1話 騎士の奪還(1) 亜人の馬車

 森の中にあった都市に続く道は一応ある。そこと森の外との行き来を快適にするための整備されたそれではなく、不便さを我慢しながらも踏み固めが積み重なった結果のそれだが。

 でこぼこな道は荷車に何度も揺れる負荷を強いる。しかし通らないわけにはいかない。


 出立を急かされた馬はとりあえずと馬車を曳いていた。

 しかし乗っているのは主人ではない全く別の誰かだった。

「えぇ、目的のモノは確かに。大丈夫です。外へ走っていく姿を確認していますし、住人が移動手段に来訪者の足を利用するように促していたことから間違いないかと」

 馬を御する男の声が風に乗り流れた。頭から生えているふんわりした耳がパタパタと揺れる。


 男の膝元に置かれた台座から吹き出でいる煙が揺れる。規則的ではないが、不自然なそれはまるで誰かの意思を伝えているようで、実際男は揺れ具合から返答を読み取っていた。


「手筈通りに。合流し次第そちらへ渡します。不足なく麗皇の元へお願いします。……流石に帰還し始めているでしょうし」

 再び煙が揺れた。

「できることなら向こう側まで一貫して運びたかったのですが……。私共にも生活がありまして。定住している手前、干渉と捉えられかねない行動は慎まなければいけないものでして。禁止されてることは、どんな事情であれ。……ご理解ありがとうございます。必ずやこの責務、『皇』のために」

 理解を示した揺れに感謝を返すと、手で蓋をする形で煙を消した。煙が噴出口から出なくなるのを確かめた男は緊張と息を吐きだした。

 後方の男に向けた顔には朗らかさが浮かんでいた。


「運の良さに感謝しないとな。このままいけば誰の邪魔も入ることなくまで行けそうだ」

「逃げられた時は本当に焦ったが、門の外には馬車が一台だけ。しかも使ってくださいと言わんばかりに誰もいないときた。日頃から真剣に生きてた報いだな」」

「それだけじゃないさ。逃がすって方向で動いてたあそこのやつらにもしないとな。おかげである程度は動きが組み立てられたもんだし」


 やるべきことはやったと言わんばかりに緊張の抜けきったやり取りを交わしながら一人は手綱を握り、一人は木箱の上に座っていた。

 二人組の目的は人攫いだった。

 半端な熟れの人間を連れ出すだけ。しかもたった一人だけ。途中屯している脅威から襲われるかもしれない危険性を除けば、左程難しい事ではない。

 対象も意図的に都市内では価値を持ち合わせていない。住民から追われる心配もない。簡単な仕事だった。

 人一人を人間が容易に手出しできない場所まで連れ込めばその日を生きられる程度の恩恵を貰える。そういう事には、なっている。

 日常から誰かを引き抜くという事は思い付きではできない。程良い場所を定め、邪魔のない時間に襲い、従順するべく傷つける。彼らは最後の仕上げを務めているに過ぎない。

 目的を果たした恩恵は彼らより上の立場に占められる。身体を酷使していないにも関わらず、だ。故に危険のある役目を担う彼らには不愉快とする部分はある。


「あーあ、いっぱい貰えるいい事が起きねえかな。そしたらあんなわがままな『皇』に頭下げなくてもよさそうだし」

「だよな。こんなことしてるだけじゃ、しばらく経ったらまたあれの気まぐれに付き合わなきゃだしな。そう考えたら貰うだけじゃ不安だな……待てよ」

 何かを思いついた様子だった。

「おい、どっか言い訳できそうなトコ見つけて止めてくれよ。ちょっと確認したいんだ」

「……か!」

 このまま言われるがまま仕事を果たすつもりはない燻りが二人組に少しでも多く金銭を取る算段を立てたらしかった。

「そ!もしあったら先に手を打ってあっちの独り占めを避けておこうと思ってさ」

「権利を取っておけば買い取る必要があるし、その時に多くふんだくれりゃいいし……」

「わざと焦らして量も増やせばいい。殺したところで移り変わりはないしな」

「よしそうとなりゃ話は早い。敢えて巣の近くに寄って襲われた体で……」


 知恵がまとまりつつあった二人の間を何かが馬車を掴む音が遮った。

 同時に馬車の速度も急に落ちる。

 少しは想像は出来ただろう―しかし油断しきってできなかった―事態に男二人は体ごと振り向く。

 指が床に食い込んでいた。肌が剥き出しではない。指の一本一本が真紅の金属に包まれている。

 木の軋む音と同時に指が、そこから繋がっている体が持ち上がり馬車の中へと入りこむ。

 場は一気に静まり返った。侵入した何者かの、伏せたまま見せようとしない顔を見るべく、二人組は目配せする。

 腰を上げようとしたその時、男の顔が跳ね上がる。


「どうも。返してもらうぞ、こいつ」

 本来の馬車の主、ルデュリス・ベルジュは短く言った。


 それが合図だった。荷物の上に座っていた男が右手で掴みかかろうとする。

 その右腕を掴んで避ける形で男の正面に立ったルデュリスは右手の甲で顔面を殴る。真紅の籠手が軽やかな音をたて、男は僅かによろける。そのまま胸元を掴み、馬車の外へと放り出した。

