魂唱のエウロギア

2話 騎士の奪還（２） 赫腕の装騎

　怒りと共に亜人の二人が襲い掛かる。各々武器を抜いた。そのまま勢いに任せてルデュリスを仕留めようとする。

　力のままに吠えるがただの突進。迎え撃つのは容易かった。

（煽った甲斐があったな）

　短い考えの後に魔力引き出しに移る。

　抽出された魔力を魂を通じて肉体に表出、薄く引き伸ばし体の表面を覆う。

　耳の男の鉈が振り下ろされた。

　ルデュリスの肩を狙ったそれが短めの軌跡を描くのを見据え、男の鉈を持った手の手首目掛けて右手を横に薙いだ。最小の動作で懐の鞭で武器を握る手の殺意を遮る。

　制御を失った力に引っ張られ、叩かれた痛みで生じた短い怯みを見逃さず、腹に蹴りを入れた。体を蹴り飛ばした足からは赤い靄が流れている。

　先ほどルデュリスに放たれた光よりは精度は落ちるものの、確かに実用的なそれは身体の力を底上げ、蹴り飛ばす距離を伸ばしていた。

「くっ、こいつ！」

　土肌の男の手斧が投げつけられる。円を何度も描き迫るそれを力任せに押し返す。

　軌道を変えていないためあっさりと受け止められるが、視線が逸れた隙に懐へ肉薄する。後ろからは耳の男が追う。

　亜人たちは騎士を挟むと、ここぞと言わんばかりにそれぞえの武器で攻め立てた。

　人間と比べると、亜人は身体の面では大体の場合勝る。力や頑丈さがいい例でその証拠として鞭で打った手の痛みはもう殆ど効いていない。未遂に終わった初撃と同じ速さで鉈は振るわれていた。

　二つの殺意を、騎士は魔力の靄と身のこなしで的確に捌き、避ける。

　一回でも判断を誤ればあっという間に凶刃に切り刻まれる。一度許せば立て直せない緊張だが、受け手たる騎士の感覚はかえって鋭くなり視界と手捌きに正確さを齎す。

　鞭はとっくに捨てている。元々牽制のためだけに備えていたし、何より亜人相手では役不足だ。持っていては邪魔になる。

（やっぱり、数あるのは嫌だが……）

　亜人二人の猛攻は徐々に激しさを増していき、段々押されていく。

　彼としては自分を倒せないことを悟って、退いてくれることを期待して性に合わない徒手空拳で戦っているが手を緩めないところを見ると亜人達にそのつもりは全くないらしい。過剰に力を振るう必要があるかもしれないが、まだそのつもりはない。判断の是非が露になる前に気を変えさせればいいだけだ。

　鉈を地面に、手斧を持ち主の懐に押し出すとその場で回転、纏っていた靄を広げ、男達を絡めとる。確かな重さを感じながら、滑らかな動きで軽く飛び、投げ飛ばす。

　足の動きと連動した靄によって放り投げられた二人は自由落下で地面に打ち付けられた。

　牽制に足から魔力の靄を二発男達の足元に放ち、視界を悪くしてから距離を取った。離れても彼らの翻弄されていることへの苛立ちが見て取れる。

　だがそこまでだった。比較的冷静だった土肌の男が、相棒へ怒鳴る。

「気をつけろ！とっくに魔力敷いてるじゃないか！」

「ああ悪い。見えなくなってた」

　宥めることも兼ねていたらしい。相棒の言葉に男は落ち着きを取り戻した。

　土肌の男の後ろに位置どった耳の男は意識を内面に向け、魂が運んできた魔力が両手の中に集められる。統制されたネイビーの靄は煙に、そして光へと様相を変え、そのたびに男の意志に従順になる。

「……おら！」

　円錐を形作った魔力がルデュリスへ向けられる。

　魔力を成形して放つ、初歩的な魔法が敵を貫かんと走った。

「ちっ！」

　叩き落さんとしたルデュリスの試みを、円錐の仕掛けが勝った。ぐにゃりと変形したそれは中のネイビーの煙をまき散らし、赤の靄を腕から絡めとってしまった。

　初めて顔を歪めたルデュリスの視線は煙に向けられている。

　二色の煙を突き破って土肌の男が手斧を振り上げ飛び込んできた。両手で強く握られたそれには魔力が纏われている。

　左腕を両手首に宛がいがら空きになった腹に正拳を突き出す。が、その一撃は腹を突き破って終わり、右腕を腹に食らいつかれる結果に終わった。

「こ、の！」

　亜人は生まれた時から人間では持ち合わせない生態をその身体に有している。魔法のような後天的な技術とは異なる先天的な身体構造。亜人と呼ばれる所以だ。

　この男の場合は見た目通りの体が土でできている生態を持つ。体内の水分によっては泥の体になることもできる。拳で身体を突き破られても体液が一滴も出ないことを見るに中身も同等の性質を持っていると見ていいだろう。

