第17回 BfV最大の危機・疾風迅雷篇

「こ、これに乗れってのかい?」

 駐車場の片隅に置かれた、その奇妙な乗り物を見たとき、風早マキはこの緊迫した局面にもかかわらず、あっけに取られて叫ばずにはいられませんでした。

「だってこれしかないんだから、しょうがないじゃないか」

 潤はそう答えたものの、これが果たして使えるのかどうかについて確信があったわけではありませんでした。

「そりゃいいけど」

 とマキは潤の背後から、その真っ赤に塗られた奇妙な車体を覗きこみながら、

「おい、これタイヤが三つしかないぞ。それに乗ろうたってドアがないじゃないか」

「三輪だって走れることは走れるさ。それに、乗るには確かこうするんだ」

 潤は言うなり、車の屋根に手をかけました。屋根といっても、飛行機のコックピットそっくりに透明な風防ガラスがかかっているだけで、車体の左側上部ごとパックリ開くことができたのです。

「なるほど、こっから直接こう乗りこむわけか。ひらーりっ! と」

 マキはスカートをひるがえし、縦に二つ並んだシートの後ろの方に着地しました。そのあと初めて気づいたようすで、

「うん、こっちでよかったのか? バイクならおれ、運転経験あるけど……それにハンドルも丸くなくって二輪っぽいし」

「何とかやってみる。座席を取りかえっこしてる暇も惜しいしね」

 潤は前の運転席に置かれたマニュアルらしい冊子に、一心に目を通していましたが、やにわにマキ同様、車に飛び乗ると、風防ガラスを下ろしました。

 次の瞬間、奇妙な形の三輪自動車は猛然とスタートダッシュし、何となく模型自動車のような軽やかな爆音を立てつつ、地上へと駆け上がったのでした。


 ――メッサーシュミットKR二〇〇、それは伝説の名車でした。全長二・八メートル、車幅はたった一・三メートル。前面にカエルの大目玉を思わせるヘッドライトを二つ輝かせ、なめらかに成型された流線型のボディの下から前に二つ、後ろに一つの小ぶりなタイヤを覗かせたデザインは何ともユーモラスで、見る人を驚かせ、そして微笑ませずにはおきません。

 ですが、製造元は戦闘機で名を馳せたメッサーシュミット社製だけに、その性能は侮れず、強制空冷式2サイクル単気筒、総排気量百九十一ccと小ぶりなエンジンながら、最高時速百五キロと並の車に引けは取りません。

 しかも、ここ憲法擁護局の秘密基地に置いてあるということは、ただのクラシックカーコレクションであるわけはなく、元の性能をはるかに上回るチューンナップ、いやいっそ魔改造と言うべきものは施してあったのです。

 その点にかけての二人の選択だったのですが、とりあえずは大当たりでした。並外れて小型なため、どんな狭い裏道や路地だって平気で突っ切っていくことができます。加えて車高も百十九センチと低いために、他の車両とりわけボス・ドック・エースと思われる三人の人質を連れ去ったワゴンのような大型車からは、きわめて視認しにくいという利点があったのです。

 とはいえ、安全運転というわけにはとてもいかず、道なき道を押し通り、他の車の間と間や、ときには下を抜けていったりしたものですから、運転を任せてしまったマキの狼狽は一通りでなく、

「ちょ、ちょっと、大丈夫か。何だったら代わろうか。あーっ、前から車が、それに横っちょからも!」

「こ、交代してもらいたいのは山々だけど、い、い、今さらそんなわけにいかないし」

 潤は、ハンドルならぬ操縦レバーにしがみつきながら、こう答えるのがやっとでした。

 それでもようやく前方に、あの大型ワゴンを見つけることに成功し、みるみる距離を詰めることができたのは、この一見ひ弱な車に命をかけたおかげと言えました。

「ええい、こうなっちゃ、いつまでもバックシートドライバーしちゃいられない。遠慮なくやらせてもらうぜ!」

 言うなりマキは風防ガラスを跳ね上げ、木の葉のように揺れ動く車内で腰を浮かせ、愛用のH&K・UMP45を構えるや立て続けに銃弾を放ちました。

 しかし防弾装甲を施しているのか、相手にはまるで通じず、それどころか気づかれて応戦されることもなく、一方的な追っかけっこは、そのまま何の展開ももたらすことなく、郊外の人気のない広漠とした空き地へと突入していったのでした……。


 ――そこは、優に数階建ての高さと、小学校のグラウンド二つ分はある工場跡でした。

 かつてはここで何を作っていたのか。どんな機械が据えられ、どれだけの人たちが働いていたのか。それら一切をうかがわせないことに、中はすっかりがらんどう。ひょっとしたら柱や梁まで持っていってしまったのではないかと疑われるほどに、薄っぺらな壁と穴だらけの屋根しか残っていないありさまでした。