 既に取り戻していた速度の勢いが加わり、盛大に転がる様に目もくれず、手綱を握っている男の方に近づく。

 二の腕を掴み外へと叩き落した。激しく地面にぶつかる音がした。


「……」

 荒い道で揺れる車輪だけが沈黙を遮る。

 ふぅ、とため息が出てしまう。馬車を取り返しただけなのに思わず零れ出た。

 不注意への不甲斐なさ、都市からここまで走った疲労、奪還の安堵が体の中に溜まりこんでいる。一息つかない訳にはいかなかった。

 長くこうしていてはいけない。やることはまだある。損壊の確認、相棒との合流、勝手に入り込んだ荷物の確認がある。本当に安心するのはそこからだ。

 担い手のいなくなっていた手綱で馬に停止の指示を送りながらルデュリスは頭を整理した。


 足元に転がっている物を回収してから馬車を降り、馬に声を掛ける。

「どうだった。生々しい話聞いた気分は」

 ルデュリスにとっては冗談のつもりだったが馬はそれに不満をもったらしい。

 軽くいななくと、髪を咬み始めた。

「……悪かったって。向こうでただ事じゃないって感じた時点で急いではいたんだが……僅差で」

 謝りはすれど、乱行を止めることはしない。


 非は彼にあった。森の中にあった都市に立ち寄ったところ、難癖と因縁をつけてきた住民と、潜伏していた亜人と争う羽目になった。自発的な関与ではないが放置していた事実に変わりはない。

「盗まれたりとかはないよな。荷を勝手に漁られたりもしてないし、八つ当たりもなし」

 損壊の憂いと同時に唐突に左腕を挙げる。上空と腕の周りに色の光の粒が舞っていた。

 索然とした表情を向けた先には、馬車から落とした二人組が利き腕を突き出して構えていた。

 馬車から追い出した時には気づかなかったが、それぞれ足と腰に武器を身に着けている。


「まさか騎士サマの持ち物だったとは。どうもありがとよ。おかげで楽できたぜ。でもどうせなら最後まで使わせてくれてもいいんじゃないかね」

「俺達の目的はそれじゃなくて中にある荷物の一つでな。で、運ぶには重くてな。何も怪しい物を運ぶってわけじゃない。なあいいだろ、慈悲の一つくらい」

 男たちの懇願交じりの脅迫によると、運ぼうとしている何かは人力では億劫な位中身があるらしい。口で否定してまで隠し通そうとしている。

 どれだけ喋りを優しくされても好意的に応じる演技をルデュリスはできない。

 彼は静かな怒りを沸かせていた。


「人の積み重ねの結晶に同情もしない盗人が」

 所業、物言いに苛立ち吐き捨てた。

 顔にも出るほど憤慨していた。しかし頭はそうはなっていない。対処を思考する。

 二対の耳を持った男に、体中にひび割れが走っている土の表皮の男。

 二人程度なら苦戦はしないだろう。厄介なのはという点だった。

 亜人はただ殺して終わりではない。死骸を放置すれば芽が出て木を為し実を作る。実からは新たな亜人が生まれる。

 ここは道以外ない草原だ。開けた場所で殺せば生まれ変わった種を確かめ辛い。

 中途半端に、傷を負わせて放置するしかない。明確に殺さなければいけない理由もないならそうした方がいいだろう。

 目の前の亜人も今日の糧、明日の蓄えのために自分と戦うつもりでいる。生きるという真面目な正義を蔑むことはできない。

 できることなら、通してはやりたかった。紛失に注意をしながら。

 彼らが運ぼうとしている何かには心当たりがあった。もし当たっているのなら、ルデュリスにとっても必要になってくる。猶更譲るわけにはいかない。


 やるしかない。頭が結論を出した瞬間に、敵の不利を作るべく口が動いていた。

「命惜しくて泥棒して、叶わないとなれば力で言う事聞かせようってか。どこまでも自分だけでも、の考え。教わった通りの下衆で野蛮な典型そのものじゃないか」

「……」

 沈黙はどうでよかった。顔を顰めている。

 喉からこみ上げる良心を抑えて侮辱を加える。

「違いしかないお前らを見てると羨ましくも憐れにも思うよ。必死に大切に今を生きていても騎士サマに見つかったら惨めに殺される。蘇ってもあんたら二人見たいな兵士にもなれない雑魚に生まれ変わることしかできないもんなどれだけの奴らが笑われながら殺されていったんだろうな」

「同胞を……馬鹿にするな!」

 感情を優先し始めた。あと少し。

 興が乗ったのか、口が急かす。

「馬鹿にしかできないだろ。所詮〈皇〉にこき使われるだけの下僕がお前らなんだ。あぁ、間違って怒ってたな。そんなお前らが正々堂々と奪い取れるわけがない。雑魚が生まれ変わり続けても雑魚なんだから。姑息な手しか使えないわけだ。悪かったな強く見てしまって」

「この……!」

 ある程度血が上った。煽る必要はもうない。


 左手を真紅の籠手に優しく添え、嵌められた右手に力を入れ、籠手の締まり具合を確かめる。

「使いたいなら俺を殺して奪ってみろ。やれるものならな。血を浴びる度胸もない盗賊擬きが!」

「好き勝手言いやがって……!そっちこそ同胞に詫びやがれ!汚ねぇ妄想に驕った忠犬が!」

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