「ぬ、おおおぉ」

　取り込まれた右腕を抜こうと試みるがズブズブと鈍くしか動かない。よりによって籠手を嵌めた右腕で殴ったためか肌で感じ取ることは出来ないが、体内は泥になっているとみて間違いない。左腕もいつまでもつか分からない上、無防備になるのは格好の的でしかない。

「あぁ、もう！後ろか！」

　予想は当たった。

　後ろから耳の男が足目掛けて鉈を横薙ぎに振るってきた。

　咄嗟に土肌の男の手首を掴み、ルデュリスの元へ引き寄せると同時に足で腰に組み付く。彼という支えを急に失った男の力みは手首を掴んだ左手の誘導で前へと倒れこむしかない。

　鉈は空を切り、後頭部を頭突きする形となった。

　右腕を何とか引き抜き、距離を再び取る。

　一刻前とは状況が逆転してしまっていた。

　人数を侮り、無力化に重きを置いた高慢な選択は逆に仇となり、要らぬ苦戦を招いてしまっている。

「半端じゃ鈍くなるか」

　新たに引き出した魔力を手元に集め、三角を内側に刻んだ円形に整えた二つのそれを手に添えながらぼやいた。

　この世に生きるすべての生物には魂が宿っている。魂は宿主となる肉体に、知性の源を、意識を、そして不可思議な力を齎す。いつしか魔力と呼ばれるようになったそれは想像の元に万変、多様な事象の発言を可能とする。

