人喰いラーメン屋事件 〜人間科学部 軸本風人〜

木船田ヒロマル

人喰いラーメン屋事件

 久しぶりに会った軸本風人じくもとふうとくんは、ラーメン屋さんを見張っていた。


 高校の卒業式以来だから、丸三カ月ぶりだろうか。季節は七月。梅雨は迫り来る夏に追い立てられるようにを潜め、なんならもう真夏と言っていいんじゃないかというような時候だった。


 商店街アーケードのハンバーガー屋さんの二階。彼は窓際の席に陣取り、微動だにせずに下の通りを見つめている。

 何をそんなに熱心に見つめているのかとその視線の先を追えば、向かいの通りの木造っぽい店構えに「特製チャーシュー」のポスターが貼られた赤い暖簾のれんのラーメン屋さんの入り口を真顔そのものの表情で見詰め、時々手元でメモを取っている。

 あ。紙カップの飲み物を飲んだ。

 しかしそのストローを口にして吸い、その中を黒っぽい液体か通過する時ですら、彼ははその真っ直ぐな視線を眼下のラーメン屋から一瞬も逸らすことはなかった。


 彼が軸本くんでなく他の元クラスメイトだったなら、私は「変な奴だな」と思っただけでBLTバーガーセットとアップルパイをアイスティーで流し込んで帰路に着いていたことと思う。

 だが彼は私の恩人だったし、私はある事柄で彼には負い目があった。


 高校二年生の秋。

 文化祭で机と段ボールで中庭に迷路を造ることになった我がクラス。

 委員を中心とした学級ヒエラルキーの上位グループの設計では、壁面は段ボールだが、壁と壁の接合部や曲がり角など強度が必要な部分は机を重ねてビニル紐で縛り、机ポイント同士は角材で固定して、ちょっとやそっとでは崩壊しない構造になっていた。その机を、二階から降ろす作業をしていた私は何もないところで完全に蹴つまずき、背合わせ二段で持っていた机ごと踊り場から階段へと盛大にダイブするところだった。

「はっ‼︎」

 その時。短い気合いとともに私の制服の襟首と、ずれ落ちて階段側に落ちようとする上段の机を力強く保持する左右の手があった。

 この私を救った手の主こそ、当時隣のクラスだった軸本風人くんその人である。


「あ、ありがとう」

「何事もなくて何よりだ。大事を取り、一度に運ぶ机は一つずつにした方がいいのではないか?」


 私が彼を認識したのはこの時が初めてだったが、私の第一印象は「なんかお奉行様みたいな人だな」だった。

 それ以来、彼を気にするようになった私の元には徐々にだが彼の情報が集まるようになり、彼が成績優秀だがどこか取っつきにくいキャラクターであることや、彼女はいないらしいことなどを把握するに至ったのだ。


***


「軸本くん」


 私は息を少し多めに吸って、一度できちんと聞こえるように彼の名を呼んだ。


「やあ」


 それでも彼はその視線をラーメン屋さんから離さない。寂しいことに私の方をチラリとも見なかった。


「しばらくだね。鹿撫京子かなできょうこさん。卒業式以来かな」

 私の方を全く見ないまま彼が正確に私の氏名を呼んで、私の心臓はドキリと跳ねた。

「私の声……憶えててくれたの?」

「それも無くは無いんだけど」

 彼は相変わらずラーメン屋さんを見張りながら言った。

「さっき通りを歩いてこの店に入る君が見えたんだ」


 なんだ……でもまあ、忘れられてなかっただけヨシとしよう。


***


 三年生になり、クラス分けの発表の時。

 私は自分のクラスに「軸本風人」の名前があるかどうかなんとなく探していて、その名前がそこにあって、にんまりした自分に気づいた。


 いや。正確には、普段から彼を目で追っていたこと、クラス表に彼の名前を探したこと、それを見て喜んだことの意味を、ようやく認めて意識したのだ。


 私は彼を、軸本風人という風変わりな秀才を、好きになっていた。


***


「えーと、訊いて良ければ、なんだけど」

「いいとも。察するに僕が今何をしてるか、という質問だろう。君は賢いから、既に僕があのラーメン店を観察しているらしいことは気付いているはず」

「ええ」

「僕が進学した学部を知ってたかな」

「尽教大学人間科学部 心理学科?」

「……驚いた。全くその通りだ」


***


 また夏が来て、受験が近づくとクラスの中の話題は偏差値や志望校の話が増えて来て、人伝ひとづてに聞いた所では、軸本くんは理系高偏差値大学「尽教大学」志望らしいとのことだった。私は馬鹿ではなかったが、国立の理系大学に現役で受かる程に賢くもなかった。

 だが彼は受かるだろう。

 これは確信だった。私立の無難な大学の赤本を型通りにこなしながら、私は彼が志望校に受かったら笑顔で「おめでとう」を言って祝福しようと心に決めた。


***


「社会心理学の課題でね。自分で考えたテーマで実地調査をするんだが、今回僕が選んだのは『ラーメン店の椅子の硬さと客の滞在時間との相関』だ」

「ラーメン店の椅子の硬さと、客の滞在時間との相関?」

「端的に言えば、ラーメン店の椅子が硬ければ硬いほど客の滞在時間が短いんじゃないか、という研究さ」


***


 雪の舞うセンター試験。国公立受験と私大受験。私は国公立には落ちたが福祉系の私大に上手く滑り込んで、浪人は避けることができた。両親は経済的負担増に文句も言わず、私の合格を喜んでくれた。そんな折、友人の三船夏美からLINEが来た。

