後編

 生まれてきた赤子が魔法使いであるかどうかの判別は容易だ。母体から出てきた赤子は、健康的な甲高い産声と共にもう一つ、生まれたばかりで制御できない“奇跡”を辺りにまき散らす。

 アルカの場合は氷だった。産声と共に、様々な形の氷の結晶が彼女の生まれた部屋中に飛び散った。

 魔法使いが生まれる周期は大体決まっている。ゆえに、その周期に子を身ごもった母親は全員専用の施設に集められ、徹底した検査やケアが行われ、万全の態勢で出産の日を迎える。そんな中で、アルカ・フーリカイアという魔法使いは誕生した。

 魔法使いは魔法使いとして生まれた時点で、生みの親の子ではなくなる。生まれて数時間と経たぬうちに親と引き離され、親子であるという記録は全て末梢され、一生の関わりを断たれるのだ。

 それは子にとって、とても不幸なことだろう。だがそれは親の側にも言えることだ。愛した人との間に身ごもり、歯を噛み砕くような思いをして産んだわが子が、時計の針が何周か回るあいだに、一生関わり会うことない天上の他人になるのだから。

 だが勿論、ただ無理矢理に引き離すわけではない。両親側が子といることを望めば、親子ということを伏せるという条件付きでだが、世話係として雇われ実質自分の手で育てることができる。子が分別できる大人まで育てば、色々と制約はあるが親として接する時間を設けることもできる。ただ、アルカの両親はそうしなかっただけという話で。


 いうまでもないが、アルカの一生はあまりにも保障されている。だが、それはアルカだけではない。いまも街で普通の家族として暮らすアルカの両親にも、アルカと同等に近い一生分の保障をうけている。アルカの両親は、娘として育てることができないまま娘と一緒にいることよりも、明日どうなるかすらわからない生活が、確かなもの――いや、それ以上になることを望んだ。ただそれだけのことだ。



「なんで……!なんで……!!なんでなんだよ……!!」


 頭にまとわりついた『なんで』を叫び散らしながらアルカは走る。

 なんで出会った?なんでわかった?なんで逃げている?なんでこんなにもぐちゃぐちゃになる?

 視界はうつろだ。自分がどこを走っているかすらわからない。がむしゃらに走っているから、ずっと誰かにぶつかっている気がする。どうでもいい。色々な声が聞こえる。僕は知らない。

 アルカは走る。走ったってなにがどうなるわけでもない。だが、走る。


「クソあああああ――!!」


 そして、叫ぶ。

 けれどもう、その叫びを聞いているものは誰もいない。

 アルカが疲れてへたり込んだその場所は、ひどく寂れていて、人気の欠片もなかった。

 逃げた街で逃げた先は、薄暗くて寒い。

 幼い頃、アルカはあの窮屈な屋敷で生まれ育ったのだと聞かされていた。そしてそれを信じていた無垢な幼い少女は、成長するにつれて失われていく無垢さの代わりに真実を得ていった。

 本当の両親にはもう会えないと知らされた時、それでもアルカは前を向いていた。顔も名前もわからない両親が自分に残してくれたものはなんだろうと考えた。そしてそれは名前だった。『フーリカイア』は代々の魔法使いから受け継がれてきたものだということは知っていた。けれど、『アルカ』はきっと両親が自分に残してくれたものなのだろうと。しばらくして、それは違うということをアルカは知る。

 どこかの偉い老人達が、議論に議論を重ねて決定した名前なのだということを知った。そして、知るを重ねてでた結論が『両親は金のために自分を捨てた』というものであっても、アルカは密かに希望を持っていた。この世界のどこかに住んでいる両親は自分のことを忘れずにいてくれて、親ということは明かせなくとも、いつか会いに来てくれるんじゃないかと。

 さっきの家族は、一目で裕福だとわかるようないい身なりをしていた。とても楽しそうで、幸せそうだった。見た目十歳前後のあの子供は二人の子供なのだろうか。いつか自分が付けられるはずだった名前で呼ばれているのだろうか。

 考えても仕方がない。ただ変わらない事実は、アルカが密かに抱いていた希望はとっくに崩れていたということだ。


 アルカの視線の先は、入り込んだら二度と戻ってこられないような気がする暗い路地。振り返っても、街の喧騒を置き去りにした誰もいない――。ついさっきまで一緒にいてくれた少年の声も形もない。当然だ。その少年を置き去りにしたのはアルカ自身なのだから。


