遙か降る星の下で

林きつね

前編

 少女は生まれた時、全てを奪われた。

 少なくとも、少女自身はそう思っていた。そして、歳を重ねていっても、その考えは変わらなかった。


 魔法使い──大昔、そんな存在が、"奇跡"と呼ばれる力を使うことの出来る人間が、この世界には沢山いたのだという。ある者は火を操り、ある者は雨を降らし、ある者は傷をたちどころに治したという。

 しかし、時代の流れとともに、当たり前だったその存在も、珍しいと呼ばれるほどに数を減らしていき、やがては神に選ばれた存在へ──そして、ついには途絶えてしまった。

 けれど、近年になってその存在が再び世界に現れるようになった。

 先祖返り──とでも呼ぶべきだろうか。百年に一回の周期で、“奇跡”の力を持った魔法使いが生まれてくる。

 少女――アルカ・フーリカイアも、とある時代、世に生まれた世界でただ一人の魔法使いだ。

 それは誰もが得がたき幸運。神に選ばれ、人々から尊ばれ、神秘を持ち、安寧の象徴として何一つ不自由ない一生を送る。

 けれど、はじめから全てを――いや、全て以上を手にしているということは、万人が人生を費やして得るものを得られないことと同じで、与えられた自由はまるで鉄格子で囲われているかのような窮屈さで――。

 アルカ・フーリカイアは神がいるかもしれない天に叫ぶ。「なんて余計なことをしてくれたんだ!」と。

 生まれてからすぐ、自身が魔法使いであるとわかったときから、本当の両親と引き離されて、豪華な屋敷に住み始めた。常に象徴であることの品格を求められ、振る舞いをたたき込まれ、やりたくもないことが次々とできるようになった。月に一回、人々の前に立ち、誰かが用意した祝詞を読んで、他に一切使い道のない“奇跡”を余興がわりに披露して、興味のない人間関係を築く。

 選ばれた自分をなにより疎ましく思うアルカにとって、それは苦行以外のなんだというのだろうか。もちろん、その苦行を行ってもなお、おつりが出るほどの暮らしを彼女はしている。

 誰もが羨む場所に住んでいる、誰もが羨むものを食べている、望めば大抵の物が手に入る。――それがなんだというのだろう。

 誰もが羨む?そんなもの、日常になってしまえばなんの特別性もない。望めば大抵の物が手に入る?なにもかもが揃っているのに、一体何を望めばいいのだろう。捨てたい物は、何一つ捨てることができないのに。

 そんな思いを抱えて、アルカという少女は十八年間生きてきた。自分の人生に諦めがついたわけではない。けれど、もう諦めてしまいたいとは思っていた。

 もう何百回読み返したかわからない童話をまた読んで、空想に思いを馳せるのも、求められる振る舞いへのせめてもの反抗として、荒々しい言葉遣いをするのも、なんだか疲れてしまったのだ。

 だからその日、アルカが初めて屋敷を勝手に抜け出して外に出たのも、きっと未練を断ち切ってしっかりと諦めるためだったのだろう。それができるかはともかくとしてだが。

 もしかすると、物語のようななにかが起きて、自分の環境ががらりと変わるのではないか――そんな期待もあったのかもしれない。

 なにはともあれ、アルカ・フーリカイアにとってその一日は、決して色あせることのない特別な日になった。それだけは間違いない。これは、たったそれだけの話である――。


 

「あー、やらかした……」


 昼下がり、人々が行き交う街の通りから外れた目立たない木陰に、一人の少女がへたり込んでぼやいている。世界で唯一の“奇跡”の使える魔法使い――アルカ・フーリカイアその人だ。

 アルカが魔法使いとしての役目以外で、住んでいる屋敷からでることはほとんどない。軟禁というほどでもないが、不用意に外に出ることは禁止されているし、たまに外に出るときは監視や護衛が必ずついている。そんな彼女が今、たった一人で屋敷の外にいる。いうまでもなく、脱走である。