「軸本くん、尽教受かったらしいよ」

 私は予定通り彼の合格を喜んだ。

 そして、泣いた。


***


「なるほど。だからラーメン屋さんの入り口を観察して、お客さんの入る時間と出る時間を記録してるのね?」

 彼は少しだけ表情を緩めて頷いた。

 そして手元の三脚付きデジカメを示しながら

「一応これで録画もしてるんだけど確認用。店に事情を話して、居させてもらってる」

 と言った。

「いつまでやるの?」

「実は3時までの予定だった」


 壁のシンプルなアナログ時計は5時半を回っていた。


***


 卒業式。

 卒業生は何かとバタバタ忙しい。

 式典の段取り、謝恩会の打合せ、寄書き書いたり後輩たちからものを貰ってお礼言ったり。そんな中、私は隙あらば軸本くんの方ばかりを見ていた。彼に言うんだ。「尽教大学、合格おめでとう」って。「春からお互い頑張ろうね」って。しかしその言葉を喉にセットする度に私の小さな胸は刺されたように痛んでタイミングを逃し続け、私はついに最後まで彼に「おめでとう」を言えなかった。


***


「何があったの?」

「2時間以上出てこない客が二人いる」

「ラーメン屋さんに、2時間も?」

「そう。女性客と恐らくその子供。小学校低学年くらいの」

「裏口から出たんじゃ……」

「あの店には、予め椅子のクッションの硬さの計測の為に行ったことがある。けど裏口はない。確か勝手口はあったと記憶してるが、それは厨房の奥だったように思う」

「見間違いか、見落としかも」

「その可能性はある。2時間半。単に迷惑な長逗留の客の可能性も」

「服とかを変えて、入った時と違う姿で出たとか」

「……面白い発想だな。だとしたら僕が付けてるメモの少なくとも入った人数と出た人数は合致する筈だ。しかし、今の所入った人数が出た人数より二人多い」

 その時、私の目が店の入り口にデカデカと貼られた「特製チャーシュー」のポスターで止まった。


「まさか……あのラーメン屋さん……」

 私が口に仕掛けた可能性はしかし、軸本くんに否定された。

「殺人鬼スゥィーニー・トッドじゃあるまいし。それに他の客も出入りしてるし、店主一人で厨房も回してる筈だ。閉店後ならまだしも……」

「あっ!」


 私は思わず声を上げた。

 黒いTシャツに黒いエプロン、頭に黒いタオルを巻いた男が店から出てきて暖簾を降ろし、入り口の引戸に「準備中」の札を掛けたのだ。

 時間は午後6時前。


「閉店時間?」

「いや。あのラーメン店の閉店は普段は午後11時の筈」

「どういうこと? 出てこない親子のお客さんはどうなっちゃったの?」


 軸本くんは3秒程考える顔をして

「店を変えよう。悪いけど時間があったら付き合ってくれないか?」


***


 ファミリーレストランに席を移した私たちは、軸本くんのデジカメの録画画像を早送り再生しながら確認していた。


「間違いない。茶髪のお母さんと短パンの男の子が入ってはいるが、出てない」

「どうする? 警察へ?」

「…………」


 軸本くんは真剣に悩む顔をした。

 彼のそんな顔を見るのは初めてだったが、私は不謹慎にもその顔がとても魅力的に見えて、彼の悩む顔を近くでずっと見ていたいと感じた。


「通報しよう。間違いならそれでいい。人命が……」


 軸本くんはそこまで言って固まると、今度は吹き出すように笑った。


「ふへっ、ハハハハハッッッ……」


 それも初めて見る彼だったが、その笑顔は本当に可愛くて、愛しかった。

 いや、じゃなくて。


「何⁉︎ どうしたの?」

「あれを見てごらんよ」


 軸本くんの視線の先には、今入って来た親子連れがいた。ウェイトレスさんに導かれ席に向かう黒いTシャツのお父さん、茶髪のお母さん、短パンの子供。子供は手に変身ヒーローの合体ロボの箱を持っていた。


「人喰いラーメン屋なんてなかった。誕生日の子供と、それを祝う両親がいただけだ」


 短パンの子供は親の制止も聞かず合体ロボを開け始めた。

 笑いながらそれをたしなめる夫婦に、私は軸本くんと私を重ねた。


「付き合わせて悪かったね鹿撫さん。ここの払いは僕が持つよ」

「え、そんな。悪いよ」

「とんだ人喰いラーメン屋事件に巻き込んだお詫びだ。他意はないから遠慮しなくていい」

「ありがとう……」


 私は、意を決して切り出した。


「私、前から軸本くんに言わなきゃって思ってて言えなかったことがあったの」

 彼は少し神妙な顔つきになった。

「今更かも知れないし、軸本くんにはなんだそれかも知れないけど、その……軸本くん」

「うん」

「尽教大学、合格おめでとう」


 私は深く溜息を吐いた。

 これで私の恋は終わる。

 そして、新たに歩き出せる。


 言われた軸本くんはキョトンとして、軽く首を振るとやはり溜息を吐いた。


「僕にもあったんだ。鹿撫さん。君に言わなきゃって思いながら、言えなかったこと」


 私は顔を上げた。


「僕は、君のことが好きだ」




*** 完 ***

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