近江維新史異聞 三年後 近江彦根(花の秘剣KAC8版)

石束

三年後 ある近江彦根藩士の回顧(花の秘剣 KAC8版)

※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 予めご了承下さい。



※ ※ ※ ※ ※



 ぞくり。


 長閑な、春の小道を歩きながら、東作(とうさく)は、言いようもない『寒気(さむけ)』に襲われた。

 利き手で肩を押さえ、目を閉じる。そのとたん、瞼裏の暗闇に景色が映る。


 ――雪、だ。


 恐ろしいほどのぼたん雪。灰色の空から限りなく降るそれは、地に落ちる前に吹き上げられて渦を巻き、目の前を遮る。叫び続けたのどに痛みを感じ、懐紙に吐き出した痰に血が混じる。朋友同僚と怒鳴りあい、罵りあい、駆け出そうとする者の袖を捕らえて、引き留めた。激高して罵るもの、同じく激高しながら宥め制止するもの。


 その誰も彼も、頭や肩に雪を積もらせている。


 ああ、まるで、真っ赤にやけた埋火に真っ白な灰をかけているようだ。

 誰もかれもが、湯気を上げるほどに激しながら。……それなのに、体の芯は氷よりもつめたくて。部屋の中にいるのに、凍る大地から這い上がる冷気に、肺腑を締め上げられるのを感じた。


 だが、わかっている。これは幻覚だ。


 東作は、一つ、ため息をついた。たったそれだけで、幻は退く。


 突然襲い掛かってくる妄想にはもう慣れた。そして幻を振り払うことはあきらめた。

 これは魂に刻みついた傷だ。時間で薄れることはあっても、決して癒えはしない。


 ふと我に返えれば、目の前には墓石があり、己の傍らには水を入れた手桶とひしゃくがある。

 人目をはばかって早朝にしたので、あたりに人の気配はない。


「……」


 とある禅刹に彼はいる。ようやく濃くなってきた春の気配の中、こころなし生気をましたかなような若い松の向こうに、近江彦根藩の象徴たる、三層三重の天守が見える。

 

「……」


ふと、子供の声が耳に届く。ここのところ、いい話もなかったが、今日は桃の節句。

 あの声は、いずこかの女子のものだろうか?


「……ああ、もう」


 さる安政七年三月三日、江戸城桜田門外で時の大老、井伊掃部頭(かもんのかみ)直弼公が水戸藩士に討ち果たされて、もう三年が過ぎる。


◇◇◇


 このところ、掃部頭さまについて、人に聞かれることが多かった。それに東作自身も考えることがあった。


 一藩士に過ぎない彼にとって、主君は雲の上の人である。そればかりか、あの御方こそは三百余藩に比類なき『譜代筆頭』彦根井伊家の第十五代当主。いわば、徳川家につかえる武士の頂点である。日ノ本の武士の一人として、あまりに遠く高くに感じてしまう。

 その方と、時には同じ部屋でその声を聴いたこともあるなどと、正直、今にして思えばそれこそが幻のような気がした。


 その生涯についても知ることは多い。


 庶子であった故に生涯の前半を世捨て人のように過ごした。己を「花咲くこともなき埋もれ木」として、住居を「埋木舎」と言った。

 たがいたずらに不遇を嘆くのではなく、芸道に邁進し、茶・和歌・能狂言、さらには居合道のいずれにも長じて達せざることはなかったという、その文雅。

 兄の急死で、思いがけなく彦根井伊家を相続した後は、門閥猶子だけでなく、身分低きものも登用して藩政を果断に改革した。


 まずもって、英邁といって間違いない。


 彦根藩の負うべき役割は多い。

 関ケ原、大坂の陣に比類なき武功を打ち立て、神君家康公の信任もっとも篤かった井伊家は京都の朝廷ににらみを利かせ、豊臣恩顧の大名が多い西国と対峙するべく「要石」として、近江に置かれた。

 慶事にあって将軍家の代理として朝廷に赴く京都上使。あるいは家職として受け継ぐ、京都御所の警護など、戦乱の時代が終わった後も、彦根藩は幕府に代わって京や西国と対峙し続ける。

 と同時に、代々将軍家の側近中の側近たるべく、江戸にあって幕政に参与した。将軍家世子の加冠役を務めたことなどは、その象徴だったろう。そして溜詰間に常駐し、何より幕府開闢以来大老となること五代六度。

 相次ぐ異国船の来航と、騒然とする世情。力をつけて影響力を増す雄藩諸侯。次第に発言力を増す朝廷。それを無視できず将軍の継嗣もままならない幕閣。かつてない困難にあって破綻寸前の徳川政権を主導しうるのは、もはや 大老井伊直弼をおいて他になかった。

 

 一橋派と南紀派に分かれて対立する将軍継嗣問題については、南紀派の家茂公を据えて主導権を握った。だが異国船に対しては開国に踏み切って朝廷との関係が拗れることになり、常に政治的な敵手であった水戸藩に密勅が下されるに至ったのは痛恨だった。