 それも時間をかけて準備していたわけではなく、衝動的に。今朝のご飯を食べ終わったとき、いままでずっと張り詰めていた糸が切れたかのように、脳裏に浮かんだのだ。


『外に行こう――』


 その突飛性が幸いしてか、脱走はとてもスムーズに進んだ。

 腐っても十八年間住んでいた家だ。内装や奉公人たちの一日の動きは嫌でも熟知している。

 経路を割り出し、お付きに「疲れたので眠るからしばらく誰も部屋に近づけないで欲しい」と言付け、部屋にある置物を組み合わせ、それに普段から着用している純白のローブを着せてベッドに置き即席の偽物を作る。後はしまってある、どこかの偉い人から送られてきた服を適当に選んで脱出。

 そして、あっけないほど簡単に、アルカは初めて一人で屋敷の外に出た。


 初めて見る外の景色はとても新鮮で、何もかもが星空のように輝いて見えて――なんてことは全然なかった。いつも見下ろして見飽きている、ただの外だった。

  明確な目的があるわけではない。外に出て、屋敷がぼやけて見えるぐらいのところまで来たときにはもう持て余していた。たまった鬱憤で沸騰していた頭が段々と冷えていく。そして、いまの自分の状況を客観的に見つめた。その結果が、へたり込んでいるのが現状である。

 考えが足りなさ過ぎた。アルカ・フーリカイアはそれこそ、全人類が知っているといっても全く過言ではないほどの有名人である。そんな彼女が、顔も隠さずにこんな往来にいる。屋敷の人間が彼女の脱走に気がつかなくとも、必ず行き交う誰かが気づくだろう。

 それならばせめて、目立たない格好をするべきだ。けれど、いまのアルカは目立つ。

 ろくに見もせずに適当に選んで着た服だが、もしアルカが自由に外に出ることができる立場だったとしても、この服で街をうろつくことはないだろうというような。服という、舞台の衣装のようである。青色系統が光沢を放ち、やたらとひらひらしたドレスの様で、地味に露出も多い。胸の下からそけい部にかけては完璧に出ている。一応、見惚れるように透き通った薄いヒラヒラがかかっているが、こんなものないのと一緒だろう。

 彼女の持つ美しい、わすれな草のような青髪や、これまた適当に選んで履いたブーツとうまく組み合わさっている。

 それに、普段のローブよりも、『魔法使い』という肩書きが似合っている格好だ。


「似合ってちゃだめなんだっつの……」


 腰あたりのふぁーを触りながら、またぼやく。

 もう帰りたい。

 まだ帰りたくない。

 矛盾した感情が、アルカの中で渦巻いている。

 なにかきっかけがあれば――そこまで考えて、自分が心底嫌になる。十八年間、きっかけなんてなにもなかった。ようやく自分から飛び出してみても、またグズグズときっかけを待っている。

 童話のように、窓から空の王子様が手を伸ばして、星を見せてくれるわけでもないのに――。むしろこの世界において、アルカ・フーリカイアという魔法使いは、人々に星空をみせる側の存在だ。 


「ははっ、楽しくなかったな」


 諦めがついた。自分の人生にではないが、自分自身に。だからもう帰って、怒られて、小さな反抗心をかかえて、これからも『魔法使い』という立派な肩書きに見合う生活を送っていこうと、そんなことをぼんやり思ってアルカは伏せていた顔を上げた。

 そのアルカの視線の先に、一人の男が立っていた。アルカと同じ蒼い目をして、短い金髪に、少し小柄な少年だった。

 少年は、今目を合わせている美しい少女から目をそらさず、ゆっくりと息を整えて、少しうわずった声で言った。


「あの……なにかお困りでしょうか……?」


 これがきっかけと呼べるものなのかはわからない。ただ、アルカは手を伸ばした。童話の少女のように。


「え……あ……えっと……」


  しかし、少年はまごついてその手を掴むことはしない。

 すぐにアルカは、心の中で舌打ちをして、自分の力で立ち上がった。


「僕は病人でね。もうながくないって言われていてもたってもいられなくて、こっそり病院を抜け出してきたんだ」


 アルカはたった今思いついたでまかせを言った。声をかけてきた少年が、自分がアルカ・フーリカイアであると気がついていないという可能性はどちらかといえば低かったが、とりあえずは賭けてみようと思ったのだ。

  急に始まった謎の自己紹介に、少年は身を固める。返答に困っている。けれど、あまり時間をおくと、先ほどのように呆れられてしまうかもしれない。少年は、アルカの手を掴み損ねたことを心底悔やんでいた。


