兄と私の不思議な日常

柚城佳歩

兄と私の不思議な日常

私には年の離れた兄がいた。

年が離れていたからか、喧嘩らしい喧嘩をする事もなく、いつも優しい兄が大好きで、よく背中を追い掛けていた。


そんな兄が、私がまだ小学生だった頃、突如帰らぬ人となった。


旅行が好きだった兄は、高校生の頃からよく一人でバイクに乗ってふらりと出掛ける事があった。

大学生になってからもそれは変わらず、ある日出掛けた先で事故に遭い、帰ってきたのはボロボロになったバイクだけ。

私は兄が死んだ事を受け入れられなくて、周りに当たり散らして、泣いて泣いて泣きまくった。


「お兄ちゃんの嘘付き!私がお嫁に行くまで守ってやるって言ったじゃない!」

「おぅ、ちゃんと守ってやるぞ。俺は嘘付きじゃないからな」

「お兄、ちゃん…?」


聞き慣れた声がして振り向くと、そこにはいつもと変わらぬ兄の姿があった。ただ今までと違うのは、宙に浮いているという事だ。ふわふわと、風船のように。


「困った時は助けてやる。淋しい時は側にいてやる。ちゃんと見守っていてやるから。だからもう泣くな」


その日から、兄と私の不思議な日常が始まったのだった。




しかしどうやら兄は私にしか見えていないらしい。

そうとは知らず、外を歩いている時に普通に会話をしていて、周りから変な目で見られてからは気を付けるようになった。


兄は小さい頃の約束通り、いつも近くにいて話し相手になってくれたり、困っている時には助けてもくれた。

私が高校生になった今でも、危ない事があれば守ってくれている。

そう、追試や赤点からも。


中学に入り、最初のテストで英語が絶望的に苦手だと悟った私を、兄は家でも学校でも根気よく勉強を見てくれるようになった。

さすがにテスト中に答えを教えてくれる事はなかったけれど、不安になると側に来て励ましてくれ、そのおかげもあってか、いつの間にか英語が好きになっていた。




「お、今回はなかなかよく出来てるじゃないか」

「お兄ちゃん!」


部屋で、先日の定期テストの答案を広げていたら、後ろから兄が覗き込んできた。


「私の部屋に勝手に入らないでって言ったでしょ!」

「しょうがないだろ。ノックが出来ないんだから」


そう言ってドアを叩いて見せた手は、壁などないかのようにするりとすり抜ける。

こんなにもはっきりと見えているのに。


「成績は順調に伸びてるな。この調子なら受験もそんなに心配いらないだろう」

「うん、まぁ…そこは感謝してる」

「俺と同じ大学受けるんだっけ?」

「そう。外国語学部に入りたいなって。そこでもっと勉強して、世界中のいろんな人と話せるようになりたい」

「そうか」


兄は小さく笑ってから、居住まいを正して私に向き直った。


「なぁ妹よ、そろそろ兄離れと言うものを考えてみるのもいいんじゃないか」

「…妹離れ出来てない人がそれ言う?」

「ははっ、確かにな。でも沙弥さやはもう充分俺がいなくてもやっていけるし、俺も久しぶりに旅がしたくなってさ。だから暫くここを離れるよ」

「暫くって、どのくらい?」

「んー、海外も見て回りたいしなぁ。少なくとも一ヵ月は掛かりそうかな」

「それもう受験終わってるじゃん!」

「大丈夫だ。側で見てきた俺が保証する。自信を持って臨めよ」

「えっ、ちょっと…!」


待ってと引き留める暇もなく、兄は窓からふらりと出て行った。




いつもなら呼んだらすぐに答えてくれるのに、いくら呼び掛けても返事をしてくれない。

生まれた時からずっと側にいてくれた人がただいないというだけで、こんなにも落ち着かないなんて思わなかった。


どこか不安な気持ちを拭い切れないままに迎えた受験当日。

あの時兄が言ってくれた「大丈夫」「自信を持って」の言葉を何度も繰り返し、自分を奮い立たせた。


そして合格発表の日。

ネット発表に備えてパソコンの画面を開いた。

早く見たい気持ちとまだ見たくない気持ちがごちゃ混ぜになって、あーとかうーとか無意味な言葉を吐き出してばかりいる。


いよいよ決心が付いて、震える手を操作して受験番号を入力した。

祈る想いで見詰めた画面には。


「合、格…。うそ、本当に受かってる。受かってる!」


何度見返しても、ちゃんと“合格”の文字があって、嬉しくて部屋中跳んで回った。


「やった、私ほんとに受かったよ、ねぇお兄ちゃん!」


振り返ってから、兄がそこにいない事を思い出した。兄はあれから一度も私の前に現れていない。

いつもみたいに「よく頑張ったな」って褒めてほしい。

誰よりも、お兄ちゃんに「おめでとう」と言って欲しかったのに。


「どうしていないのよ…。私がお嫁に行くまで側にいてくれるんじゃなかったの」

「心配するな、もちろんそのつもりだ。俺は約束を守る男だからな」

「お兄ちゃん!」


家を出た時と同じように、兄は唐突に戻ってきた。


「沙弥、本当によく頑張ったんだな。おめでとう」

「もう、戻って来ないかと思った…」

「言ったろ?お前が嫁に行くまでは俺が守ってやるって 」


ちょっと変わった兄と私の関係は、もう暫く続きそうです。

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