 だが、これも朝廷との交渉に長けた彦根藩である。大老指揮下の幕府は取り締まりを強化して言論を統制する一方で、朝廷の懐柔に成功し、さらに圧力を強めて水戸家に勅書を返納させる寸前までこぎつけた。


 思想信条と政治は、違う。あの当時、誰もが尊王で佐幕だった。異国船に対しては攘夷決行すべきと考えていた。

 それが可能であるか不可能であるか。不可能であった場合、それでも戦うのか、開国するのか。

 その意見の対立があったにすぎない。勅に背いて開国しようなどと、誰も思っていなかった。


 つまるところ、これは政治的な主導権の争いで、攘夷も開国も、そのエサでしかなかった。 

 三年後の今をみればいい。まともな為政者は誰も、攘夷が可能だなどと思っていない。


「……」


 政治的な勝利は、目前だった。だが、と、少し省みるなら。

 

 この時の井伊家は、武門の名家たる『赤備え』の井伊家ではなく、政治交渉に長けた文官としての井伊家だったのかもしれない。卓抜した交渉力と視野を有しながら、それ故に政治的な勝利が、一振りの凶刃に覆されることなどないと、無条件にそう思っていたのではないか?


 そのことを、少しでも心にとめておいたなら、あの雪の日の鮮血はなかったのではないかとおもう。


「……」


 井伊掃部頭直弼公は、風雅を愛した君子だったと、人は言う。そんな人が苛烈な取り締まりで反対者を獄に落とし、専制を行ったのは何故だろうと、問うものがいる。

 だが、芸道と人生が重なるほどに打ち込む者は、かえって事に及んで苛烈になることがある。


 和歌は理想の三十一文字を求めて、他の文字を削る。茶道も能も、完成された空間と時間を求めて、理想に反するすべてをそぎ落とす。居合もまた洗練と彫琢と練磨で高みへと到達する。

「芸道とは、異を排して極へ至る道である」とするなら、先ほどの評は矛盾しない。


 水戸藩も、浪士も、志士も、学者も、京の朝廷すらも。


 井伊家十五代当主として。

 代々が心血注いで育て上げ守り続けた、その精華たる幕府を、己の好きなままにいじくりまわそうとするすべてが、あの方には許せなかったのだろう。


「……」


 そして、あれから、三年が過ぎた。


 事変直後は、井伊家よりの立場をとり水戸藩に厳しかった幕府だったが、大老の影響力が失せるにつれて態度を変えた。水戸家から密勅が返納されることはなかった。


 歴史の潮流は、あの瞬間に、たしかに変わった。


 薩摩の島津久光の介入によって、幕政は「改革」された。

 将軍後見職なる立場に、政治力を復活させた一橋慶喜公がつき、江戸城は一橋派の牛耳るところとなった。安政の「混乱」はひとえに大老の責とされ、彦根藩は十万石を減封される。さらに家職として担ってきた京都守護の役割も解かれた。

 代わってその任についたのが、京都守護職、会津藩主・松平容保公である。


 井伊家と彦根藩士は誇りを奪われ、そして経済的に貧窮することになる。


「……」


 朝廷にすり寄って声高に攘夷を叫んでいた薩摩は異国相手に無様に敗北した。三年前を忘れてか恥知らずにも、密貿易で外国製の武器を買い漁っているとも聞く。水戸藩に至っては藩内の過激派を御しきれず、内部抗争が始まっている。


「……」


 そして彦根藩内にも、分裂の火種はある。

 無理もない。

 責任感と誇りを支えに、我らこそは礎とも柱とも思って、忠節をささげてきた徳川幕府に見限られたのだ。

 今は亡き主君にかけられた「違勅」の汚名だけが、幼主と藩士たちに残された。

 主家のためにも、自分自身のためにも、もはや立ち止まることは許されない。


「……」


 天道、是か非か。東作は、今こそ、薄曇りの空に問う。


 無論、天は何も応えはしない。


 ただ、胸を焼く様な焦燥だけがあって。

 東作は、また、あの雪の日を思い出しそうになった。


……………

…………

………

……


安政7年 3月3日 桜田門外の変


安政7年3月18日 「万延」と改元

万延2年2月19日 「文久」と改元


文久2年 4月 薩摩藩の島津久光が上京。徳川慶喜が将軍後見職に就任。

8月 生麦事件


文久3年 3月 将軍徳川家茂が上洛する。

7月 薩英戦争

8月 天誅組の変。京都で八月十八日の政変。

9月25日 会津藩預かり壬生浪士組、隊名を「新選組」と改める

10月 生野の変


文久4年2月20日 甲子革令の年に当たるため「元治」と改元。


元治元年3月、水戸天狗党挙兵


6月5日 池田屋事件

7月19日 禁門の変


明治維新まで、あと4年たらず。





 終わり

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近江維新史異聞 三年後 近江彦根(花の秘剣KAC8版) 石束 @ishizuka-yugo

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