「えっと……それは大変だね……。病院に戻らなくていいの?」


 結果、少年は当たり障りのないことを言った。これがどうか目の前の美少女が求めていた答えに近い物であれと密かに祈りながら。

 そして、アルカは考える。これはどうだと。これは、自分の正体はばれていなくて、そして先ほどの思いつきを、少年に信じられたということでいいのだろうかと。

 しかし、重要なのは少年がアルカの話に乗っかっているということだ。とりあえず、様子見もかねて、アルカはもう少し話を続けることにした。


「嫌だね。もうすぐ死ぬってのに、なにも好きなことができないんだぞ?そんなのちっとも面白くない。僕は満足するまで帰らない」

「そう……なんだ。ええと、じゃあさ、オレにできることある?いや、なんというかその、これも縁っていうかさ。オレ、今日暇だし。寝るまで何の予定もないし」

「ん――、じゃあどっか楽しい所つれてってくれよ。あんまり人がいないところがいいかな」

「――わかった!!」


 気がつけば、トントン拍子に話が進んでいた。アルカ自身も、これはどうなのだと思ういきなりの横暴を、あっさりと少年は受け入れた。しかもとてもうれしそうに。

 変なやつに声をかけられたし、かけられてしまった――と、目の前で小さくガッツポーズをしている少年を見ながらアルカは思う。

 ともあれ、この調子だとばれてはいないようだ。今のアルカは、服装といい口調といい、民衆が思う『魔法使い』にはあまりもそぐわない物だ。それに、民衆が担ぎ上げているのは『魔法使い』であって、『アルカ・フーリカイア』ではない。顔なんてほとんどの人間はまともに覚えてはいないだろう。

 別にそのことに対する不満や悔しさは、アルカは持ってはいないが。


「きみ、名前はなんていうの?オレはビッズ。ビッズ・デタルク」

 少年――ビッズの質問と自己紹介を聞いたアルカは少し焦る。偽名を考えていなかったのだ。いくらなんでも、アルカと答えればばれる。


「あー、えっと……えと……エト!エト・……ナンタラ!」

「なんたら」

「なんだよ」

「いやいや、いい名前だなあって!」


 慌ててビッズは手と首を大げさに振って言う。

 アルカは、こいつセンス悪いなと思ったが、口には出さなかった。そして、片手を差し出し、握手を求めながら言う。


「んじゃまあ、よろしく――あー、なんだっけ、お前」

「ビッズだよ……。よ、よろしく」


 ビッズは少し悩んだ末に、恐る恐る手を伸ばし、差し出されていたアルカの指だけを軽く包み込んで、控えめに握手に応じた。

 それをアルカは、特に気にもとめず、一度笑ってから歩き出す。その笑顔は、アルカがいままでやってきた儚げな物とは違い、どこかいたずらっ子のようだった。


 ビッズは明るく、アルカの反応を見ながら、話を途切れさせないよう努めていた。しかし、その胸中は穏やかではない。

 人気のない、面白い場所――そんな所は知らない。人気があってもいいのなら、いくらか見当はつく。けれどそれではいけない。それは彼女の求めるものではないからだ。

 ビッズ・デタルクはいま幸福の絶頂にいる。

 確かに、多くの人は『魔法使い』という偶像を信仰しているのであって、アルカ個人への関心は薄いのかもしれない。けれど、ビッズは違う。

 今から九年前、ビッズが七歳の時の話だ。

 毎年七歳になる子供たちが集まり、これまでの成長を祝い、これからの成長を祈願する。そんな祭事が毎年行われている。当然、ビッズもそこに参加していた。

 子供らしく、当たり前にその祭事を楽しんでいた。出店をまわり、集まった子供たちと共に賛美歌を歌い、神官のありがたい話を、あくびをしながら聞いていた。

 そして、ビッズにとって運命の瞬間が訪れる――。

 その祭事の目玉行事、その場で選ばれた子供一人が今世の魔法使いによって、直接祝福を賜るのだ。

 その場で選ばれた――とは言うものの、実際は多額の奉納金を納めた裕福な家の子供があらかじめ選ばれることになっている。ゆえに、ビッズは見知らぬ同い年の子供が、自分より少し上の女の子になにか難しいことを言われて、頭をなでられている。そんな光景を遠くから眺めているだけだった。