 床は一面のコンクリート。雨ざらしのせいか奇妙に彩られた、このうえなく殺風景な大広間のど真ん中で、今まさに恐るべき審判が行なわれようとしていました。いや、メインは審判より、そのあとに処刑にこそあったのですが。

 冷たい床に引き据えられた三人の人物。頭からはのっぺらぼうで目も耳も鼻も口も封じられたマスクをすっぽりとかぶらされ、その下は腕も足もバンドで固定された拘束衣に包まれています。

 その周囲には銃を構えた数人の男。SWATかSATかというようなスタイルで、哀れな捕虜たちが少しでも動けば、容赦なくトリガーを引く構えでした。

 彼らから一歩離れて、さきほどから鋭く高圧的な言葉を浴びせかけているのは、ずんぐりむっくりでおかしげな顔つきの男。よく見ると、最近めっきり政治発言――ただし、常に強者の方を向いての――で知られるテレビタレントでした。

 イジメと芸イビリ芸で売り出し、最近めっきり凋落したと思ったらお上ヨイショで再起を図ったものと見えます。今回はその手見せというか忠誠度テストといったところでしょうか。確かにこんな罪悪の現場に立ち会えば、もう後戻りはできないでしょう。

 その芸人は必死の面持ちで、彼の持ち味である憎々しさと粗暴さをせいいっぱい発揮しながら、三人の捕虜にしておそらくは死刑囚を何やら口汚く問い詰め、拳骨を振り回し、ときには蹴り飛ばしたりしていました。

 廃工場内にわんわんと響きわたる罵声の内容はよく聞き取れませんでしたが、それが先の政権奪回以降、着々とこの国を私物化しつつある者たちに、なお抵抗を続ける市民たちについての情報を求めるものであることは明らかでした。

 しかし、哀れな三人からの返答はまるでないらしく、苛立ちをつのらせた尋問者たちは、彼らを殴るわ蹴るわ、あげく銃の台尻で打ち据え、その筒口をマスクや拘束衣にめりこませるわといった狼藉の限りを尽くしながら、恫喝と強要の言葉を投げ続けるのでした。


「ちくしょうめ、あいつらひどいことを……」

 歯ぎしりまじりに、吐き棄てたのはマキでした。

「それであいつら、何て言ってるかわかるか?」

「ああ、口元がすぐに死角に入っちゃうんでわかりにくいけど、憲法擁護局という言葉が何度か出たような出ないような……つまり、今日の襲撃でもわかる通り、こちらの動きは敵に相当読まれてたみたいだな」

 潤は特殊スコープの接眼レンズに目をこらし、この日二度目のリップ・リーディングのスキルを活用しながら答えました。

「いよいよもって最悪じゃないか」マキは舌打ちして、「とにかくボスたちを何とか救い出さないことには……いっそあのワゴン車でも奪って突っこむか」

 ――潤とマキがいるのは、高い吹き抜け構造になったこの工場の上階の壁にめぐらされた細く頼りない回廊部分。そこから延びた、これまた今にも崩れ落ちそうな鉄骨にしがみついて、何とか勝機をと狙っているのでした。

 とはいえこの膠着状態に、思わず血気にはやりかけたマキを、

「しっ! あれ見てよ」

 と潤は声低く制して、工場の入り口の方を指さしました。マキが見ると、何とそこからは黒塗りのやけにでかくて細長い、最高級らしきリムジンがしずしずと進入してきて、一団の男たちの方に向かっていました。

 あっけに取られ、尋問という名の拷問も忘れて立ちつくす男たちでしたが、すぐにその正体に気づいたと見え、直立不動で整列し、うやうやしく車の到着を迎えたのでした。

「何だありゃ、どこかのお殿様のお出ましか?」

 苦々しくつぶやいたマキに、潤はスコープ内の映像を中止しながら、

「ひょっとしたら、それ以上だよ」

「それ以上?」

「ああ、今、あのリムジンから降りてきたのは――あれは官房長官だ!」


 そう、それはあの陰気な風貌にも増して陰険な性格で、この国の世襲貴族たちにはとことん卑屈な分、それ以外の国民には冷淡冷血をきわめる官房長官、自他ともに認める総理大臣第一の懐刀でした。

 その彼がなぜここへやってきたのか? 彼とそのご主人様にとって、最も憎むべき法と民主主義の守護者にして、前政権の生き残りの取り調べと、その最期を見届けるためでしょうか。

 いえ、それよりもずっと大事な用があったのです。虫けらのような連中の命よりはるかに大事な〝あるもの〟を受け取るという用事が。

「あれを連れてこい! 閣下がお待ちかねの品だ」

 官房長官に伺候してきた黒服――といってもキャバレーやクラブのスタッフではなく、国家公務員上級試験の通過者――が、虎の威を借りて言いつけます。

 たちまち男たちは大狼狽、恐慌状態に陥りましたが、やがて例のお笑い芸人が自分に集められた視線に気づいて、

「えっ、わいでっか!?」

 頓狂な声をあげ、自分で自分を指さすとスゴスゴとどこかに去っていきました。しかし、再び姿を現わしたときは意気揚々たるもので、好色な笑いに顔を紅潮さえさせていました。そのうえでむごくも緊縛され、猿轡まで噛まされた少女の縄尻をとらえ、官房長官たちの足元に参上したのでした。

