




 思えば、私はオトノにも恐怖を感じていた気がする。前例があるからか、自分の勘を信じたかのか私でも定かではない。しかし、触れて良い気がした。




 ――彼女の左手の人差し指が、私の手のひらを触った。たったそれだけで、彼女は満足したような表情を浮かべて、ゆっくりと目を閉じる。




 それが別れの合図。水面に落ちていくように、彼女の身体は沈んでいく。腕が全て沈み今度は手首と来たところで、彼女の手が左右に揺れた。




「――バイバイ」




 そう言われた気がして、私は手を振り返していた。




 数秒後、白く光る水面は消滅した。




「……誰だったんだろう」


 あれほど怖がっていたのに、私は今は何とも感じていなかった。


 彼女は、オトノをこの世界に送った張本人?そして、送った…?


「わかんない…」


 そうだとしてもどういう意図で?考えれば考えるほど謎は深まる。


「――自分が分からない」


 オトノが泣きながら話してくれた言葉がいつの間にか口から出ていた。でもその通りだった。




「私は……、何者なんだろう……」




 私だけ異能スキルを持ってなくて、オトノと彼女は私に優しくしてくれて、彼女は私を知っていた。




「わかんない……」


 壁に寄り掛かると、時計の短針は五の中心に止まり、兵士達に起床のベルが鳴り響いた。


 オトノはその音を厄介そうにして目を覚ました。


「おはよう…オトノ」


「?……ああ、おはよう」


 私の様子を不思議そうにオトノは見ていた。


「先に行ってるわ」


 迷ったあげく、私はオトノに言い出せなかった。極めて平静を装い私はオトノの部屋を立ち去った。



 なんだが、彼に治して貰ったのに私は疲れていた。私は深呼吸をしてからため息をした。

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