3周年
PeaXe
運命とは神の悪戯である。
初めまして、俺の名前は冬樹です。
冬の樹のように逞しく育て、という意味があるそうです。
そんな俺の、とある出会いの話を聞いてください。
*◆*
もぐもぐもぐもぐもぐ……。
無言で口いっぱいに頬張ったドーナツを、夢中で咀嚼する。
それは、親友の月一の楽しみだった。
何でそんなに入るのか、と思う量を、リスとかハムスターとかっていうあだ名が付くほどいっぱいに溜め込む。
そして口の中にまだドーナツが残っている時に近付くと、ドーナツを分けてくれる。
それが、数年前から一緒にいるこいつの、最初に知った癖だった。
*◆*
人間、ふと1人になりたくなる事もある。たとえ小学生でも。
小学2年生になった俺は、自慢じゃないが友達が多かった。
勉強そこそこ、体育それなり、クラスの中ではまぁまぁ人気者。
普通よりはちょっと目立つ。
言い換えると、普通からはやや抜け出せないような人間だ。
そんな俺はふと。なんとな~く1人になりたくて、フラフラと校舎の敷地内を歩き回っていた。
「何だこの甘ったるい匂い」
小学校の校舎裏で、俺は不意にそれを感じ取った。
砂糖やら蜂蜜やらジャムやら……この世の甘ったるいものを煮詰めたような―― までは残念ながら行かないが、甘いものが子供の割に苦手だった俺からすればかなり甘い匂いが立ち込めていた。
外なのに。
「虫が寄ってきそうな匂いだな……」
あまりの甘ったるさに、1人になりたい気も逸れてしまっていた。
そして俺は、そいつと会ったのだ。
「……うわー……」
第一印象:リス。
お前それどうなってんの。と聞きたくなるくらい、パンパンに膨れた頬。
そして、大量にドーナツが入っているらしい茶色い紙袋。
更には金髪碧眼の少年。
人通りの少ないその場所で、特に上る目的は無い階段のような段差に腰掛けている彼の様子は、中々に衝撃的だった。
綺麗な金髪。
空色の瞳。
そして外国発祥のお菓子。
「……はろー?」
自分でもたどたどしすぎる、へなちょこな英語での挨拶だった。
しかも、無表情である。
仲良くなろうとしたわけじゃないが、あまりの酷さにその日の夜はベッドで転げまわったほどだ。
しかも。
ごくり、と口の中に会ったドーナツを全て飲み込んだ彼から、一言。
「おれ、日本人だよ」
と言われた。
いやぁ。あの出会いは、さすがに一生忘れないと思う。
それくらい、当時の俺には衝撃的だったのだから。
*◆*
始めに、と言うには随分話しているが、それでも言わせてもらおう。
俺はそんなにコミュ力が高くない。
会話や身振り手振りによるコミュニケーションに難があるとは、生まれてこの方1度たりとも言われた事はない。
しかし、クラスでは真ん中からやや高いくらいの位置だ。
その日の俺は、どうかしていた。
「へー、ピアノやってんの?」
子供特有のキラキラした笑顔で、同級生というか、当時転校する前日だった彼を、質問責めにしていた。
名前、年齢、趣味などを聞いただけだが、思い出してみれば質問攻めという言葉がしっくり来る。
オランダ人と日本人のハーフという彼は、名前を夏色というらしい。
彼自身は人見知りで、でも物怖じしない奴らしく、俺から一定の距離を保ちつつ俺の話というか、質問を受け付けた。
ドーナツを食べ終わった頃を見計らって、質問をする。
その度に1個もらえるドーナツを頬張ったのだが、さすが子供。ドーナツを3個も胃袋に収めると、お腹一杯。
「今度聞かせてよ! 学校にピアノあるし、音楽室、他の学校よりは広いらしいから!」
「……ごくん。ん、いいよ。冬樹のお願いなら、弾いたげる」
「やりっ!」
俯き気味の顔で、薄く微笑んでくれた。その顔を見ると、胸の辺りがふわふわと温かくなってくれたのだ。
その後、転校先が俺と同じクラスだった事もあり、俺は早速、音楽室へ案内した。
そして弾いてもらったのだ。
―― 衝撃だった。
ほんの数日で、何度衝撃を受ければ、俺は気が済むのだろう。
ポロン、と高い音から始まった厳かな旋律は、妙に俺の頭の中に残った。
心が、揺れた。
それまで、大して動いていなかったのではないかと錯覚するほど、揺れた。
ああ、感動とは、これなのか。
初めて理解できた。
そこからは子供ながらに真似しようとしたり、当然の如く上手く行かない事に腹を立てたり、そこからにわか仕込みのピアノ練習を始めたり。
ただ、俺はピアノを弾く才能は無かった。ただ、夏色のピアノが好きだという感覚だけが、しっかりと残った。
先程も述べたとおり、その小学校は、他の学校より音楽室が広かった。
その音楽室の隣。準備室にあたる場所には所狭しと楽器が並べられていた。
