A Little Bittersweet

維 黎

あの日の『おめでとう』をいつの日にか

「うわぁ、懐かしい!」

「黒板ってこんな短かったっけ?」

「ちっちゃ! 机とか椅子、ちっちゃ!!」

「おおぉ! 時間割り張ってる! 五時限目の体育とか、今思えば無茶苦茶だったよな。メシ食った後、グラウンド走るとかあり得ない!」


 身体こころの奥から湧き上がってくるのは、えも言われぬ郷愁ノスタルジア

 おそらく、ほとんどの人がこの空間に足を踏み入れると同じ思い――懐かしさが込み上げてくるだろう。もちろん、とおるも例外ではない。

 廃校をリフォームして作られた喫茶店『6年2組』。

 リフォームと言っても、耐震強化や痛みがひどい部分に手を加えただけで、なるべくそのままの雰囲気が残るようにした、と店員が説明してくれた。

 そうは言っても喫茶店カフェだ。そのままの教室に珈琲コーヒーやベーグルなどを運んでくるだけ、とはいかない。

 床と内壁はそのままで、テーブルや椅子、照明などは本格的な設備ものを入れ、喫茶店ぜんとした雰囲気になっている。


 ただ一つだけ。ほぼそのままの形で使っている場所がある。店名と同じ『6年2組』のプレートがある教室。

 天上にはオフィスや事務所などで見かける直管の蛍光灯。

 光を多く取り込むために、校庭側の壁はほとんど窓で占められている。

 細い板を何枚も並べて、その上からニスの塗料が塗られ、黒に近い濃い茶色に変色した床は、過ぎ去った年月を思い起こさせた。

 そして言わずと知れた机と椅子。

 上級生用の物でも、座ってみると大人になった身体には弱冠、小さめだった。


『学校給食、食べに行かないか?』

『なになに? 小学校行くの?』

『違うって。インスタで見たんだけど、なんか廃校を喫茶店カフェにしたところがあって、そこで学校の給食も食えるんだって。ほら、これ』

『わぁ! 良い感じ! 私も行ってみたい』


 とおるが勤めている職場で、仲の良い同僚の一人がそう声をかけてきたのは一週間くらい前。その時、近くにいた女子二人も加わって、今日、四人でくだんの喫茶店に来ることになった。

 

 当時、給食の時間にそうしたように、机を二つずつ向かい合わせで並べて、とおるともう一人、そして女子二人が向かい合わせになるように座る。その机に注文していた給食のメニューが配膳されると、さらに懐かしさが込み上げてきた。

 軽くて丈夫、昔ながらの銀色のアルマイトの食器。

 給食当番の時、食器やおぼん係りになると、パンやおかずと違って帰りも重くて嫌だったな、とか、重さで取ってが手のひらに食い込んで何度も左右の手を変えたな、とか。

 思い出は尽きない。

 

 そしてメニュー。

 主な種類コースは三種類。

 クリームシチュー、自家製コッペパン、牛肉コロッケ、マカロニサラダ、千切りキャベツ(トマト一切れ付き)、瓶の牛乳、デザートはプリンのシチューコース。


 ソフト麺(ミートソース)、揚げパン、クリームコロッケ、マカロニサラダ、千切りキャベツ(トマト一切れ付き)、瓶の牛乳、デザートはフルーツゼリーのソフト麺コース。


 カレーライス、マカロニサラダ、コロッケ、千切りキャベツ(トマト一切れ付き)、瓶の牛乳、デザートはヨーグルトのカレーコース。


 女子二人ととおるの机にはクリームシチュー。もう一人にはソフト麺。カレーはどこでも食べられる感が強くて、誰も頼まなかった。

 

 目の前に置かれたシチューはさらっとしたタイプで、人参やじゃがいも、玉ねぎなどの野菜がゴロゴロっと入っている。

 思わず笑みが浮かぶ。

 とおるは子供の頃、玉ねぎが嫌いで食べれなかった。今でも惣菜サラダなどに入っている生の玉ねぎは食べれないのだが。

 そんなわけで、当時、給食の時はしょっちゅう食べることが出来ずに残すことが多く、五時限目が始まっても机の端っこにおかずが入ったお椀だけ、ちょこんと置いてあったりもした。


