賢(いつもりの)者(たち)の贈り物
@ns_ky_20151225
賢(いつもりの)者(たち)の贈り物
会社を出た時、スマートフォンが振動した。リマインダーの通知だ。結婚記念日を忘れはしないが、念のために入れておいたのだ。俺って賢い。
しかし、利口な俺でも知らなかった。結婚記念日にはいちいち呼び名があって、贈るものが決まっていると言うのだ。一年目は紙婚式、二年目は藁または綿婚式。
そして、三年目は革婚式。つまり革製品がいいらしい。
それを知ったのは昼、同僚と飯を食っていた時だった。そんな話がポロッと出、俺は、そんな事は常識だろう、と平静をよそおって麺をすすったがむせて困った。
実は嫁に似合いそうな可愛いイヤリングを見つけてあったのだが、オール金属製で、革なんか一か所も使ってない。
これはいけない。焦った。どのくらい焦ったかと言うと、勤務態度の真面目さには定評のある俺が、資料作成しているふりをしながらモニターに隠れてスマホで検索しまくったほどだ。
その甲斐あって、良さげな革製品があった。資料についてはやり直しを命じられたが、それは明日か明後日でいい事にする。
今夜ばかりは飲みの誘いを断り、八時前には会社を出た。そこでリマインダーが表示されたのだった。
目当ての品を売っている雑貨屋まではちょっと歩かなければならないが、それはかまわない。スマホに道案内してもらいながら、心地よい夜の風に吹かれ、俺は嫁との事を思い出していた。
付き合い始めたのは前の会社にいた時だった。仕事ができる子だった。他人にはできない細かい気配りがあって、それが成績の良さにつながっていた。
その気配りのおかげで大チョンボをせずに済んだので飯をおごったのが始まりだった。その時は女性として見ていなかった。純粋に、助けてもらったからお礼をした、というだけだった。
それから気安く話をするようになり、休みの日に服を選んでもらったり、家電を買う時に一緒に電気街に行ったりした。楽しかった。
で、それが終わる日が来た。
大学の先輩から誘われたのだった。こっちに来ないか。お前のことはよく知ってるし、一緒に働こう。
悩んで悩んで悩み抜いた。内容が内容だけに誰にも相談できなかった。
そんなある日、彼女が言った。気楽な口調だった。
「なんか悩んでるっぽいけど、悩むって事はそれだけの価値があるって事だよ。踏み出しなよ」
俺はまじまじとそう言う顔を見た。こいつ、人の悩みを軽々と。
「うん、そだな。そうする」
しかし、俺の中で何かがすぽんと抜けた。そうだよな。行こう。
それで会社を移った。しばらくして収入が安定し、落ち着いた頃、俺は、俺との将来についてもっと考えてくれないかという意味の事を彼女に告げた。
どんな言葉をどんな風に言ったのかはここには書かない。それは俺と嫁だけのものだから。
考えているうちに雑貨屋についた。目当ての品物はすぐに見つかった。個体差がかなり激しい品物なので選ぶの苦労したが、ちょっと淡目の色のを手に取った。
ギフトラッピングをするかどうか聞いてきた店員に、もちろん、とよく考えると意味不明な返答をしてしまった。
ピンクのリボンがかかった小箱を鞄に入れ、家路についた。
「今までありがとう。それと、これからもよろしく」
そう言って小箱を渡す。
「こちらこそ、今までありがとう。これからも一緒にね」
微笑む嫁が背後から小箱を渡してくれる。
二人同時にリボンをほどき、箱を開けた。
「何、これ?」
嫁は丸い小さな革袋を不思議そうにつまんでいる。
「ラッキーポーチ。小物入れだけど、持ってると幸運になるんだって」
「なんの革? あっ!」
一緒に入っていた説明書を見て驚いた声を出して笑う。
「カンガルーの睾丸。最初から袋だから縫い目がなくて丈夫でいいらしいよ」
俺は店員の説明を繰り返した。
「そりゃ天然の縫い目以外はないだろうけど……。あなたねぇ」
呆れながら手のひらに乗せたり、中を開いて指を入れてみたりしている。
「このくらいの大きさなんだ。知らなかった。ま、あなたらしいわ。実用兼受けを狙ってさ」
二人でひとしきり笑った。俺は、もし神様がいるのなら、今ここでこうしていられる事を感謝したかった。
ちなみに、嫁はブランド物の革のキーホルダーをくれた。それも笑いの種になった。
だって、家も車も、鍵という鍵をすべて電子化し、スマホやカードにしたのはつい先週の事だったから。
それでも、何も入っていない空のキーホルダーを常に持ち歩いている。
俺にとって、それは空じゃないから。
了
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