「そろそろさすがに、抜け出したのばれたかな?」


 誰からの返事もないのはわかっているが、それでもアルカは誰かに語りかけるように呟く。


「僕、間違ってたのかな?」


 だれも答えない代わりに風が吹いた。露出した肌の部分をなでられて寒い。

 

「ちょっとは、楽しくなりそうだったのになあ……」


 あの場所を通らなければ、ほんの少しでも時間がずれていれば、あの家族が荷物を落とさなかったならば――。

 そんなもしもを考えるたび、むなしさに埋もれていく。

 ふとアルカは、座りこんだまま右の手のひらを上に向けて念じる。みるみるうちに、アルカの手のひらに氷の結晶が集まり、形を作っていく。

 できあがったのは、先が鋭利にとがったつららの様な形状の氷だった。軽く人肌に突き立てれば、ひとたまりもないような――。

 そうだ、現状を変えるものはずっと持っていた。この広い世界でたった一人、アルカだけが扱える“奇跡”の力。今までは暇なときに彫像を造って遊ぶ程度の使い道しかないものだったが、その奥底に眠る力のほどをアルカは感覚で理解している。

 それこそ、いますぐにでも全部を――。


「バカか……僕は……」


 アルカは自嘲気味に笑う。それができないから、僕はこうなってるんじゃないか――と。

 もういっそ、この氷で自分の喉を突いてしまおうかとも思った。けれど思うだけだ。ばかばかしくなって、アルカは手のひらを空にする。

 いま、何人の人間が自分のことを探してしるのだろうか。あのお人好しも探してくれているんだろうか。

 アルカはそっと、そばにあった積まれてある木箱の裏に身を隠す。誰にも見つけて欲しくない、そう思って。


「ふっ……ぐぅ……ひっ!」


 自分が泣くところを、誰にも見られたくなくて。


 ゴガンッ――!という大きな音がした。

 アルカは驚いて、嗚咽と共に肩をふるわせて顔を上げる。

 二段重なっていた木箱の上側が盛大に吹っ飛ばされていた。木箱一つ分あいた視界からは、太陽が見えた。


「ごめんっ!遅くなった!」


 太陽が言う。

 よくみるとそれは太陽ではなく、金色の髪で、とても新しく記憶に残った顔――ビッズだった。


「な、なんで泣いてるの?!」


 アルカがなんでと口に出す前に、ビッズがなんでと驚いた声を上げた。


「いや、その、違うんだ!アル……エトが急に走りだしたから急いで僕も追いかけたんだけど、ほらキミ、色んな人にぶつかりまくってただろう?とりあえず一言謝りながら追いかけてたら、たちの悪い感じの人に捕まって仕方ないから返り討ちにしてるあいだに見失っちゃって、それで」


