恋のスナイパー 「KAC8」
薮坂
シュアショット
スコープ越しに見えるターゲットを注視する。相手がどう動いても対応できるように倍率は低めに。十字に切られたレティクルの中心。それよりも少し、右下にターゲットを捉えた。
この距離でこの風。湿度は高い。この条件ならば弾丸は少しドロップし、風により右へ僅かにズレて着弾するハズだ。
俺はライフルを構え直す。固定には骨を使う。筋肉は信用ならないからだ。そしてトリガはゆっくりと確実に、絞るように引く。これが狙撃の基本。
もう一度微調整。そして俺はトリガに指を掛け──。
「……
急に聞こえた大声に驚いて、トリガをガク引きしてしまった。パスンと気の抜けた音がして、放たれた弾丸はあらぬ方向へと消えていく。着弾を確認したが、ターゲットにはまるで影響なし。クソッ、誰だ俺の名を大声で呼ぶヤツは!
「うわ、びっくりした!」
振り返った後方約5メートル。そこに背の低い女の子がいた。驚きの表情のこの子は見たことがある。中学生みたいなナリをしているが、高校のクラスメイトの松木ルコ。確かそんな名前だった気がする。出席番号が近いから憶えてた。
「静かにしてくれ。外したじゃねーか」
「桝田くん、なにそのカッコ?」
松木は首を傾げて俺に問うた。確かに不思議に思うだろう。ライフルを肩に担ぎ、迷彩服にギリースーツ。今の俺は完全に森と同化している格好だから。
「これはギリースーツだ。迷彩を施して、周囲に溶け込む格好してんだよ。くそっ、惜しかったのに」
「ねぇ、なにしてんの? そんな銃持って。それ、本物? 戦争ごっこでもしてるの?」
「ごっこじゃねぇ。これは戦争だ」
戦争、には違いない。ただ戦う相手が人間ではなく、ニホンザルやイノシシ、それにシカというだけだ。つまりは農作物を荒らす害獣である。
俺はクライアントから依頼を受けて害獣を撃退するバイトをしている。まぁ、クライアントなんてカッコよく横文字で言ったけど、要は俺の爺ちゃんの畑を荒らす害獣を追い払って、報酬として小遣いを貰っているのだ。夏休みだから、時間の許す限りはこうしてバイトをしているって訳。ちなみに銃は全てエアガンだ。18歳未満の高校生では本物の銃が持てないから。
「まぁ、よくわかんないけど。ねぇ、桝田くんだよね、確認なんだけど。その、ゴーグルしてるからよく見えなくて」
シューティンググラスを取って、俺は名乗る。ほぼ初対面の松木に。
「マスタだ。濁らないんだよ」
「そっか、マスタくんか」
「
「うん、松木ルコだよ」
松木はごく自然に答えた。おかしい。俺の知る限り、松木はこんなキャラじゃなかった気がするのだが。もっと引っ込み思案というか、なんというか。教室でも二言三言くらいしか話した記憶がないのだが。だから俺は余計に訝しむ。
「なんで俺がここにいることを知ってんだ?」
「お家にお邪魔して、家の人に聞いたからだよ。お祖父様なのかな? 訊いたら、裏山にいるって教えてくれたの」
なぜ見ず知らずの他人に教えるんだ、爺様よ。まだボケは始まってないハズなのだが。ていうか、家を調べてきたのかコイツ。
「まずかった?」
「いや、まずいってよりは不思議だ。松木と俺はただのクラスメイトだろ。そんな俺に何の用だ」
「ちょっと、相談に乗ってほしいんだ」
「相談?」
「うん、恋愛相談」
出た。またかよ、この手の相談。なぜ俺に恋愛相談なんかするのだ。意味がわからん。
「あのな、誰から聞いたか知らねーが、俺にそんなスキルはねーからな」
「でもすごく親身になって相談に乗ってくれるって聞いたよ。恋愛マスター・
「名前だけだろ! この名前のせいで、俺は全く知らないヤツからも恋愛相談を受けるハメになったんだ、中学1年の頃からな! これでめでたく3周年だ!」
「お……おめでとう?」
「めでたくねーよ! 帰れ、仕事の邪魔だ!」
俺はギリーを被り直し、もう一度森に向かってプローンで構えた。今日の相手はニホンザル。狡猾で抜け目のない強敵である。
「ねぇ、さっきからその銃で何してるの?」
「ここは爺ちゃんの畑でな。サルやらシカやらイノシシやら、作物を狙いに来るんだ。それをエアガンで狙撃し追い払っている」
「お猿さんたち、可哀想だよ」
「爺ちゃんのが可哀想だよ。丹精込めて作った野菜を食い荒らされるんだぞ。お前、一生懸命育てた何かを横から奪われたらどうする? 怒るだろ、普通」
「それは確かに! 許せない!」
「だろ。だから俺は銃を取った。それだけだ」
背中越しに俺は言う。決まった。俺史上最高にカッコいいセリフ。まぁ、誰も評価なんてしてくれないのだが。
「あのさ、桝田くん。さっきの相談なんだけどね、」
「お前すごいな。この状況で続けるか、普通」
スコープから目を外し、俺は首だけ松木の方を向いた。松木は俯いていて、小さい松木がさらに小さく見える。松木はメガネを掛けていたので、俯くとレンズが反射して目が見えない。泣いているのか、とも思えるその雰囲気。