 けれど、それが全てだった――。

 自分の感覚全てが、青い髪に、純白のローブに身を包んだその少女に奪われた。

 初めて美しいと思った、神秘を感じた、見知らぬ他人が妬ましいと感じた。感動、憧れ、一目惚れ。色々な感情が一気に生まれて、そして混ざり合った。

 人生が変わったのかはわからない。けれど、いまのビッズが作られたのはまさにこの瞬間だった。

 彼はそれから、魔法使いに――魔法使いであるアルカに焦がれ続けてきた。手の先すら届かない存在を、想い続けてきた。

 そして今日――。

 ビッズはふと、なじみのパン屋のパンが食べたくなった。だから買いに出かけた。ただ、それだけだった。

 こんな町中にたった一人でいるはずがない、あんなダンサーのような奇抜な格好をしているはずがない。けれど、自分が彼女を見間違うことはもっとあり得ない。

 アルカ・フーリカイアがそこにいたのだ――。


 自分の少し前を歩くビッズに、アルカはついて行く。

 小刻みに振り向いては、話を振ってくるビッズを内心鬱陶しく思いながら、適当に相づちを打つ。


「今更だけど、このままお前について行って大丈夫なんだろうな?」

「まかせて!絶対エトが楽しいって思えるところに行くからさ!」


 不安げに問うアルカに、ビッズは元気よく親指を立てて答える。が、実際はアルカの十倍ビッズの頭の中は不安で満ちあふれている。

 一生に一度、もう巡ってくることはないであろう奇跡だ。失敗するわけにはいかない。自分は今日一日、何も気がつかないフリをし続けて、たまたま出会った美少女――エト・ナントラさんを楽しませるのだと。

 歩みを進めるごとに、プレッシャーの重さで地面にめり込みそうになるのをこらえながら、その必死さを悟らせないように、ビッズは考えに考えて考えて考えていた。失敗への第一歩を踏み出していることにも気がつかずに。


「おい、どんどん人気が多くなってないか?冗談じゃなく、人目につくと困るんだよ僕は」


 アルカの苦情に、呼吸が止まりそうになる。周りに注意を向けるのをすっかり怠っていた。ビッズは言葉につまりながら、周りを見渡す。



「あー、無理なら別にいいよ。悪かったな無茶言って。僕もう」


 帰るから――と、アルカが言い終わる前に、アルカの視界からビッズは消えていた。

 

「まじかよあいつ……」


 呆れ交じりに、アルカは呟く。そして、流れる人の波にただ一人立っていた。

 風が吹いて、長い髪が揺れる。焦燥感のようなものにかられた。

 別にあの少年が悪いわけではない。それが理解できるからこそ、アルカは強く自分の手を握りしめているのだろう。

 このまままっすぐ歩けば、屋敷に帰れるな……と、ぼんやりとした頭で考えながら一歩、二歩、三歩歩いたところで、視界のすみに、いなくなったはずのビッズの姿が映った。

 思わず目をやると、誰かに向けてにこやかに手を振っていた。アルカは、ビッズの目線の先を追う。そこには、ビッズに向けて手を振っている男の子と、何度も頭を下げている、その男の子の母親らしき女性がいた。男の子が背を向けても、二人の姿が見えなくなるまで、ビッズは手を振り続けたままだった。

 その姿を、アルカは呆然と眺めていた。

 やがて、ビッズは我に返ったように、しまったというような顔をして、とくに迷うこともなくアルカの姿をとらえた。


「ごめんなさい!迷子の子がいたんだ!」


 謝罪と言い訳を叫びながら、アルカのもとへ駆け寄る。

 対面する二人。だが、ビッズは何も言えず、アルカはなにを言えばいいかわからない。

 

「お前……バカか?」

「すいません……」


 とりあえず口から出たのは、脈絡のない罵倒だった。だが、アルカにしてみれば逃げられたと思い、わずかではあるが、そう、わずかではあるが気持ちが下がっていたところにこれだ。少なくともアルカからすれば理不尽ではない。

