三年目の誕生日

九十九

三年目の誕生日

 ふむ、と人形師の男はカレンダーを眺めた。カレンダーの日付の欄には見逃す事の方が難しい赤丸が、これでもかと主張している。「この日は特別な日である」と主張の激しい赤丸の付いた日付は、まさに本日、二十五日であった。

 この赤丸、実は男本人が付けていた物なのであるが、男自身はすっかりと忘れていた。日付に頓着の無い男は今日が何日なのか曖昧であったのだ。そうして、仕事の為に人形達が立ち並ぶ工房へと赴き、扉を開けようとしたまさにその瞬間、ふと胸騒ぎがしたのだ。虫の知らせとでも言えば良いのか、何となく今日の日付が気になったのだ。そうしてカレンダーを見てみれば、でかでかと輝く赤丸に男は頭を抱えた。まさか自分で書いておいて忘れるなんて、と男は溜め息を溢す。

 暫くの間、カレンダーと睨めっこを続けていた男は、やがて軽く首を回すと、気合を入れるかのように大きく息を吐いた。

 時間は正午、まだ今日と言う日は十分に残っている。プレゼントの一つや二つ購入するには十分であろうと、男は頷いて、財布を片手に家を飛び出した。


 節目と言う物が何だかんだと男は好きだった。日々の中のちょっとした区切りの日とか、ちょっとした特別な日とか、そう言う日常の中にある非日常が男は好きだった。だから、日付に頓着しない性格ながらも節目は何だかんだと気にしている。人形師と言う職業柄からか真夜中まで工房に篭り日付を跨いで作品を作り上げる事が多い男は、今日が何日なのかを忘れる事も多いが、大切な節目だけは何とかやり過ごせている。

 人形師としての男の分野は陶器の人形である。切欠は小学生の頃、粘土細工を始めた事が切欠だ。一つの事に熱中すると周りが見えなくなる男の性格と、趣味の好きが高じて今では陶器で人形を作るまでになった。人形師としての男の名は、極一部の界隈内ではある物のそれなりに有名である。


 まず人形師の男が足を運んだのは、家から徒歩で三十分程の位置にある花屋だった。この花屋は何かしらの祝い事の度に花を買いに赴いている男の馴染みの店だ。小さいながらも地域の人々に愛される花屋は、贈り物用の梱包が丁寧で、店の見た目よりずっと多くの花を取り扱っていると評判である。

「あぁ、いらっしゃい先生」

「やぁ、お邪魔するよ」

 出迎えた花屋の若主人は男の姿を認めると、それまでの穏やかな笑みから一転して、憐れむ様な痛々しい物を見るような眼を向けた。若主人は何かを言いかけて、けれども結局言葉にならなかったのか、直ぐに笑みを貼り付けて何時も通りを演じる。

 男は若主人の様子に気が付いて居ながらも、特に気にする様子も無く笑顔で店の中へと入っていった。

「えっと今日は」

「うん、お祝い用に花をね」

「赤い花で宜しかったですか?」

「あぁ、真っ赤な花を頼むよ」

「あっと……」

「今年は三本で」

「分かりました。……もう三年も経つんですね」

 三本、と聞いて其れが何を意味するのか分かったらしい若主人は、頷くと何処か遠くを見詰める。

「月日が流れるのは早いね」

「は、はは。そうですね」

 何のことは無い、と言う風にあっけらかんと言う人形師の男に、若主人は、やるせない、と言いたげに乾いた笑いと一緒に溜め息を溢した。


 次に男が訪れたのは、此処数年の間に出来たばかりのお洒落なケーキ屋だ。男自身が入った事は無かったが、差し入れで貰ったケーキの華やかさは目を見張る物があった。偶には良いかも知れないと男は店内へと続く扉を開ける。

