狐の嫁入り

ヒトリシズカ

狐の嫁入り

狐の窓というものがある。

両の手でそれぞれ、中指と薬指を親指と合わせ、そして人差し指と小指を立てて狐を作り、それを向かい合わせる。耳にあたる人差し指と小指を左右で裏表に合わせ、顔にあたる中指と薬指を開き、伸ばしたその二本の指を同じく開いた親指で編みこむように押さえる。すると組まれた指の中央に菱形の窓が出来る。これが狐の窓だ。

この窓から景色を覗くと、狐を見る事が出来るらしい。

この窓の話は、村の爺さんから小さい頃きいた話だ。

教わったときは年齢が幼かったため手が小さく、またそれにそぐう長さの指しか持ち合わせていなかったため、狐の窓を作ろうとして指が攣りとても苦労した記憶がある。


そんな懐かしいことを思い出したのは、大学の夏休みを利用して三年ぶりに生まれたこの村に帰ってきたら、ちょうどお天気雨が降ってきたからだろう。太陽が出ているのに雨が降る今のような天気、お天気雨のことを狐の嫁入りともいう。


「傘はさすがに持ってきてないな」


私は傍に置いたキャリーケースの中身を思い出して呟く。しかし、傘を買おうにも駅前にはコンビニや売店といった気の利いたものは一切ない。何しろ、ここは無人駅。売店はおろか、自分以外の人が見当たらない。駅から実家までの道は遠いし、走っていくにもなかなかに濡れそうな雨量だ。土産にと買ってきた菓子折りの袋も嵩張るので、より一層駅から動きたくなくなってきた。

早く止まないかな……。

そんなふうに駅舎の廂から天をうかがっていたその時。

ぱん、と自分のすぐ隣で何かを開くような音がした。驚いてそちらを見ると、私の目線より随分低い位置に赤い傘をさしたちいさな子どもが立っていた。

いつの間に隣にいたのか。全く気配を感じなかったので、とても驚いた。おかげで心臓がばくばくと音を立てている。

それにしても妙な子どもだ。

その子どもがさしている赤い傘は、ビニールではなく和紙で出来た和傘だった。今どき、こんな古めかしい傘を使う子どもなんているんだ。なんとなしにそんな感想をもった。


「おねえさんも、白雨しらさめさまと青藻あおもさまのお祝いにきたの?」


声につられて目線を正面に移すと、先ほどの子どもが目の前に立っていて、またもや驚かされた。いつの間に移動したのか。思わず固まった私を子どもは傘の切れ目からこちらを見て、にっこり笑んだ。


「お祝いも持ってきたのね。なら早く行かなきゃ。行列が始まっちゃうよ」


そう言って子どもは私の手を引いて無人駅の前の道をどんどん進んだ。突然のことで声が出なかった。

子どもは、子どもとは思えない力で私を引っ張っていく。私はつんのめるように子どもに連れられてお天気雨の中を進んだ。

そして道の突き当たり。ちょうど背の高い二本松の下まで来た時に、子どもが声をあげた。


「あれ、おねえさん、お面忘れちゃったの?そのままだと白雨さまの親父殿に人と間違われて喰われちゃうよ」


なんと怖いことをいう子どもだ。

それより今なんと言った?人と間違われて、喰われる……?

黙り込んでいる私を、子どもは何を勘違いしたのだろう。再びにっこり笑むと、懐をごそごそと漁り何かを取り出した。


「はいこれ。予備で持っててよかった。お面代わりの簡単なやつだけど、さすがに付け方はわかるよね」


貸してあげる。と子どもが布切れを差し出した。

布には、絵が書いてあり、真ん中に菱形の窓が開いている。むかしきいた、狐の窓に似ている気がした。付け方など知るわけがなかったが、不思議と目の上に垂らし頭に巻くのだろうと思ったのでその直感の通りにした。その様子を見て、子どもは何度も頷いた。