 泣いているアルカを見て気が動転し、とりあえず言い訳の言葉をビッズはまくし立てる。やがて、こういう時に言い訳は好感度が下がるだけだと思い直し言葉を止めてそのまま、


「ごめんなさい!!」


 そう言って深々と頭を下げた。

 アルカは、目の前でテンポよく繰り広げられる珍事を、呆然とした表情で眺めていた。けれど、涙はいつの間にか止まっていた。


「お前、バカなんじゃないのか?」

「はい、オレはバカです。本当にごめんなさい」


 アルカがやっと口から出せたのは、今日一日ですっかり言い慣れてしまった罵倒だった。ビッズはそれを素直に受け止めて、謝罪の言葉を繰り返す。

 いいや、違う、こういうことが言いたいんじゃないと、アルカは首を振る。


「謝るなよ……。悪いの全部僕の方だし、急にごめん……いや、悪いとは思ってるんだけど、いまは謝りたいわけじゃなくてその……」


 歯切れの悪いアルカの言葉の続きを、ビッズは顔を上げて待つ。どうやら自分は見放されたわけではないという安堵の表情を浮かべながら。


「その……見つけてくれてありがとう……」


 なんだか気恥ずかしくなって、アルカはビッズから目をそらす。いまお礼をいうのは少し違うと思った。けれど言いたくなった。

 それぐらい、いまここにビッズが来てくれたことがアルカにとって嬉しいことだった。

 アルカは無言で手を伸ばす。ビッズは一瞬ためらったが、今度こそという風にその手を優しく包み込んで、引き上げる。


「……なにも、聞かないのか?」


 黙ったままのビッズに、アルカは問いかける。


「エトが教えてくれるなら、全部聞くよ」


 あたりまえのようにそう答えるビッズに、自然とアルカの口角が上がる。そして思う――やっぱりバカだ、こいつ。


「あのさあ、お前にとって僕ってなんだ?」


 ここでなにも教えないのはずるいとアルカは思う。けれどそのずるさを、ビッズという少年は許容してくれる。だから、アルカはまた問いを重ねる。

 ビッズ心は穏やかだ。彼は今まで、アルカにたいして、言葉ではうまく表せないような、入り交じった感情を抱いていた。けれど、今日アルカに会って、その人となりを知って、やっとわかった。

 結局のところ、全部なのだ。

 混じったものがバラバラになって、その一つ一つがビッズの中で確立している。後はそれを言葉にするだけだ。


「オレにとってキミは――……。憧れの魔法使いだ。尊い存在だ。支えだ。なにかをする理由だ。――好きな、女の子だ」


 ビッズは目をそらさずにそう言い切った。

 ビッズの言葉が、アルカの身体に入っていく。ストン――と、なんだかとても楽になったような気がした。ビッズとは対称的に、アルカの鼓動はとても安定していた。

 そして気がつく。ああ、そうか、諦めがついたのだと。――いや、違う。諦めというほど悲観的な感情ではない。これは、納得だ。自分が自分であることへの肯定だ。


「エ、エト?」


 なにも言わないアルカに、ビッズは不安そうに声をかける。告白紛いのことを言い放ったのだ。その胸中は大荒れの海のようにめちゃくちゃだろう。

 そんなビッズを見て、アルカはこらえきれずに笑いをこぼす。そして晴れやかな顔で言った。


「アルカでいいよ」


 魔法使いなんて大層な称号も、“奇跡”なんて使い道のない力もアルカは決して好きではない。ただどうしてもそうであるから、アルカは魔法使いとして生きてきた。捨てられるものなら捨ててしまいたいと思いながら。けれど、目の前の少年が憧れてくれるというのなら、好きでいてくれるというのなら、僕は『アルカ・フーリカイア』でいいと、そう思った。


「さ、行こう。まだ楽しいところ連れてってもらってないからな。期待していんだろう?」

「もちろん――!」


 胸を張って答えるビッズと共に、アルカは歩き出す。先導するビッズについて行くアルカだが、二人の距離はほとんど横並びのようだった。

 なぜアルカが泣いていたかビッズは結局わからずじまいだ。アルカが教えてくれないのなら、自分は知らなくていいのだろうとビッズは納得している。告白地味た発言もどう捉えられているか気になるところだが、まあいい。アルカはいまとても楽しそうに笑っている。それでいいのだ。だから、ビッズは結局最後まで言うことができなかった。楽しい場所など、思いついていない――と。



「げぇ……」


 少し広い道に出たところで、ビッズの後ろから虫が潰れたような声が聞こえてきた。アルカの声だ。


「あれ、うちの使用人だ」


 なにかを聞かれる前に、アルカは言う。前を見るといかにもというようなタキシードに身を包んだ男が歩いてきていた。


「え……ど、どうするの……」


 不安そうに尋ねるビッズ。夢の時間はいつまでも続くわけではない。こうして見つかってしまった以上、時間切れだ。

 アルカがおとなしく帰ると言い、事の次第をしっかりと説明すれば、ビッズが罰をうけるというようなことにはならないだろう。アルカはもう、ビッズから一生を歩んでいけるようなものを貰っている。彼には悪いが、ここらで潮時だろう。

