形の無かった子供達

九十九

形の無かった子供達

 恐らく僕は祝福を受けたかったのだ。誰かに愛されて祝福を受けたかっただけなのだ。


 お父さんは生まれた時から居なかった。僕が生まれる少し前に死んだのだと、僕を引き取った人から聞いた。

 母親は居たが、お母さんと呼ぶには余りにも弱弱しい女性だった。母親と表現するよりも、愛する人を失った女性と表現する方がしっくりくる印象の人だった。まさしくその印象の通り、彼女は常に泣き続け、僕と言う子供の存在すら忘れてしまっていたらしい。

 彼女は恐らく最後まで、僕と言う存在に気が付く事は無かったのだろう。産んだ事すら忘れてしまっていたのかも知れない。縄の音が木魂する部屋の中で見上げた彼女の顔には後悔の色は何処にも見えず、唯安らかな顔で揺られていた。


 僕を引き取ったのは小さな施設だった。お父さんの友人だと言う人が取り仕切っていたその施設は、子供心に大凡一般の孤児院とは懸け離れた物であると思ったが、それでも何かしら家族との繋がりが有る場所が恋しかった僕は、幼さを理由に見ない振りをした。

 それが間違いだったのかどうかは今となっては分らない。だって、一緒に過ごしている間は幸せだったのだ。他者から見てどれ程間違った事だとしても、当時の僕にとってはそれが愛と呼ぶに相応しい物だったのだ。

 お父さんの友人だったのだと優しく笑って僕を引き取ってくれた人は、僕にまるで息子の様に接してくれた。初めて会った時、その人は「よく来たね」と僕の存在を認めてくれた。母親にすら与えられなかった物をその人は与えてくれたのだ。


「おめでとう。よくやったね」

 お父さんの友人は、先生は、僕が何かに成功する度に笑顔で祝福してくれた。嬉しいから、おめでとうと言うのだと先生は僕に教えてくれた。「おめでとう」と祝福を受ける度に、僕の鼓動は嬉しさで跳ね上がった。

 初めて出来なかった事が出来た時、人体の構造を理解した時、身体のテストで良い点数を取った時、任務に成功した時、先生は必ず「おめでとう」と祝福してくれた。恐らくそれらは「おめでとう」と祝福するには綺麗な人から見れば、とても汚くて祝福するべき物では無かったのかも知れない。それでも、僕はその言葉を聞く毎に其処に居ても良いのだと認められたようでとても嬉しかったのだ。


 特に僕が嬉しかった「おめでとう」は誕生日と言う物だった。

「誕生日は凄いんだ。皆がその日を祝福してくれる特別な日なんだよ」

「美味しい物も一杯食べられるよ」 

「僕達が居ても良いって教えてくれる日なんだよ」

 誕生日は特別な日なのだと、僕より前に施設に居た兄さん達が教えてくれた。

「誕生日はね、その子が、君が生まれた日なんだよ。生まれて来てくれて有難う、と祝う日なんだ」

 先生はそう言うと、「誕生日おめでとう」とはにかんで、命一杯抱き締めてくれた。あぁ、居ても良いのだとぼんやりと思いながら、僕は何故だか泣いてしまった。

 誕生日は僕が生まれて来ても良かったのだと認めてくれる素敵な日だった。誰に必要とされなくても生まれてしまった僕らは、けれど存在する事が本当は許されているのだと教えてくれる日だった。

 僕は誕生日が、誕生日に貰える「おめでとう」が大好きになった。


 施設に来てから僕はずっと幸せだった。先生は僕をとても大事にしてくれた。多分、お父さんと言うのは先生みたいな人の事を言うのだろうと思う。兄さん達は末っ子の僕に何かと構ってくれた。ちょっかいや悪戯も仕掛けて来たけれど、何時も僕の事を心配してる姿は、血の繋がっていた筈の彼女よりもずっと近くに感じた。

 人の灯を消し得る物達を抱えて僕は何度も施設の役に立った。最初は危なっかしい所も有ったけれど少しずつ上手くなった。最初は兄さん達と一緒じゃないと如何にも成らなかったけれど、段々と一人で熟せる様になって、今では兄さん達の中でも一番目か二番目に上手くなったと良く褒められる。