「私も、なりふり構ってられないんだよ。かなり切羽詰まってる」
「そうか。そらよかったな」
「よかっただなんて、適当に言わないでよ!」
「あのな、俺はお前の相談なんて聞く義務はない。だがこの仕事には給料が発生してる。1円でも貰えたらプロだ。プロなら優先順位を考えなければならない」
「じゃあ、お金払うよ。恋愛コンサルタント料」
「クラスメイトから金なんて取れるか!」
「じゃあ相談に乗ってよ!」
「じゃあの使い方おかしいだろ!」
ぎゃあぎゃあ。松木、見かけによらずかなり食い下がってくる。こんな女じゃなかった気がするのだが。もっと松木は静かであんまり喋らなくて、こんなに自己主張しないヤツだったハズだ。
アレか。夏の恋が松木を変えたのか。夏の恋には、自分を変えるポテンシャルがある。それは今まで不本意に乗っていた各種相談からよくわかっていた事だった。
「……わかったよ。ちょっとでいいなら聞いてやる。今の言い合いでサルも行っちまったみてーだしな」
早く終わらせて仕事を続けよう。俺はプローンを解いて松木に向き直る。途端に松木は笑顔になる。
「本当? ありがとう、桝田くん!」
「先に言っとくけどな。俺のアドバイスなんてハナシ5分の1くらいで聞けよ。俺がもし恋愛マスターだったら、彼女の1人や2人、余裕でいるハズだからな。でも俺に彼女はいない。つまりはそういう事だ」
「でも、私はこう聞いたよ。桝田くんに相談すると、大抵の悩みは解決する。解決率100%だって」
「誰だよそんなホラ吹いてるヤツは。まぁいい、とりあえず何に悩んでんだ。具体的に言えよ。そっちのがアドバイスしやすいからな」
「私、武田くんが好きなんだ。武田ワタルくん。そのワタルくんと付き合うにはどうしたらいいかな?」
具体性が過ぎる悩みだった。今までこんなド直球な悩みを告白してきたヤツはいない。武田って、あのアホの武田なのか。そうなのだろうな。蓼食う虫も好き好きと言うが、しかし。あのアホのどこが?
「好きでたまらないの。でもライバルがいて。クラスメイトの竹田ユリちゃん。あの子もきっと、ワタルくんが好きだと思うんだ」
「あぁ、読みが同じタケダコンビな。確かに仲良いよな、あいつら」
「傍から見ててもそう思うよね。それできっとね、ワタルくんもユリちゃんが好きだと思うんだ」
「なるほど。良かったじゃねーか」
「良くないよ! 話聞いてる?」
「聞いてるよ。武田が竹田を好きかもって事だろ? これ、声に出すとわかり辛ぇな。まぁいい、とにかくだ。武田ワタルが竹田ユリを好きだと仮定して、それならライバルは1人じゃねーか。1人倒せば勝てるなんて、分の良い勝負だろ」
きょとんとする松木に、俺は続けた。
「相手の好いているヤツがわからないなら対策も練れないが、わかってるなら話は早い。竹田ユリよりも自分の方が好きだと叫べ。愛を叫べ」
「私の方が絶対、ワタルくんのこと好きだよ」
「ならそれでいい。伝えろよ、武田ワタルに。自分の全てを賭けて伝えろ。言葉は思ってるほど伝わらないからな、言葉でなく心で伝えろ。そうすりゃ未来が拓けるかもな」
「でも。私の思いがどれだけ大きくても、ワタルくんはユリちゃんが好きなんだよ、きっと。それでも伝わるかな。断られたらどうしよう……」
「それじゃダメだな。勝負する前から負けた後のこと考えてどうする」
「だって……」
「でも、けど、だって。これは全部負け犬の言葉だ。勝つヤツは負けた時の事なんて考えねぇ。本気で勝つと信じてるから、負けた時のシミュレーションに割くリソースがねぇんだ。言い方変えれば余力を残してんだよ、お前。余力残せねーくらい、本気で好きだと伝えろ。叫べ。アドバイスは以上だ」
押し黙る松木。まぁ無理もない。勝負の世界は常に非情なのだ。食うか食われるか。それが真剣勝負というもの。
これは狙撃に似ている。一度
「……さすが、恋のスナイパーだね」
「変なあだ名を付けんな。好きな相手をスナイピングしたことなんてねぇよ」
「その銃でさ、撃ち抜けるかな? ワタルくんのハート」
「こんなオモチャの銃より、お前の心で狙撃しろよ。充分、射程圏内だと思うけどな」
「……桝田くんって、いいヤツだね。アドバイス、ありがとう。余力なんてカケラも残さずに、本気で狙撃してくるよ」
バーン。松木は夏を思わせる爽やかな笑顔で、片目を閉じて指鉄砲を撃つ仕草。
まさか、この俺が。
松木にハートを撃ち抜かれるなんて、思いもしなかった。
季節は夏。
何が起こっても、それはおかしくない季節。
夏はまだ、終わりそうにない。
恋のスナイパー 「KAC8」 薮坂 @yabusaka
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