 ――否。まだだ。まだ足りない。ここまで来たんだ。ビッズには徹底的に自分が満足するまで付き合って貰う。


「なあ、ビッズ。今日のお礼代わりにさ、みせてやるよ」

「え――?」


 初めて名前を呼んで貰えたうれしさに跳ね上がりそうになるビッズ。それはそれとして、アルカの表情はとても凶悪に見えた。

 ある種の覚悟を備えたその表情のまま、アルカはこちらに歩み寄ってきている使用人の男に向けて両腕を突き出す。

 その瞬間、使用人の男は驚愕し、歩みを止め逃げだそうとするがももう遅い。


「僕の“奇跡”の力をなあ!!」

「ごばぁっ!?」


 叫ぶアルカの手から勢いよく氷の球が飛んで、使用人の男の顔に命中する。

 使用人の男はそのまま両足を宙に浮かせ、綺麗な弧を描きながら後ろへと倒れてそのまま動かなくなった。


「っしゃあ!当たったあ!あっははははは!」

「エェェエエエ……」


 目の前で起こった出来事が理解できず、ビッズは呆然と立ち尽くしていた。てっきり感心されると思っていたアルカは、少し不満そうにビッズの腕を掴んで言った。


「なにぼさっとしてるんだよ。早く行くぞ」

「いや、ちょっとあの人は!?」

「んー、大丈夫死んでないって。気絶してるだけだよ」


 多分――という言葉をアルカは飲み込んだ。たしかに、思ったよりずっと速いスピードで球は飛んでいったし、使用人の男はものすごい勢いで反り返っていたが、そこまで制御できない力ではない。が、不安そうなビッズを見ているとアルカも段々と不安になってくる。とりあえずは一刻も早くこの場を離れたかった。アルカを探しているのはあの男一人ではないだろうし――と、気がつけば、アルカが掴んでいたはずのビッズの腕はそこにはなく、アルカの目には走り出す少年の姿が映っていた。


「大丈夫ですかあ?!」

「あっお前バカ!ほんとお前……バカああ!!」


 アルカの叫びは、お人好しバカには届かず空へと消えていった――。



「いやあ……びっくりしたね」

「うん。僕もびっくりだ」


 街中を、ビッズとアルカがぼんやりと話しながら歩いている。


「まさかお許しがでるとはねえ……」

「そうだな。というか、お前って実は凄いのか?」

「さあ……わかんない」


 幸い、あの使用人の男は転んだ拍子に地面で頭を打っただけで、ビッズが声をかけるとすぐに意識を取り戻した。

 それからのことはわざわざ語るまでもなく、「帰りましょう」「帰らない」の堂々巡りである。

 いまおとなしく帰ればおおきな問題にはならいが、これ以上時間が経てばどうなるかわからないと言われても、アルカは首を縦には振らなかった。まだもう少し、もう少しでいいからビッズと一緒にいたいと、意地になっていた。

 空にはいつのまにか夕日の紅で染まっていた。このまま空が暗くなっても終わりそうない口論を、ビッズは口をだそうかどうか悩みながら眺めていた。

 しかし、アルカとだけ話していてはらちがあかないと判断した使用人が、ビッズも巻き込もうとしたその瞬間、事態はようやく動いた。


「――あれ、きみ、もしかしてビッズ・デタルクでは?」


 ビッズ・デタルクという人間は、本人が思っているよりもずっと有名人である。

 日頃からの人助けや積極的な奉仕活動への参加。勉学にも秀でており、おまけに武道も習っている。いつかでた大会では優勝を果たしたほどだ。

 彼の能力、人柄は多くの人物からの信頼を得ており、『道行く三人に一人はビッズ・デタルクの世話になっている』という噂も、なんら大げさではないのだ。

 それらは全て、憧れの存在であるアルカに少しでも近づくための多大なる努力の結果だということを知る人物は少ないが。

 なにはともあれ、ビッズが積み重ねてきた信頼の影響は、いままさにアルカを連れもどさんとしている使用人の男とて例外ではない。

 そこから話の収束は早かった。

「キミなら問題はないだろう。あまり遅くならないうちに、アルカ様を満足させて送り届けてくれ。ほかの連中にはうまく言っておくから」と言い残し、使用人は去って行った。 

 そしてここで、問題は原点に立ち返る。すなわち、アルカを楽しませなければならないと。

 時間はたっぷりあった。けれど、それどころではない状況が続き、結局ビッズはアルカが楽しめそうな場所を思いついていないのである。

 道の真ん中で呻くビッズに、アルカは遠慮がちに声をかける。


「なあ……別にもういいぞ?無理してどこか連れてって貰わなくても」

「ごめん……。オレ最初から、人気がなくて楽しいところなんて知らなかったんだ」


 耐えられないというように顔を覆い、謝罪するビッズ。

 それをみて、アルカは軽く笑いながら謝らなくてもいいよという風に言う。


「いやいや、最初からそんなのわかってたから」

「え゛、嘘……」

「ははっ。やっぱりお前、バカだよな。いいよ、どっかその辺座ってしゃべってよう。そろそろ暗くなってきたし、あんまりぶらつくのも物騒だろ?僕はお前といるだけで楽しいよ」

