ディア・レインディア【KAC9】

Nico

ディア・レインディア

 この試合を最後に引退すると決めていた。三十一歳。選手としてのピークは過ぎていた。


「全日本男子バレーボールチーム、キャプテンの戸波海斗となみかいと選手でした!」


 割れんばかりの歓声が沸き起こる。脇からボールが差し出された。ファンサービスとして、観客席に打ち込めということらしい。ふと、団扇うちわやらバルーンやらがはためく観客席の一角に目が留まる。拍手を送ることすら忘れて涙を流す義勝よしかつが、仁王立ちでこちらを見つめている。


 ――しけたツラしやがって


 アンダースローで振りかぶると、アリーナの天井に向かって高々と投げあげた。落ちてきたボールのど真ん中を、力強く叩く。大きな弧を描きながら、ボールはまっすぐに飛んでいく。


 ――受け取れ。トナカイからのプレゼントだ


*  *  *  *  *  *  *


『……全日本?』

『あぁ、招集された』

『そうか』

『それだけかよ?』

『なに?』

『おやじの夢だったんだろ? 全日本でプレーするの』

『お前の夢だろ?』

『まぁ、そうだけどよ』

『……おめでとう。頑張れよ』

『言われなくても、頑張るよ』


「ありがとう」

 切れた電話にむかって、義勝はそう呟いた。


 ――ありがとう、海斗。夢を叶えてくれて


*  *  *  *  *  *  *


 監督室のドアをゆっくりノックする。中から、「どうぞ」と声が返ってくる。


「悪いな、トナカイ」

 椅子に座ると、監督はどことなく緊張した面持ちでそう言った。


 ――まさか、実業団に入ってまでこのあだ名で呼ばれるとはな


「お前、海外に興味あるか?」

「海外? 旅行は好きですけど」

「ばか。移籍だよ」

「移籍?」

「あぁ、セリエAのモデナ・バレーからオファーがあった。とりあえずは、三年の期限付きだけどな」

「セリエA……」


 そのあとの説明は頭に入ってこなかった。


 ――俺が、セリエA?


*  *  *  *  *  *  *


「トナカイ、お前、大学はバレーの推薦で行くんだろ?」

「あぁ」

「いいよな、特技があって。俺なんか何にもないから、必死に勉強するしかねぇよ」

「俺だって必死に練習してんだよ」

「まぁ、確かに。お前はすげぇよ。全日本のエースとかになっても、俺と友達でいてくれよな」

「うん? 俺たち、友だちだっけ?」

「ひでぇよ」


 夕日の差し込む体育館で笑いあった。


*  *  *  *  *  *  *


「海斗、お前、高校でもバレーするのか?」

「もちろん」

「そうか」

「なんで?」

「いや、頑張れよ」

「……うん」


 嬉しそうに言ったおやじは、どこか寂しげでもあった。


*  *  *  *  *  *  *


『全日本のエースになるのが夢だったのよ。

 お父さん、本気で目指してたんだから』


 その話を母親から聞いた思春期の俺は、かっこいいとは思わなかった。どこまでその夢に近づいたかは知らなかったけど、そんなの関係なかった。


 ――叶うわけないじゃん、そんな夢


 でも、ある時、テレビで春高バレーの決勝を見て、俺は衝撃を受けた。かっこいい、純粋にそう感じた。リモコンを握りしめたままテレビの前に立ち尽くす俺にむかって、アナウンサーが追い打ちをかけるように言った。


『岡川工業が春高で最後に優勝したのは昭和五十二年ですから、もう遡ること二十三年になります。その時のエースでキャプテンだったのは、戸波義勝でした』

『戸波はいい選手でしたけどねー。全日本入りも確実と思われてたんですけど、大学で大きな怪我をしちゃったんですよ。もったいなかったですねー』

『それ以来、二十三年ぶりの優勝まであと三点と迫っている岡川工業高校……』


 なぜだかわからないけど、涙がこぼれた。


*  *  *  *  *  *  *


「ねぇ、お父さん」

「どうした、海斗?」

「『由来』ってなに?」

「由来?」

「そう。学校の宿題で、自分の名前の由来を調べて来いって言われた」

「あぁ、名前の意味だよ。どうして、海斗っていう名前を付けたか」

「どうして付けたの?」

「それは、あれだよ。戸波海斗って、略したら「トナカイ」だろ?」

「……それで?」

「トナカイってのは、クリスマスの時しか思い出さないけど、トナカイがいなけりゃ世界中の子どもたちにプレゼントが届かないだろ? みんなに夢を与えられない」

「……それで?」

「だから、あれだよ。俺は、そういう人になってほしいと思って、『海斗』って付けたんだ」

「宿題、明日までだから、本当の理由も聞いていい?」


*  *  *  *  *  *  *


「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」


 ドラマで聞くようなセリフを実際に言われても、その小さな体を自分の腕で抱え上げても、義勝は父親になった実感がまだなかった。ただ、目の前で泣き叫ぶこの小さな命が自分にとっての希望だと、そう感じていた。


 この子には、大きな夢を持ってほしい。自分は叶えることはできなかったが、この子は夢を叶えられるといい。


*  *  *  *  *  *  *


 海斗が打ったボールは、綺麗な弧を描き、まっすぐにこちらに飛んできた。天井のライトと重なる。夢中でボールを追いかけていたあの頃の感覚が、一瞬だけ蘇った。


 ボールが落ちない限り、試合は終わらない。俺の追いかけていたボールは、まだ落ちていない。


「おめでとう、海斗。夢をつないでくれて、ありがとう」

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