 素直に謝るビッズだが、それに対するアルカの返答はない。


「エトのことをないがしろにしたわけじゃなくて……、その、泣いてたからつい……。ごめんなさい」

「いや、それで謝られると僕が最低みたいじゃないか。いいよ悪かったよ色々」

「――ということは……まだ案内役……続けていいということ……?」

「え?あ、ああ、うん。頼む」


 まだ付き合ってくれる気でいたのか――と、アルカは驚き、返答は歯切れの悪いものになる。足先が踊っている様子から、一度は引き受けた義務感から言っているのではないとわかる。


「じゃあ、とりあえず人通りの少ないところに行こう!」

 ビッズは本当にうれしそうに、歩みを再開させる。

 気がつけば、道行く何人かが、アルカとビッズのほうをチラチラと見ていた。「やっべ」とアルカは小声で呟き、ビッズの後を追う。

 こまめに後ろを振り返り、アルカがついてこられているか確認しつつ、あれこれと話をするビッズを見てアルカは思う。

 こいつはとんでもないお人好しなのだと。

 どこかにはいるのだろうとは思っていた。けれどまさか、自分がそれに遭遇するなんてアルカは思わなかった。

 あからさまに怪しく、誰とも知らない口の悪い自分に付き合おうとするなど、やはりバカなのかもしれない。いや、あるいは自分の正体を――。と、ここでアルカは考えるのをやめる。

 期待通りにはならなくても、マシな一日はなる。そんな気がして――。


 そして三十分後、そんな感慨は気のせいであったと痛感することになる。

 とんでもないお人好しというビッズにたいする評はあまりにも正しい。だが、アルカの想像を超えて、ビッズ・デタルクという人物は癖が強かった。

 アルカの要望通り、彼は人気のない場所へ向かっていた。アルカが人気を避けたがる理由も充分に理解している。が、それはそれとして――。


「それで、その犬が立ち上がって――あ、子供が転んだ」

「あっ、おい!」


「でさあ、その引っかかった棒が――重そうな荷物を運んでるお婆さんがいる。大丈夫ですかー?」

「またかよ……」


「で、そのおじさんなんて言ったと思う?――あ、風船が木に引っかかっちゃってる。とってあげないと!」

「……」


 このように、数分も歩けば困っている人を見つけ出しては声をかけていった。

 それはきっと清い行いで、人々の反応からするに、彼はずっと、困っている誰かのために動いているということがわかる。

 けれど、今日ビッズが優先させるべきは自分なのではないかと、人気がないどころかなに続々と自ら人を寄せ付けているのかと、お前が困っている人を助ける度にどんどん僕が困っていっているんだよと、アルカの不満はどんどんとせり上がっていく。


「バカなのかお前は?!」


 自分が思っているよりもずっと大きな声が出た。周りにはまだそこそこの人通りがあり、驚いてアルカ達を見ているが、それに意識を向ける余裕はない。


「いや、だって……」

「だってもクソもないだろ!? 僕は今人の目に触れられるとヤバいってわかれよ!なんなんだおまえ?!さっきのおばさんわざわざ僕にまでお礼言いにきたじゃないか!肝が冷えたぞ?!」


 怒っていた。これまでここまで感情をあらわにしたことがあっただろうかというぐらい、アルカは怒っていた。

 怒りと困惑が混じり、なれない大声を出したことで、一通り怒鳴り終えたアルカは肩で息をして、額に汗をかいていた。


「なんなんだよお前……。ほっとけばいいじゃんか他人なんて。お前がなにを思ってるか知らないけどさ、どんなに人のためになることしたって、誰もお前の本質なんて見ちゃくれない。当たり前みたいに助けられて、その当たり前の下でどれだけの物が犠牲になってるかなんて見向きもしないんだ。なあ、今僕が言うのはおかしいかもしれないけどさ、なんでそんな他人のために動けるんだ?」