 ビッズの顔がみるみる赤くなる。戸惑うビッズを見て、自分が今何を言ったか理解したアルカは、そっと顔を隠すようにビッズに背を向けて歩き出した。


「ああっ!!あったあ!!」


 後ろからいきなり響いたその声にアルカは飛び上がり、ビッズに怪訝な表情を向ける。


「な、なんだよ。びっくりするだろ」

「もう夜だ!」

「みりゃわかるけど」

「暗い!」

「う、うん……」


 なぞの迫力に、少し気圧されるアルカ。


「あった!あったんだよ、楽しい……かどうかわかんないけどいい場所が!」


 今更どこだよとアルカが聞く前に、いつの間にか手を引かれて歩き始めていた。

 なにがなんだかわけがわからない。けれど、アルカの心は弾んでいた。口元が緩むのを抑えきれない。別に手を引かれなくても走りだしてしまいそうだった。

 アルカは今、とても楽しい――と、心から思っていた。


 気がつけば、周りは草と木で埋めつくされていた。

 一歩歩くたびに、枝の折れる音がする。明らかに人が通る場所ではないが、何度も草木が踏み固められ、かろうじて道と呼べる場所を、二人は通っていた。


「お前……女の子の僕をこんな所に連れ込んでどうする気だよ。バカなことしたら冗談じゃなくお前の人生終ばあっ!?」


 そこそこの時間、なにも告げられず不安定な場所を歩かされ、さすがにしんどくなってきたアルカは、冗談半分文句半分でビッズに話しかけている。するといきなり頭をつかまれ、無理矢理下を向かされた。


