6-7.

 引っ越しのダンボール箱を開封しながら、春日原が言った。

「いいところが見つかって、よかったですね」

「……うん……」

新しい住まいは、駅からほど近い築浅オートロック付き十一階建ての三階、風呂トイレ別の1DK。徒歩数分のところにスーパーもコンビニもあり、もちろん美味しくて安い定食屋もある。それでいて、家賃は今までとそう変わらない。

「……花枝さんに、借りができたな……」

本来の相場は倍以上するであろう物件を格安で借りられたのには、もちろんというか、花枝嬢が絡んでいた。


 木村が逮捕された日の夜、突然花枝嬢から電話が掛かってきた。さすがにもう春日原はいなかったので、恐る恐る自分で出ると、

『もしもし、歌ヶ江くん? 殺人事件に巻き込まれたんですって?』

「はい……」

『味坂くんから聞いたの。ちょっと調べたんだけど、犯人の男のスマートフォンから、私がネットに載せた歌ヶ江くんの写真を加工した画像が出てきたらしくって』

「え……」

まだ逮捕から半日も経っていなかったというのに、味坂はどこからそんな情報を、というのは置いておいて。詳しく言うと、顔の部分を拡大したものが、待ち受けにしてあったらしい。勝手にSNSのアイコンにされる道端の野良猫も、こんな気持ちなのだろうか。

『歌ヶ江くんの部屋の隣に引っ越してきたの、去年の秋なんでしょ? 初めからきみが目的だったんじゃないかな』

言われてみれば、木村が引っ越してきたのは、あの写真を撮ってからすぐのことだった。どうやって俺の居場所を突き止めたのかは、知りたくもない。

『そうなると、歌ヶ江くんの部屋で起きた事件は、自分のエゴできみの存在を世間に知らしめた私のせいってことになる。よって、今泊まっているホテルも、引っ越しにかかる費用も、全額私が持ちます。条件を言ってくれれば物件も探すから、遠慮なく言って』

「いえ……、そんな……。悪いです……」

元々、この物騒なご時世にケチってセキュリティをおろそかにしていた俺も悪いのだ。

『他にも問題なく住んでる人がいるんだから、歌ヶ江くんは何も悪くない! でも、セキュリティのしっかりしたところに引っ越すのは賛成!』

「えっと……、あの……」

『今まで住んでいたアパートと似たような条件で探せばいい? 明日の夕方までにはピックアップして、資料を送ります。他に困ったことがあったら連絡して。それじゃ!』

と、ほとんど一方的な連絡の後、すぐに切れた。


 それが、一週間ほど前のことだ。あれよあれよと新居が決まり、引っ越し業者も手配されて、呆気に取られているうちに速やかに引っ越しが完了してしまった。


 「いいんじゃないですか、借りだなんて思わなくても。みんな、自分がやりたくてやってることですよ」

例によって無償で引っ越しの手伝いをしに来てくれた、やりたくてやっている筆頭の春日原に言われると、それに甘んじている俺は何も言えない。

 だが、

「……一つ、聞いてもいい?」

「何ですか?」

「……春日原は、これから事件が起きる場所が、わかるの?」

花枝嬢の島の時も、涼城ツーリングの客船にも、彼が付いてこなかったら無事では済まなかったと思う。

「……何か起きるのを知ってて、旅行に付いてきたんじゃないの?」

すると春日原は、箱の中から本を取り出しながら、ぽつりと言った。

「……以前、少しだけお話ししましたよね。父は研究者だって」

そういえば、そんな話をした。あまり聞かれたくなさそうだったので、深く突っ込まなかったが。

「その研究というのが、『犯罪を予見するAIを作る』というものだったんです」

本職は犯罪心理学専攻の大学教授だったんですけどね、と付け加える。

「ところが、研究を進める中で父は思いついてしまったんです。『人間の脳もコンピュータのようなものなのだから、同じように学習させてみたらどうなるだろうか』って」

「……それって……」

「かと言って、大っぴらに実験するわけにもいきませんから。試しに、まだ小学生だった息子の僕に、遊び半分であらゆる犯罪の事例を学ばせました」

国内外、事件の大きさを問わず、記録が残っているものは片っ端から。

「と言っても、強制された覚えは全くなくて。内容は特殊かもしれませんが、電車に興味を持って型番も路線図も地名も歴史も覚えてしまう子供と、さして変わらないと思います」

本棚に、本を種類別、著者別五十音順で速やかに並べながら続ける。

「わからないことは、聞けばすぐに教えてくれました。予測には犯例だけでなく、地域の人口比や地形のデータなども必要でしたし、殺害方法については生物や物理、化学の知識が必要でしたから、学校の授業も楽しかったですね。そうしているうちに――なんとなく、ここでこういう事件が起きそうだな、っていう、勘が働くようになったんです」

場合に寄っては、時間帯やどんな人物が巻き込まれるのかなども。

「でも、正確ではないんです。日付が違ったり、被害者が違ったり、場所が違ったり。だから、結局は様子を見て、事後に対処することしかできなくて」

「……じゃあ、今回のは……。俺の近くで何か起きそうだったから、付いてきたの……?」

「はい。正しくは『あのアパートで何か起きそうだったから、歌ヶ江さんのアリバイだけでも確保しようとした』ですね」

二箱目の本を整理しながら、悪戯がバレた子供のような顔で笑った。

「……できれば次からは、事前に言って……」

「そうします。やっぱり探偵役は、歌ヶ江さんがいいですから」

「俺は嫌だ……」

肩を揺らして緩く笑う春日原に呆れながら、俺は開封した段ボール箱の中に入っていたこけしを、玄関に置きに行くのだった。

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助手探偵 毒島*4/24書籍発売 @ashita496

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