 疲れで怒りが和らぎ、純粋な疑問をアルカはぶつける。

 ビッズの答えを待つアルカは、胸が締め付けられている感覚に耐えるように、唇をかみしめていた。

 もしビッズが、心根からの奉仕の精神を持った人間だったならば、それを目の前で突きつけられてしまったのなら、自分の惨めさが抑えきれなくなるような、そんな気がして。


 一方で、ビッズは中々口を開けずにいた。

 言えない。十六歳の少年が語るには、あまりにも酷なその真実――。

 つまり――、奇跡的に出会えた憧れ焦がれていた少女にかっこいいところを見せたかった――!と。

 恥ずかしい。とても恥ずかしい。

 普段から困っている人を見れば反射的に助けてはいる。が、今日はいつも以上にはりきっていた。

 いいところを見せようと、自分も誰かの役に頑張ってたとうと努力しているのだと、アルカに見せつけたくて神経をとがらせていた。

 それが裏目にでて、ついには怒らせてしまった今、泣き叫びながら壁に頭を打ち付けたい衝動をビッズは必死でこらえていた。

 そして問われてしまった。なぜそんなことをするのか?と。

 それを本人に直接言うのはあまりのも恥ずかしくてかっこ悪い。ビッズにも男のプライドというものがある。

 けれど、黙れば黙るほど、目の前のアルカの顔に影が落とされていく。アルカがなにを抱えているかビッズは知らない。だが今アルカにこんな顔をさせているのは自分自身だ。それだけは我慢できない。プライドがなんだいっそ――、そう、いっそ言ってしまえばいいのだと、ビッズは気がつく。

 別に目の前の少女に、自分の思いを伝えてもなんら問題はない。なぜなら、この少女は魔法使いでも、アルカ・フーリカイアでもない。病院を抜け出してきた少女、エト・ナンタラなのだから。

 光沢を放つ髪も、吸い込まれてしまいたいと思えるような瞳も、耳も、鼻も、なにもかも、自分がずっと焦がれてきた少女のものと相違ないが、別人だ。そう必死で自己暗示をかけ、心と呼吸を整えるのに時間がかかってしまった。

 これ以上は待たせるわけにはいかない。ビッズの口が、ゆっくりと開かれる――。


「七歳の時さ、初めてアルカ様を見たんだ――」


 アルカの眉が上がる。

 それからビッズは、エトに語る。九年間の思いを。自分の人生を形作ってくれた少女のことを。

 無理なことはわかっていた。けれどなんとか、慰め程度でもいいから彼女に近づきたかった。

 頭をなでられていた子供が親に嬉しそうに話しているのを聞いた。

『アルカ様の手はとても温かくて優しかった』と。

 月に一回、アルカは人々の前に出て祝詞を送る。その場所にも欠かすことなく出向いた。なにかアルカ様のことが色々わかるかもしれないからと。結局それでわかったことは、アルカ様の背が伸びたとか、顔つきが段々大人びてきて綺麗になっただとか、声がいつもより眠そうだとか、そんなことをばかりだった。ビッズが一番知りたかった、本当はどんなひとなのかなんて、知れるはずもなく。

『温かくて優しかった』

 そんな見知らぬ子供の言葉がずっと残っていた。

 だからビッズは決意した。それはある種の血迷いなのかもしれない。誰に話しても、鼻で笑われる愚行なのかもしれない。それでも、あの時の彼女のように誰かに温かさと優しさを与えたいと。そうすれば、極々わずかでも近づけるのではないかと思ったから。

 だからビッズは、困っている誰かを見捨てない。


「そうしていたら、いつだって胸を張って、あの人が好きだって言えるから――」


 そう言って、ビッズは口をゆっくりと閉じる。自分がなにをいったのかよくはわからない。ただ、あふれ出る思いを感情のままに吐き出して、とてつもなく恥ずかしいことを言ったということはわかる。

 違う、これは告白じゃない。だってこの人はエトなのだから。だってこの人はエトなのだからと、自分に暗示をかけ続け、ビッズはなんとか失われそうな意識を保っていた。

 そして、穏やかでないのはアルカも同じだ。

 それはそうだ。まさか返ってきた答えが、自分自身への賞賛や敬意、感謝感動愛情の類いだなんて微塵も思ってはいなかったのだから。

 白い肌のせいで、顔にかかった赤がとてもよく目立つ。

 けれど、ビッズの話を聞いたアルカの感情を締める大半は、変わらず怒りと困惑だった。


「ふざけるなよ……。都合のいいことばっかり並べ立てやがって……」

「え、エト……オレは」

「お前はなにもわかっちゃいない!どんな歪んだ憧れだそれは。僕が『温かくて優しい』――?それならなんで僕はここにいるんだよ。嫌と言えないまま嫌になって、逃げ出して、逃げ切れないまま燻って、そんな惨めな僕がお前の話のどこにいるんだよ?!」