　魔力変法術。通称魔法は未知の内の扱える範囲を体系化したものだ。先ほどのルデュリスの体の表面を覆ったのも、魔力の靄を手に取って操るのもこれの初歩的な段階だ。

　そしてその名の通り魔力というエネルギーに依存している。引き出した魔力の底が尽けば無理もままならず、出来得る限りを身一つで為さなければならない。

　目的上、限ってしまっている手段と心構えでは魔法が使えなくなれば形成を逆転されて逆にやられかねない。自分で自分の首を絞めてしまっていた。

　そこまで考えてしまって、ルデュリスの口からはため息が零れてしまう。

「バカが……」

　亜人達にも自分にも向けた一言を吐き出して、心を切り替えた。

　気を失うまで痛めつければいいだろう。

「剣……持ってくるんだった」

　一瞬滲んだ後悔はしかしすぐに隠れた。ついで出る喋りにそれはない。

「不思議に思ってたんだが、なんで殺そうと思わないんだ？騎士って分かってんなら『皇』に力を誇示するいい機会だぞ」

　思考の束縛を口にして尋ねる。多少の無理でも踏み込もうとしない答えが少し気になった。

「なんで無理して仕留めなきゃいけない。仕事終えた後にな、酒を飲むんだ。旨そうな食いモン買うんだ。それを全部お前一人のために潰すつもりもないんだ」

「名声じゃなくて？」

「……飯だ」

　なるほどと納得する。自らの考えのもとに幸せを定義しているらしい。個人としての確かな意志の前に、心を切り替える前の手加減を恥じた。

「腹一杯じゃなくていい。仲間と一緒に味わう一口のために『皇』の命令に付き合うんだ。どこが悪い」

　小さい幸せを確かなものにする。ルデュリスとしては目新しい考え方だ。

　時間稼ぎとしては申し分ない。

「充分。痛めつけられてもらうぞ」

　そう言って円を握りつぶしたのが合図だった。

　準備はとっくに終わっていた。魔法より大掛かりなそれを己の意識の内から、外へと解き放った。

「移ろう者たれ、我よ（リリカ・エスト）」

　発現の宣告が唱えられ、抒唱法（トリニト）【鳴き殻突く現踏みの想晶（クオリタス・ウィル）】が展開される。

　抒情を可能な限りこの世界に落とし込んだ個人の奇蹟。言葉の羅列の元に魔力はその心に寄り添った事象を発現させる。ルデュリスの瞳と右腕が赤く光るオーラを宿した。

「結晶で武器を……」

「『赫腕』！」

　隠してはいなかったのに気づいていなかった鈍感さに一瞬面食らってしまったが、結晶は四つ程の武器へと変わりルデュリスの周りに突き刺さった。

　暇を与えない猛攻が始まった。

　右斜めの武器を抜く。口を晒すことのできた銃が弾を放つ。

　亜人達の間を通った瞬間、爆発の魔法を仕込んだ弾が爆ぜた。熱のない爆風に煽られた二人はルデュリスに近づくように吹き飛ばされる。

　間髪入れずに次の武器が抜かれる。左に握られた槌を回転をつけて投げつける。体勢ままならないままの土肌の男と衝突する。

　三つ目を抜く。幅の狭い槍を飛んでくる耳の男に向かって二度突く。傷つけられた内ももから血が小さく噴き出し大きく流れ出した。

　耳の男が転がり倒れ伏すのと、土肌の男が突っ込んできたのは同時だった。

　乱雑に振るわれた拳撃をいなし静かに両手を添える。足元に転がっていた一発限りの銃が結晶の塊へと形を変え足を伝って男と接触している手に集まる。

　どむり。体に複数の結晶の杭が撃ち込まれた。一度は拳の一撃を受け止めた肌は機能しきれず上腕がただの土に変わてしまった。

「う、ぐぁ」

　激痛をまともに感じてしまった男は耐え切れずに足から崩れた。彼にできたのは速い呼吸だけだった。

　決着はついた。言葉の羅列こそ不可欠なものの、特化した方向性と確かな拡張性。漠然とした想像で振るえる魔法との差にして壁。抒唱法を持たない亜人の二人では勝算は失われてしまっていたのだ。

「飯なら少し寝てな。正直に話せば許してもらえるだろ。まともな奴ならな」

「お前らは……俺たちを憎む精霊に従うがままにこんなことをするのか。あの時の戦いで犯した殺戮に酔い狂うままに、ただただ生きたいだけの何も……」

「知らねぇよ。見も感じもしてない戦争なんざ」

　尚も立ち上がろうとする彼らの怒りはバッサリと切り捨てられた。

（これじゃあどっちが悪者なんだか）

　勝ったはずなのだが一方的な戦いがルデュリスに罪悪感を抱かせていた。

　亜人と戦う度に感じる心のしこりから目を逸らすように仕上げにかかる。

　耳の男の側頭部が結晶に覆われた足で蹴られた。頭に伝わった衝撃に引っ張られて体が盛大に転がりうつ伏せに倒れる。

　意識が飛び、前後不覚になったそれの後頭部を数度踏みつける。急所への複数の追い打ちに耐え切れず男は気を失った。

　そのまま冷たい視線を向けもう一人の男の元へと近づく。体の結晶を集め、こん棒に形作りながら。逆手に持ったそれで男の背中を力を込めて突いた。

　ドゴリと、くぐもった鈍い音は土肌の男の意識をしばらくの暗闇へと叩き落した。

　恨めしく睨む目は何を語っていたのかは、分からない。

「……悪いな、何も理解してないように叩きのめして」

　聞こえるはずもない謝罪をする。それだけを呟き、場を片付ける。

「一つ使わなかったな」

　突き刺さったままの武器を見つめながら、目を細めて瞳と右腕から流れ出ている魔力を体の中へ戻した。

　魔力の供給を絶たれた四つの武器はその場に小さな粉の山を作る。どれも赤い光を含んでいた。

　二人の、朶柔玩（ペットメン）と変土容（フェイズクレイ）の亜人はただ与えられた役目をこなしていただけだった。それが目先の悦のためには必要だったから。この行いを正当化するための口実も考えていないのかもしれない。暖かな幸福の追求のために自分達の種の強者に付き従っていたのだろう。

　彼らは運が恵まれなかっただけなのだ。

「こんなことしかできないが……」

　馬車から片手サイズの教典を取り出し、祈る。

「小さな幸福と巡り合えること願ってるよ」

　この祈りがしっかり伝わるとは思っていない。自己満足でしかないが、それでも目を閉じ、ささげた。