第2話
客間へと急いでいる間、少し脳内を整理するが、もし母さんの知人だとしてもそんな大人数の知人なんて居ないし、元から母さんには友達が居ない。
客間の扉を開けると数人の50代半ばの男達が窮屈そうに部屋の中央に置かれているちゃぶ台を囲む様に座っている。
側近と思われる男達の中に運転手らしき男と、片手にスケジュール表を持ち、挙動不審に部屋の隅々まで見ている男が
横柄な態度の男は不気味な作り笑いを浮かべ、頭を軽く下げ挨拶をして来た。
男の不気味な作り笑いを見た瞬間、朝に特集が組まれていた男と橘達が噂していた男がこの男だと言う事に気がつく。
思考回路が停止し、廊下で立ち竦んで居ると後ろから聞き慣れた無感情な声がする。
「今大事なお客様が来てるの。お邪魔でしょう。早く部屋に戻りなさい。」
「いや、奥様お気になさらず。素敵な息子さんですな。」
西川は不気味な作り笑いを崩さずに慣れた様子でお世辞を言う。母さんは軽く頭を下げ、俺の背中を押す。早く部屋に行けと言う合図だろうが、俺は部屋とは反対方向にある、客間の声が聞こえる場所に向かう。
俺の背中に母さんの目線が刺さる。通常の客人であれば大人しく部屋に向かうが今回ばかりは、普通とは思えない人数と、不気味な西川という男が居る為、この家に住む者として素通り出来る様な問題とは思えなかった。
客間の奥に位置するちょっとした物置に身を潜め、壁に耳を押し当て全神経を耳に集中させる。微かに西川と思われる男と母さんの話す声が聞こえる。
「奥様、何度も申し上げている通り、この素晴らしい家を私に売っていただけませんでしょうか。」
営業マンの様な業務的な口調でありながら、好感度を狙ったかのような優しげな口調で要件を言う。
「折角こんな田舎に足を運んで頂いたのに申し訳ないのですが、この家は私にとっても息子にとっても、たった一つの大事な家なので手放す事は考えていません。」
「お気持ちは十分に分かります。この家に詰まった思い出はどうしようも出来ないのですが、新しく思い出を育んでいく為の家を用意することは出来ます。無論、この家の売却代とは別で私の方で、奥様と御子息のご要望に忠実にお答えした家をご用意致しますので…」
「私の意見だけでどうこう出来るような問題ではありませんので…」
「先程から何回も申し上げていますが、御子息の事を気にかけていらっしゃるようでしたらご心配なさらず。御子息の望む物、全て用意します。自分の欲しいものが全て手に入るのであれば御子息は反対なさらないと思いますよ?」
俺が帰って来る前から何回も同じ話をしているのか、西川の口調が段々と苛立ったものへと変わっていく。
同じ体制を維持するのが辛くなって来て、ザラザラとした深緑の壁から片手を離し適当な場所に手を置くと、写真らしきものに手が触れる。
物音を立てぬように気を付けながら、スマホをズボンの前ポケットから取り出し懐中電灯を点け、写真の方に光をやると、その写真には幼い頃の満面の笑みを浮かべている俺と、若い頃の幸せそうに笑っている母さんと、俺と母さんの肩に手を回し人懐っこい笑みを浮かべている男性が写っていた。
ありふれた家族写真だが、この写真を見た途端から何故か涙が止まらない。この写真に写っている男性は、確実に昔、俺と母さんを捨てて出て行った父さんだった。嫌悪感でいっぱいになっていた心が、十数年ぶりに幸せな気持ちで溢れた。何も考えずに当然のように幸せな気分に浸れていた子供の頃に戻れたような気分になる。
自分で蓋をして無理やり忘れさせていた父さんとの幸せな記憶が鮮明に蘇る。何故こんなに幸せだった記憶を封じ込めていたのか分からないが、写真を見るまで、父さんは作り笑いしかしていないと思い込んでいたのに、この写真を見るとそんな思い込みが馬鹿馬鹿しく思える程、父さんはよく笑っていた。
だが、何故この写真がこんな小汚くて誰も入らないような部屋に一枚だけ床に落ちているのかが分からない。必死に理由を考えていると、客間のある左のほうの壁から数人が立ち上がるような物音が聞こえてきた。
慎重に俺も立ち上がり、客間を迂回し急いで自分の部屋へと戻る。
部屋に戻り息を整えて心臓を落ち着かせ、ベットに寝転ぶ。右手にはしっかりと写真を持っている。もう一度写真を見ると、母さんが笑っている事に気がつく。さっきは父さんのことを思い出すのに必死で気が付かなかったが、今ではあり得ない表情だ。母さんも俺も、今では心の底から笑う事は勿論、愛想笑いさえしなくなっている。
確かに記憶を辿ると、俺も母さんも当然のように笑っていたのだが、父さんが出て行ったあたりから笑うことが全く無くなった。父さんが出て行った頃と、俺の母方の祖母が亡くなった時期が被っていて、母さんも俺も、精神的に病んでいてその頃の状態を今でも引きずっているのだ。
幼少期の俺にとって、父親が出て行ったことと大好きだった婆ちゃんが死んだ事は勿論辛かったのだが、そんな俺よりも辛かったのは幼い子供と取り残されて唯一の身内であった自分の母親を亡くした母さんは更に辛かったと思う。
そんな事を考えてぼーっとしていたら、日差しが差し込んできた。自分でも気がつかないうちに眠っていたようなのだが、父さんの夢を見た気がする。眼鏡を掛けたまま寝たせいで頭が痛む。酷く痛む頭に手を当て、ゆっくりと上半身を起こしていると、宿スペースから陶器の割れる音と何かを襖に思い切り当てたような鈍い音がする。
先程までの頭痛を忘れ、急いで宿スペースに駆け込む。
モブの事件簿 ソルエナ @Soruena_0211
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