「お前ぇ……!いきなりなにすんだよ!!」


 土に向かってアルカは叫ぶ。頑張って正面を向こうとするがびくともしない。ビッズの力は平均を軽く超えるぐらいには強いのだ。


「あ……ごめん。上向いてほしくなかったから。ちょっとだけだから我慢して」

「せめて一声かけろよ!」


 もっとも過ぎるアルカの文句に、ビッズはまたごめんなさいと謝る。謝りはするが、アルカの頭は、手触りのいい帽子と一緒に器用に押さえつけたままだ。

 やがて、感覚から広い場所にでたと、アルカは理解する。それと同時、やっと頭の手がどけられる。


「お前なあ――…………」


 アルカは歩いた歩数分たまった文句を言おうとして、勢いよく顔をあげる。

 そしてそのまま視線も、文句も、一瞬にして空に吸い込まれた。

 ビッズも空を見上げている。

 とっくに陽の光がなくなったその空は、無数の輝きで満ちていた。

 あまりにも美しい無数の光の点――満天の星空が見渡す限りに広がっていた。


「どう、ここ。オレのお気に入りの場所。気に入って――」


 いったん空からアルカへと視線を戻したビッズは、ひとまずの感想を聞こうとして、止まる。


「な、なんで泣いてるの!?」

「え――?」


 自分でも気がつかないうちに、アルカは泣いていた。空を見上げたまま、大粒の涙をボロボロと下に落として。


「え――?あれ――?なんで――?」


 拭っても拭っても、すぐにまた溢れてくる。

 悲しいはずがないのに。ただただ、この星空が綺麗で――。ああ――そうだ、星空が綺麗だからだ。

 もういいやと、アルカは涙を拭うのをやめる。

 涙は溢れたままだが、ビッズを心配させないように精一杯笑顔をつくる。


「ありがとう、ビッズ――。僕の夢を、叶えてくれて」



「もう大丈夫?」

「うん、悪い」


 広い平原に座り、アルカとビッズは星を眺めていた。

 ずっと光を放つ星も、瞬きする間に消えてしまう流星も、ただただ綺麗で、まるでこの場所だけ時が進んでいないかのようだ。


「子供の頃――今も時々読み返す本があるんだ」

「うん」


 ぽつりと、アルカは語り始める。


「主人公の女の子はお姫様で、けれど生まれつき目が見えなかったんだ。だから、危なくないようにって、女の子はずっと塔のてっぺんに閉じ込められていた」


 ビッズは黙って、アルカの語りに耳を澄ませる


「ある日、塔の窓が割れる音がして、声がするんだ。『ボクは空の王子。キミの目を治してあげよう――』って。空の王子様が手をかざすと、お姫様の目がみえるようになったんだ。まずはじめに見たのは、とてもかっこいい王子様の顔だった。お姫様は無言で手を伸ばすんだ。すると王子様は、その手を優しく握って、そのまま女の子を窓の外に連れ出した」


 ビッズはふと、今日初めてアルカを見つけたときのことを思い出す。


「お姫様は生まれて初めて見る星空にとっても感動して、感動しているお姫様を見て王子様も嬉しくなって――。そのあとは二人で星空を旅して、王子様はお姫様に色々な星の話をしたりして、とっても幸せな時間を過ごすんだ」


 ビッズは空を見上げる。流星が二つ、流れていった。


「幸せな時間はあっというまにすぎて、お別れの時に、王子様が言うんだ。『そんなにこの星が気に入ったのなら、全部地面におとしてあげようかい?』って。女の子は首を振って、『その必要はないわ。だってまた、貴方が連れてきてくれるんでしょ?』って言うんだ。王子様は照れたように顔をかいて、約束の証としてお姫様にそっと口づけをしたんだ――そんな話」

「とっても素敵な話だね」


 一言、ビッズはそう言った。

 二人の間にある距離がなんだかもどかしくなって、アルカはビッズの方へ身体を寄せる。

 肌があたって、思わず距離をとろうとするビッズをアルカは掴んで、そのまま自分の体の方へ引く。

 ぴったりとお互いがくっついた状態で、アルカはもう一度お礼を言う。


「ありがとうな――。夢だったんだ。あの話みたいに、綺麗な星空をみるのが」


 これまで何度も何度も、部屋の窓から星空を眺めた。けれど、感動できたことなんて一度もなかった。アルカがいままで見てきたのは、ただの星がある空でしかなかった。


「そりゃ、僕は盲目じゃなかったけどさ。でもやっと――星空が見えた」

「……オレで、よかったのかな?」


 遠慮がちに言うビッズの肩を、アルカは軽い力で小突く。


「お前でよかったんだよ――」


 


 それから二人は、星の下でゆっくりと語り合った。


「あの星はなんていうんだ?」

「ごめん。わからない」

「じゃあれは?」

「ごめん。それも――というか、全部知らない」

「駄目じゃん」

「うっ――。……でも、凄く綺麗だ」

「うん、綺麗だ。――なあ、あの星全部おとしてくれよ」

「無理だよ……」

「ちぇー。じゃ、仕方がない。また連れてきてくれ」

「もちろ――いや、大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。ちゃんと抜け出すから」

「いや抜け出すのはどうかな……」

「うるさいなー。じゃあお前が迎えに来てくれよ」

「――それなら、うん、頑張ってみる」

「本当に?」

「ほ、本当に」

「約束だ」

「うん、約束――ええ?!」


 約束――。その証を求めるように、アルカはビッズに顔を向けて、目を閉じて待っていた。


「え、いや、ちょ、本気?!」


 アルカは何も答えず、ただ待っている。けれど、あわあわとうろたえにうろたえるビッズにとうとう我慢できなくなって吹き出した。


「ぷっ――あっはははははは……はーあ……バーカ」


 いたずらっぽくそう言って、服の裾を払ってアルカは立ち上がる。

 そのまま、間抜けのように口を開けてへたりこんでいるビッズに手を差し出す。


「さ、送ってってくれよ。王子様」



 これから二人は、いくつもの夜をともに過ごして、何度も星空の下で語らうのだろう。

 けれど、何度同じ光景が積み重なっても、この夜は、この一日は、アルカ・フーリカイアにとって決して色あせることのない特別な日だ。

 これはたったそれだけの、なによりも輝かしい――そんな話だ。

 

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遙か降る星の下で 林きつね @kitanaimtona

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