今日はあなたと美味し糧を

 六年。

 この月日ははたして長いのか短いのか。昔は長く感じられた。大人になってからはあっという間だったと思う。しかし、入学した小学生は卒業するし、高校生だった人は就活に追われる程度には相応の時間だ。

 そのくらい時が流れたら、勿論大人にだって大なり小なり変化はあるのだ。少なくとも、六年という月日は幼馴染みを変えるには十分な時間だった。

 

 そう、料理ができるくらいには。


 幸帆と直人の休日が重なるのは月に数日、日曜日だけだ。しかし、幸帆は高校の美術教師で美術部の顧問もつとめている。休日に部活動をすることもあり、純粋に日曜日の休みは少ない。だからこそ、二人が一緒に過ごせる休みは大切にしたい。


 ユキ、俺に料理を教えて。


 直人が真剣な面持ちで頭を下げたのを今でも覚えている。

 地元を離れて二人で暮らし始めた頃、季節はちょうど春だった。帰りが遅くなりがちな幸帆の負担を少しでも減らそうと、直人の穏和な性格からくるものだった。

 元来不器用だった直人に、料理を教えるのは容易なことではなかった。幸帆は、時間ができればその都度丁寧にレクチャーした。亀の歩みほどで、それでも少しずつ自分のものにしていった直人の腕前は徐々に上がっていった。

 ふわりとだしの香りが鼻腔をくすぐる。

 日本人なら和食、一日三食のうち一食は和食というのが幸帆の主張である。なので、直人も必然的にだしの取り方をマスターするわけだ。

 出勤時間が早い幸帆が、基本的に平日の朝食作りを担当している。ちなみに、夕食は先に帰ってきた方の担当というのが暗黙の了解となっている。

 そして休日は。

「明日の朝ごはん、俺に作らせてよ」

 昨日の夕食のときに直人が申し出た。休日は前日の申告制で、作らなかった方がもう一食、あとはジャンケンで決めるというのがルールだ。

 目を覚ました幸帆は、漂ってきた香りに口元を緩ませた。

 ほうっと息をつくと、起き出してキッチンへ向かう。

「おはよ」

 大きな図体で窮屈そうにしながら、コンロの前にいる直人がふにゃりと顔を綻ばせた。

「おはよう」

 挨拶を返して、幸帆もキッチンに入る。

「座ってていいよ」

「ううん、手伝うよ」

 冷蔵庫から卵を取り出して、幸帆は小さく笑う。

「朝ごはんのお礼、卵焼きでいい?」

 勿論ナオが好きな甘いやつね、と付け足すと直人は口を尖らせながらも頷いた。

 ふふっと楽しそうに笑みを零す幸帆は「ありがとう」と音に乗せる。すると直人は目をぱちくりとさせて驚いていたが、やがて嬉しそうに「どういたしまして」と返した。


 ぴかぴかの炊きたてご飯。

 自家製味噌の味噌汁。

 実家から届いた魚を味噌漬けした、ふっくらと香ばしい焼き魚。

 春らしい、菜の花のお浸し。

 たくさんある常備菜から、今日はじゃがいもの甘辛炒め。

 そして、卵焼き。


「いただきます」

 手を合わせてから箸を持つ。味噌汁をすすると、じんわりとだしの深い味が広がっていく。

 ひとつひとつ丁寧に作ったからこそ分かる、染み込むようなやさしさに幸帆は嬉しくなる。顔を上げると、卵焼きを頬張る直人と目が合った。

 垂れがちの瞳が「美味しい?」と聞いてくる。料理を始めた頃と変わらない仕草に、幸帆はなんだかおかしくなってしまう。

 あとで直人にリクエストを聞こう。

 そう決めて、幸帆は返事をするために口を開いた。

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mish×mash 上原 恵 @kei-uehara

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