「似合ってるね、おねえさん」


菱形の窓からにこにこと笑む子どもの顔が見える。

つられるように私もクスリと笑った。

雨はまだ止まない。その雨の中を厳かで、でも豪奢な音が駆け抜けた。

シャアン…… シャアン……

それはだんだん近付いてくる。


「きた!」


いつの間にか狐のお面をつけた子どもが、私の隣で興奮したように声をあげて傘を振り回した。

子どもが歓声をあげた方を向く。目の前に垂らした菱形の窓から見えたもの、それは。


青藻あおもさまー!ご結婚おめでとうございますー!」


白無垢に身を包んだ若い娘。頭に被った綿帽子に影を作るように、白丁はくていに袖を通した男が朱傘しゅがさを差しかけている。若い娘の周りには前後に大量の人が並ぶ。百人ほどの大行列が、目の前の通りをゆっくりと進んでいる。皆一様に白い衣を纏い、ある者は鬼灯型の灯りを持ち、ある者は楽器を奏でている。

花嫁行列だ。

それはそれは盛大で、豪華な花嫁行列だった。

だが、その花嫁行列は少し様子がおかしかった。並ぶその顔にはあるお面がはまっている。長く突き出た鼻に、きゅっと引かれた切れ長の目、白い地肌から三角の耳が二つ飛び出て紅色に染められたお面は、隣の子どもが着けているのと同じ、狐のお面であった。


「……狐の、嫁入り」


「白雨さま、本当良かったよね。何せ三年間も粘ったんだもん」


「三年間……」


「そう、三年間。この三年間、惣領息子の白雨さまはずっと、村一番の美人の青藻さまを口説き続けてて、記念すべき三周年目の今日。ついに青藻さまの嫁入りが決まったんだもん。今日から三日三晩宴になるわ。美味しいものがいっぱい食べられるの。白雨さまの親父殿もさぞお喜びでしょうし、三日間はこの雨を降らせ続けるんじゃないかしら」


子どもは興奮したように一気に喋る。

花嫁行列は集落の奥にある神社に向かって進んでいる。

シャアン…… シャアン……

私は、まるで熱に浮かされたように、行列から目が離せなかった。狐のお面で顔は見えないはずなのに、その青藻という花嫁はとても美しく、そしてとても幸せそうに見えた。


「そうだ、いけない。お祝いを渡すならちゃんとお面をつけなきゃ駄目だった。どうしよう、おねえさん」


花嫁行列をうっとり見ていた子どもが、ハッとしたように声をあげて、困ったようにこちらを見てくる。私は右手に下げたままの菓子折りを見つめると、子どもにそっと差し出した。


「じゃあ、あなたが届けてくれる?」


「わたし?」


子どもが空いている手で自分を指差した。私は頷き、それを肯定する。


「お願い」


「うーん、わかったわ。じゃあ渡しといてあげる。おねえさんにはこれを貸しておくから、四日後にここに返しにきてね。傘がないと困るでしょう?」


子どもは菓子折りを受け取る代わりに、自分がさしていた和傘を差し出した。


「お礼は、おいなりさんが良いな。お面みたいに忘れちゃ嫌よ」


子どもはそう言うと、にっこり笑んで花嫁行列の最後尾にくっついて行った。手を振り遠ざかって行く子どもと花嫁行列を見送っていると、いきなり強い風が吹いた。強風に視界を奪われ、たまらず自分の体を強く抱いた。


気が付いた時には駅に立っていた。

相変わらず目の前ではお天気雨がしとしとと降っている。右手には土産で買った菓子折りは無く、代わりに赤い和傘が握られていた。

私はその傘をさして実家へと急いだ。

子どもが言っていたとおり、お天気雨は三日三晩降り続き、雨が上がった日には見事な虹が出た。

私は、約束どおり四日後に傘とおいなりさんを持って二本松の下まで行った。


松の根元にはちいさなお稲荷さんが建っていた。



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狐の嫁入り ヒトリシズカ @SUH

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