探検気分で見て回れば、とても楽しかった事を覚えている。
ただ、ピアノが出来なかったから、自然とそれらも扱えないと思った。だから、せめて壊さないように触れなかった。
*◆*
夏色と出会って3年ほどが過ぎた頃。
小5の夏、俺はその日も、夏色のピアノを聞いていた。
なんてことは無い。
夏色が出たコンクールへ招待されたのだ。無表情が常のあいつには光の加減で見えないだろうが、とりあえず口パクで「がんばれ」と伝えてみた。すると。
まぁ、やはりと言うべきか。
―― 再び、衝撃。
ずっと聞いてきたはずだった。
なのに、その時の夏色は尋常ではない感情を乗せて、弾いていた。
再び、心が揺れた。
そして弾き終わった夏色は、俺に向かって口パクで言うのだ。
「おどろいた?」
見せた事が無いような笑顔で、初めての時以上の感動を与えてくれた。
ああ、驚いた。
驚いたよ。
少しは大人に近付いた小学5年生にもなって、俺の目がキラキラと輝いたのが、俺自身で理解できた。
またピアノをやってみようか、などという世迷言を放ってしまう。
久々に弾いてもやはり下手で、夏色には、それはもう、静かに笑われてしまった。見ているこっちが苦しいほどの大爆笑だ。
そうして意地になって取り出したのは音楽準備室にあった1つの楽器。
素人の俺でも知っている楽器の1つ。
ヴァイオリンだ。
まぁ弾き方なんて分からない。
意地になって持って来ただけだからな。
加えて小学校にある楽器。初心者用に作られた安物に決まっている。
せいぜい変な音を出して、不快な音に耳を塞ぐがいいなどという、悪戯心だった。
けど。
「きれい」
と、言われた。
普通に音が出てしまったのである。
しかも、少し良い感じに。
調子に乗って適当に指を動かすと、それにしたがって様々な音が出た。
それが妙にいい音になってくれた。
それだけ。
きっかけというのは、そういうものだ。
「自分で言うのもあれだが、俺って天才だったんだな……」
「ふふ、冬樹は元々、音楽系の才能、ありそうだったよね」
「ま、同じ弦楽器でも、ヴァイオリン以外は超が付くほど下手糞だけどな!」
俺がにっと笑って見せると、夏色もふわりと微笑む。
中学1年生。
俺がヴァイオリンに触れて、3年目。
当時の俺は知らなかったが、夏色は小さな頃からピアノの天才と持て囃されていた。
しかし、天才と呼ばれる事に疲れ、元いた土地を離れて、俺のいた小学校へ転校してきたのだ。
そして、俺があまりにも純粋な目でピアノをせがむ姿に触発されたらしい。
俺は最初、ピアノの天才を蘇らせた少年として取り上げられた。
俺が知らない内に、夏色ファンの目に触れていた事には驚いた。
「そりゃそうだよね。ふふ、ごめん」
「謝る事は無いだろ? 俺が公式デビューの時、素人に毛が生えた程度だってあまり期待はされなかったのに、何故かお前の知り合いだからってテレビ局から話しかけられたくらいだ」
「あぁ、あったね!」
何故か夏色の推薦で出された挙句入賞しなかったから、顔に泥を塗りそうだったのに。こいつは妙に危機感が無い。
ただ、その後必至に練習して出たコンクールでは銀賞、その次は金賞という結果を出したから、まぁまぁ有名になった。
「まぁまぁって。入賞できなかった3年前のコンクールから数日後、ただの路上ライブで観客湧かせて才能を買われたのは誰だったかなぁ?」
「あはは。誰だって初めては緊張するよね。って話ですよー……」
「もう。おれと約束したじゃん。ずっと一緒に音を奏でようって」
「うん。だからここにいる」
「だろ?」と笑えば、夏色も微笑み返してくれた。
よかった、機嫌は損ねなかったらしい。
後で一緒に楽器を弾けば、喧嘩になりかけた事もすぐ忘れるだろう。
さて。
取材はこのくらいで良いですか?
幼馴染枠で呼び出されたから何事かと思えば、夏色のインタビューに参加させられるとはね。
やっぱり、夏色と一緒にいると、退屈しないなぁ。
「そうだ、この後うちに来る? 久々に思いっきり自由に弾こうよ」
「お、いいね、ちょうど俺も弾きたかったから、このままで良いか?」
「もちろん。夕飯は?」
「食べて良いなら」
「もちろん!」
数週間後に控えるコンクールの話はせず。いつもと同じように、あくまで幼馴染としての会話を重ねる。
温かくて、優しくて、時々甘ったるい。
こういうかけがえの無い日々を、そのまま音に出来たらいい。
今度のコンクールは、2人で出る。
初めて2人揃って出るのだ。
失敗の恐怖より、ただ楽しみでならない。
音色はまだ、終わっていない。
3周年 PeaXe @peaxe-wing
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