 もはや言うまでもないことですが、その少女とは中條世梨子でした。

 下校途中に、二人組の悪漢によってトランク詰めにされ、潤とマキ両人の目前、証人たる三女子高生の手前で忽然と消え失せた彼女は、やはり奴らの手中に落ちていたのです。

 常に無表情で、どこか悪いのか泥のようにドス黒い長官の細長い顔に、めったと見られない笑みが浮かびました。笑顔といえば冷笑しかない彼としては、実に珍しいことでした。

 さらに珍しいことに、いつもはボソボソとした口調で、現実から五ミリと離れたことは言えない貧しい精神の主とは別人のような、熱っぽく夢見るような口調で、

「ああ、これでヒトラーさえもがうらやんだという、わが国の祭政一致、神権政治が再び可能になる。この娘を本邦の救い巫女、いや、女神へと押し立てて国民を統合し、世界を徳化する。そしてわれらが偉大なる総理大臣閣下に唯一無二の大祭司として君臨していただく……おお、なんと素晴らしいことだ!」

 そのファナチックぶりは滑稽なほどでしたが、徹底した自己責任主義のリアリストとしては、一つの正解を出したと言えなくもありませんでした。

 というのも、世襲政治家とそれにつながる官僚、実業家、マスコミががっちりと血縁で結びつき、せっかくそれを突き崩す政権交代の機会が訪れても、有権者自らが〝大政奉還〟を行なってしまうこの国で、長官のような叩き上げがより高い栄達を望むには、世襲貴族のトップである現首相をまつりあげるこの方法しかなかったかもしれなかったからです。

 とはいえ、そんな野望を語る小汚い老人を見つめる世梨子の双眸は、このうえなく冷たく、怒りに満ちたものでした。手足の自由を奪われ、口を封じられながら、激しい怒りと冷たい侮蔑を込めて、刺すような視線を突きつけていました。

 それでも動じないのはさすがでしたが、ここで調子に乗ったのが、例のお笑い芸人です。

「オラ、お偉い閣下にあいさつせんかいや!」

 世梨子の髪をつかみ、無理やりお辞儀させようとしましたが激しく抗われ、その拍子に外れた猿轡の下から唾を吐きかけられるありさま。カッとなって横っ面を張り倒そうとして――それは彼が所属する世界では当然のことでした――その寸前、手を静止させました。

 次いで弾かれたように背後をふりかえりましたが、それは彼だけではありませんでした。この場に居合わせた全員が、いっせいに首をねじ向けた方向――そこには蜂の羽音にも似た唸りをあげながら、まっしぐらに突進してくる真っ赤な物体がありました。

 真正面から見たそれは、まさに巨大な昆虫であり、しかも両眼を爛々と輝かせています。それだけでも意表を突くのに、その赤い怪物の背中には人影らしきものが立ち、手にしたサブマシンガンからめったやたらに銃弾を発射させていたのです。

「世梨子さん、逃げて!」

 そんな叫びを銃声といっしょにまきちらしながら、突然の闖入者ならぬ闖入――メッサーシュミットKR二〇〇は縦横無尽に駆け回りました。意表を突かれて反撃の機会を逸する隙を突き、悪党どもを蹴散らして疾走し、彼らが気づいたときには、お笑い芸人の腕を振りほどいて突き飛ばした世梨子を車上に救い上げていたのです。

 言うまでもなく、ひそかに地上に降り、車を取りに戻った潤とマキの荒業です。

 この奇抜な三輪自動車はタンデムシートとは言いながら、後部には若干の余裕があって、子供ならば三人乗りが可能です。そこへ無理やりお姫様を詰めこみ、なおも乱射乱撃しつつ、メッサーシュミットは曲芸走行を続けました。次いで三人の捕虜に向かって、

「伏せて、ボス、ドック、それにエース!」

 潤とマキは声の限り叫びました。むろんのこと、遅まきながら反撃を開始し、鉛の返礼を撃ち返してきた悪党どもから身を守らせるためでした。

 ですが、そのあとに思いがけないことが起きました。せっかくの警告が聞こえなかったのか、三人はいきなり立ち上がり、不自由な体のまま逃げ出そうとしたのです。

「に、逃がすな! 撃て打て射てーっ!」

 ぶざまに尻もちをついた官房長官の命を受け、悪党どもの銃口という銃口が火を噴いたのは、その直後のことでした……。

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僕がTSしてJKスパイになるなんて!? 芦辺 拓 @morieshunsaku

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