 先生は僕や兄さん達が任務を終えて帰ると、安堵と一緒に少しだけ苦しそうな顔をした。僕達はその理由に何となく気が付いて居たけれど、唯にこりと笑って「おめでとう」と腕を広げる先生に抱き着いて、それに知らない振りをした。多分その時が来るまで僕達は無知な子供の侭の方が良いのだろうと思ったのだ。


「最後の任務?」

「うん、そう」

 一番上の兄さんが僕の手元の手紙を覗き込んだ。一番上の兄さんは昔はとても強かったらしい。今は片腕と片足しか無いけど、簡単な義足しかない状態で施設で三番目位に強いから多分、凄く強い。

「先生何だって?」

「ここを焼きなさいって」

 そっかぁ、と間延びした声が兄さんから上がる。僕が此処に来てからもう何度も特別な「おめでとう」を貰った。兄さんはもっとずっと長い。多分、僕以上に思う所が有るのだと思う。

「他の皆は?」

「皆行きたいところに行ったよ」

 そっか、と僕は元気に頷いた。という事は此処にはもう僕と兄さんだけだ。

「怪我したら駄目だからね」

「うん」

「先生を苦しませずにね」

「やっぱり兄さんは知ってたんだ」

「皆気が付いてるけど、多分直接聞いたのは長男の俺と末っ子のお前だけだよ」

「そっか」

 先生が外側から見てどう言う人なのか、先生が皆にとってどう言う立場だったのか、先生が本当は如何したいのか、皆何処かで気が付いて居た。それでも、無知な子供を演じたのだ。先生が好きだったから。

「不器用だね先生も」

「ふふ、そうだね。でもきっとこれで良いんだよ」

「母さんが死んじゃったのはさ、仕方が無かったと思うんだよね。そう言う風に生きてきたらやっぱりどうしても終わりが付いて来るからさ」

「僕もね、お父さんを死なせちゃった事は気にしてないんだ。事故だし。そう言う生き方だったって知れて良かったとも思うんだ」

 先生は僕達に罪悪感を残したく無いのだろう。だから、僕達に理由を与えたのだ。先生の昔話を教えてくれたのだ。僕達の繋がりを教えてくれたのだ。

「先生は優しいね」

「うん優しい。だからずっと苦しそうだ」

「お前は苦しんじゃ駄目だよ?」

 お前は先生に似て優しい子だから、と兄さんは寂し気に笑う。

「僕はもういっぱい貰ったから大丈夫。兄さん達からも先生からも一杯おめでとうって言って貰えたから、多分ずっとこの先苦しまないよ」

「僕達の最後の兄弟。大事な末っ子。お前を連れて来た時の先生、嬉しそうだったなぁ」

 兄さんは嬉しそうに笑うと僕の頭を撫でた。

「ふふっ」

「どうしたの?」

「長男と末っ子にだけ贈られた手紙、どっちも一番最初はおめでとうから始まってる」

「ふふっ、それは先生らしいね」

 

 先生とこの小さな施設が消えてしまえば僕達の事は誰も知らないままになる。多くが深く埋まってしまう。僅かな先生の跡だけ残して多くが消えてしまう。先生はそれを望んでいる。

「おめでとう先生」

 僕は微笑んで、祝福の言葉を乗せながら指先に力を込めた。


 本当はずっと先生は友人達の後を追いたかったのだ。本当は兄さんの母さんを、僕のお父さんを、皆の後を追い掛けて行きたかったのだ。

 けれども先生はそれをしなかった。存在しない僕達を見つけて、存在をくれた。何処にも行けない僕達を見つけて、僕達を愛してくれた。僕達に祝福と生きる術を与えてくれた。

 多くの人がきっとそれは間違っていると叫ぶのだろう。倫理から逸脱していると嘆くのだろう。

 だがそれがなんだと言うのか。助けてくれたのは先生であって、多くの人々ではない。知識を与えてくれたのも、愛を教えてくれたのも、生きる術を教えてくれたのも、多くの人々では無く先生だ。大人達に与えられなかった物を、親にすら与えられなかった物を、全部僕達に与えてくれたのは先生だ。僕も兄さん達も皆、先生がいたから此処にいる。先生が居たから個と言う形を得た。

 結果が歪だって仕方がない。だって先生もそれ以外知らなかったのだ。そうやって生きて来たのだ。

 優しい先生。大好きな先生。その先生の願いがやっと果たされた。

「おめでとう先生」

 おめでとう、と祝福の言葉を紡ぎながら僕は火をつけた。




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