(――あぁ。思い出した)


 



 小学3年生に進級した時、クラス替えをした後に新3年生全員が体育館に集まって、新任教師の挨拶も兼ねた担任教師の発表があった。その新任教師の中に"西村先生"がいた。

 西村先生の挨拶が始まると、とおるは話を聞くのはそっちのけで、ただひたすら『あの先生がいい! あの先生がいい!!』と強く思った。 

 初恋――ではなかったと思う。先生のことは好きだったけど、実は新しくなったクラスで、好きになった同級生クラスメートもいたので、どっちを先に好きになったのか、今では思い出せないのだ。


 で、とおるの必至の祈祷きとうというか祈りが神様に届いて、西村先生は念願の担任教師になった。付け加えると、5年生のクラス替えでも西村先生は担任になった。

 西村先生はたぶん大学を卒業して教師になったと思うから、当時は23,4歳くらいだっただろうか。どちらにせよ『中学聖日記』のドラマみたく、恋仲になるような展開は小3の身ではあり得ないので、そういった劇的な思い出があるというわけではないのだが、とおるが強く覚えてる先生との記憶おもいでは二つ。


 一つは、何が原因か覚えていないが、腹を立てて給食のおかずを先生にぶちまけて、西村先生を泣かせてしまったこと。

 もう一つは、本当は6年生も担任のはずだったが、結婚を機に別の学校への転勤が決まったこと。

 あと一年、一緒に過ごせると思っていたからすごいショックだった。6年生になれば修学旅行があるので、一緒に行けることを楽しみにしていたのに。

 特にとおるだけが西村先生と親しかったわけではない。他の同級生クラスメート同様、いち生徒だったと思うし、同級生クラスメートも先生のことが好きだっただろう。


 先生が結婚することは、とおるとはまったく関係のないところでの話で、それどころか、喜ばしいことだ。現に、5年生の三学期の終わり頃、西村先生とのお別れ会&結婚おめでとう会をクラスで行った。

 ただとおるは素直にお祝い出来なかった。子ども特有の理不尽な怒りが邪魔をしていたから。

 クラスの生徒全員で『せ~の、西村先生、おめでとー!!』というお祝いの合唱の時、とおるだけは、口をパクパクさせただけで『おめでとう』とは言わなかった――。




「うわ~、それ、ちょっとキュンとしちゃう話だねぇ」

「ませた子どもだったんだな」

「私も先生好きだったなぁ」


 つい懐かしさも手伝って、とおるは話のネタに西村先生のことを話してしまった。


「それで? 結局『おめでとう』は言えず終いなの? 同窓会とかは?」

「いや、小学校の同窓会ってやってないんだよな。いや、やったのかもしれないけど俺は知らないし、行ってない。高校のは行ったけど」

「そっかぁ。まぁ、今さら小学校の同級生クラスメートって、名前とか覚えていても連絡先とかほとんど知らないもんね」

「もう会えないだろうなぁ」


 そんなやり取りをしつつ、とおるは一つ思い出したことがあったのだが、それは黙っておくことにした。

 大学の時、O市にある大型書店で西村先生を見かけたことを。

 だけど、声はかけなかった。

 10年もたって、先生はともかく、とおるの外見は小5からけっこう変わったはずだ。とおるは見かけた時、すぐに『西村先生だ』とピンときたが、先生がとおるのことを覚えていないかもしれない。それに、先生は小学校低学年ほどの女の子の手をひいていた。

 結局、声をかけずに終わり、それ以降会うこともなかった。


 





 過去を思い出しながらキーボードを打つ。

 小学校を卒業したのはもう、ずいぶんと昔。

 もし先生に会う機会があったとしても、いまさら『おめでとう』なんて言ったら笑われてしまうかもしれない。 

 

 それとは別で、ただ普通に会ってみたいという気持ちは、心の隅でくすぶっている。


 西村――いや、たに 真由美まゆみ先生。

 ご壮健でいらっしゃることを切に願いつつ。



                    ――了――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

A Little Bittersweet 維 黎 @yuirei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