三周年の欲望

温媹マユ

三周年の欲望

「はぁ」

 女はため息をついた。

「ため息なんかついて、どうしたんだ?」

 隣を歩く男は、表情の暗い女に声をかけた。

「昨日のことなんだけどね、どうも腑に落ちないの」

「ほう、それはどうしたんだい?」

 男は話を聞くために、近くのベンチに女を誘った。


「駅前にあるケーキ屋さん知ってる? 今ちょうどオープン三周年記念で限定のケーキを売ってるの。それを美奈子が持ってきてくれたの。美奈子がそこでバイトしてるのね。だから、なかなか買えないケーキが手に入ったんだけどね」

 女はもう一度深いため息をつく。

「ああ、バイトしてることは聞いたことあるよ。それで?」

「うん、私と美奈子と洋子の三人で限定のケーキを食べようってことになったの。それで美奈子がゼミにケーキを持って来てくれたのだけどね。バイトの特権ってやつ」

「ああ、あのときか。美奈子クンが何か持ってきて君たちがわいわい騒いでいたね」

 男はうんうんと頷く。

「騒いでなんかいなかったでしょ? あなたはその後出て行ったから知らないと思うけど、食べようと思ったらケーキがなくなってたの」

 男はため息まじりに目を細めた。

「話がわからないよ。ケーキを持ってきたばかりじゃないか」

「そうじゃなくて、あなたが出て行った後、飲み物がないってことになって三人で買いに行ったのよ。ケーキは冷蔵庫に入れて。それで飲み物を買ってきて、いざケーキを食べようと冷蔵庫からケーキを取り出したら、三個あったケーキの内一つがなくなってたのよ。そのケーキ、私が食べるはずだったレモンレアチーズケーキだったのよ!」

 女は明らかに興奮している。

「ふむふむ、なんだか面白くなってきたな」

 男は顎に手を当て考えるそぶりをする。


「冷蔵庫の中にはなかったし、机の上や周りにはなかったの」

「最初からなかったとか?」

「うん、結局美奈子が入れ忘れたんじゃないかなってことになったんだけどね。だから二つを三人で分けて食べたの。あ、ケーキは美奈子が自分で箱詰めしたらしいの。でも箱詰めをしているときに呼び出されたりして、そのときのことをあまり覚えてないらしいの。だから入れ忘れたってことになったのだけどね」

 女はもう一度深いため息をつく。


「でも君はそれを否定している。違うかね?」

「うん、美奈子がそんなことをするはずないと思う」

「じゃ、推理をしよう。美奈子クンがちゃんと箱の中に三個のケーキを入れたと仮定しよう」

「なんだか本格的ね」

 女は興奮気味に立ち上がった。


「三個ケーキの入った箱を冷蔵庫に入れたとする。じゃあ、どうすればケーキがなくなる?」

「誰かが入ってきて食べた」

「そう、君たちが飲み物を買ってきている間に誰かがゼミに入ってきて、冷蔵庫のケーキを食べたと考えられるね」

「それも考えたの。でも誰もゼミには。教授に聞いたの。私たちが出て行ってから帰ってくるまで誰も来なかったって」

 女はもう一度男の横に座った。


「教授は確か入り口横で、事務の人と話をしていたね。それなら正しいだろう。とすると他に何が考えられる?」

 女はうーんとうなりながら腕を組む。

「教授か事務の人が食べたとか。でも二人は食べてないって言ってた。教授は甘いものが苦手だし、二人とも私たちがケーキを持ってきたことは知らなかったと思う。だから二人はシロ。ますます分からなくなってきた」

 うんうんと男が頷く。


「これは密室トリックだね」

「密室って。確かに扉は一つ、窓はあるけどこの部屋は五階だしね。でも冷蔵庫を開けたり、そこで食べたりしたら教授達が気付くはず」

「いや、そうとも限らないよ。この部屋はT字になってるじゃないか。教授いたところから右奥の冷蔵庫の前は見えないよ。左側の給湯室も見えないよ。死角だらけだ」

 男は得意げに言う。


「仮定しよう。君たちが飲み物を買いに行っていた数分間に、誰かが侵入してケーキを食べたと」

「うん、でも私たちが出て行ってから帰ってくるまで誰も。もちろん窓からの侵入もないよね」

「とすると……」

「誰かがひっそりと隠れていた」

「うんうん、なんだか核心に近づいてきた気がするね」

「誰かが隠れていて、私たちが飲み物を買いに行っている間にケーキを食べた。もちろん冷蔵庫の前は教授から見えない。それで私たちが帰ってくる前にもう一度隠れた。多分給湯室よ」

 男は激しく同意する。


「あれ、でもそうすると、いつ給湯室に入って、いつ出たんだろ?」

「いいところに気付いたね。出入り自由なゼミだけど、教授が施錠することになっている。だから、教授より早くは入れないし遅く出れない」

 女は頬を膨らませて、両手を挙げる。

「じゃ、いつ入ったのよ」


「もう一度話を戻そう」

 男は得意げに話し始めた。

「君たちより先に部屋にいたのは誰だ?」

「教授達とあなた」

「そうだね。それから、君たちが帰った後に部屋を出たのは?」

「教授達でしょ。あなたは私たちが飲み物を買いに行く前に部屋を出たんでしょ」

「その答えは三角だな。思い出してごらん、君たちが飲み物を買いに行っている間、人の出入りはあったのかな?」

「ない……あっ!」


 男は立ち上がった。

「そう、犯人は僕だ。いやいやあのケーキは本当においしかった!」

「な、な、なに!?」

「言わばこれはミステリーだ。だから動機が必要なんだよ、君。わかるかい」

「わかるわけないでしょ!」


「僕はこのケーキが売り出された三日前から毎日並んでいたんだよ。でもいつも僕の前で売り切れだったんだ。だからどうしても食べたかった。これが一つ目。君たちがケーキを手に入れたと知ったとき、ますます食べたくなった。でも君たちに頭を下げたくなかった。これが二つ目。そして三つ目は誰にも知られたくなかった。でも君にはもうばれてしまったがね」

「それ、すごい執念ね」

 女の顔が引きつる。

「そうさ、三周年の限定ケーキが食べたかった三つの執念。そう、三執念さ」

「さ、最低!」

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