 アルカは叫ぶ。もはや正体を隠すことも忘れて。苛立ちを理不尽を、身勝手を。


「そんな押しつけが、僕にずっと窮屈な思いをさせてたんだ。――わかってるよ、お前は悪くない。他のみんなだってそうだ。でも僕が悪いわけでもないだろう?じゃあ、誰が悪いんだよ。悪いやつなんていない。むしろみんないいやつだ。なのに、なのになんで――僕はちっとも楽しくないんだよ……」


 ビッズは何も言えなかった。ただわかる。自分は失敗してしまったのだと。自分の真摯な思いは、彼女にとってはただの棘でしかなかった。

「楽しませろ」

 そう自分に言った少女は、目の前で泣きそうになっている。

 ビッズの沈黙を、失望と受け取ったアルカはそのまま背を向ける。そして、別れの言葉の代わりに言う。


「失望したろ?悪かったな。お前の理想を壊して。でも、僕はこんな人間なんだ。お前になにかを思ってもらう資格なんて――」

「それは違う!」


 さえぎるように、ビッズも叫ぶ。

 驚いたアルカがもう一度ビッズの方へ振り向ききるのを待たず、ビッズは言う。


「失望なんて、してない」

「はぁ?お前は本当にバカか?僕とずっと一緒にいたろ?憧れと妄信は違うだろう」

「確かに、思ってたような人とは違ってて、びっくりした。でも、『温かくて優しい』人なのは、絶対間違いじゃないよ」

「バカもいい加減に――」

「子供が泣き止んだとき、よかったって顔してた!おばさんにお礼を言われたとき、困ってたけど、ちょっと嬉しそうだった」

「それはお前の勝手な想像だろ?!」

「そうだよ!でもオレは九年間ずっときみの顔を見え来たんだ。間違えるはずがない!」

「なんだそれ、もはや気持ち悪いな!」

「人を好きになるってそういうことなんだよ!」


 叫び終わって、息も切れ切れな二人を周りが怪訝な目で見ていることに、二人は気がついていない。息を整えて、ようやく我に返った時、二人揃って顔を真っ赤にして羞恥の感情をかみ殺した。


「帰る!」

「待って!」


 足早に去ろうとしたアルカの手をビッズは掴む。すぐに自分がなにをしているのかに気がついて、ごめんと呟いて、ビッズは手を離した。


「なんだよ」

「いや、ほら、まだだから。――まだ、人気がなくて楽しい所、行ってないから」

「――ふっ、くくっ、あははははははは!」


 アルカは笑った。呆れも一周回ると、どうやら楽しくなってくるものらしい。

 ビッズには勿論だが、アルカ自身にもだ。どうして自分は、こんなバカに出会ってしまたんだろうと。道行く人間は数え切れないほどいたのに。


「そうか、じゃあ――頼むよ」


 二人はまた歩き出していた。会話はない。けれど、二人の間にある空気はとても落ち着いていた。


「きゃあっ!荷物を落としてしまったわ!」


 どこからか、そんな声が聞こえた。

 アルカは、どこかそわそわした様子のビッズを見て苦笑いをする。


「いいよ、いってこいよ。僕は待ってるから」

「――ごめん、ありがとう!」


 言うが早いが、ビッズは走り出す。そしてすぐに、落ちた荷物を拾い集めている家族の輪に加わった。

 アルカはそのままの場所からその様子をうかがって、まだ五つぐらいの子供が一人、そしてその子供の両親を見て、体に電流が走ったような感覚に襲われた。

 そのまま、なにかを考えようとしたときには、全速力で走り出していた。とりあえず、一刻も早くあの家族から離れたかった。

 なぜわかってしまうのだろう。わかるはずが、覚えているはずがないのに。


「くそうっ――!なんなんだよっ」


 勘違いであって欲しい。けれど、アルカの持っている感覚の全てが、勘違いではないと言ってきている。

 あれは――あの父親と母親は――自分の本当の両親だ。

 

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