「いらっしゃい、ませ」

 男を出迎えた女主人は、其れまで朗らかだった顔を強張らせた。

「あー、今年は家なんですね。去年まで違う店だったみたいじゃないですか。何か気分転換でも?」

 上手く言葉が見つからないのか、女主人は早口に捲し立てる。

「あぁ、今年は此方のお店のショーケースに並んでいた誕生日ケーキが綺麗だったのでね」

「あ、はは。それはどうも。……それで、えっと」

「あぁ、誕生日ケーキを一つ頼むよ」

「あの、あれは予約制なんですが」

「おっと、そうだったのか。其れはすまなかったね」

「あぁ、いえ」

「じゃあ、あの綺麗な花模様のケーキを頂きたいんだが」

「直ぐに用意します。……それで、数は……」

「二つで」

 女主人は言い難そうに男へと数を尋ねる。続く男の答えに、やはりケーキ屋の女主人も憐れむ様な顔をした。

「あ、もし出来たらで良いんだけど蝋燭だけ付ける事って出来るかい?」

「蝋燭ですか?」

「誕生日には必要だからね」

「……何本付けます?」

 女主人は藪蛇を突いたと思ったらしく、何とも言えぬ表情で本数を尋ねた。続く男の答えに憐みの色が深くなった。

「三本で頼むよ」


「先生可哀想にねぇ。婚約者さんが死んじまってから、あんな」

「もう三年になるのかい? さっき花屋で三本買ったって」

「結婚も近かったのに死んじまったんじゃ、そりゃあ心をやっちまうだろうよ」

「人形が婚約者に見えてんのかね」

「どうだろうなぁ。忘れたいから人形に没頭しているだけかも知れんなぁ」

「あんな風に生きてるみたいに。今年も誕生日ケーキを買うつもりだったみたいだよ」

「人形に憑りつかれちまってるのかね」

「婚約者に、かもしれんぞ」

「まぁ、どちらにせよ、痛々しい事この上ないねぇ」

「あ、先生が来るぞ」

 通りのあちこちから囁く声が聞こえてくる事に男は苦笑した。そもそも男は気にしてはいないのだが、どうも周りはそうは思わないらしい。

 誰も彼もが男が近づけば口を噤み、後ろめたそうにぎこちなく笑った。会話が丸聞こえで有るなどと露程も思って居ないのだろう。


「ただいま」

 男は家へと戻り、花とケーキを机の上に置くと、鏡の前で身だしなみを整え始めた。折角の三年と言う節目の祝い事で有るのに、見た目がだらしないままでは締まらない、と入念に鏡で確認する。

 男は机に置いたケーキの元まで来ると腕を組んで、ケーキを見詰めた。綺麗に装飾された一人分のケーキに蝋燭を三本差すと言うのは、形を崩してしまいそうで気が引けたが、やはり誕生日には歳の数の蝋燭は必要だ。出来るだけ装飾を崩さない位置は何処だろうかと暫く考え込んだ後に、男は装飾が込み合って居ない位置へと蝋燭を刺した。

「今日は君の三年目の誕生日だね」

 大事な三周年の区切りの日だと男は穏やかに笑って、人形が待つ工房へと向かった。

 

 男には三年前まで婚約者が居た。男の作品に、そして男自身に一目惚れをした女性だった。感受性が豊かな婚約者と男の仲は悪い物では無かったが、会う機会が少なかったからか、男の元来の性格に依る物か、男の感情の表現は婚約者から見て淡泊に見えた。

 男と婚約者の交際は慎ましやかで恋人らしい事は片手で数える程だった。唯、誕生日だけは毎年欠かす事無く祝っていたから、婚約者に対して男の情が無かった訳では無いのだろう。

 緩やかに日々が流れる中で二人は婚約をした。流れで婚約したのかと問われれば、恐らく双方が頷くような婚約であったが、婚約者は嬉しそうであった。

 そうして婚約して三年経った頃、婚約者は不貞を犯した。婚約者は元来、思い詰めやすい質の人であった。婚約してから三年、何の進展も無い事に思い詰めていたのだろう。相手も悪かった。箱入りと呼んで差し支えない彼女と優しい言葉で次々と女を手籠めにする表面は善人の男では、弱い部分に付け込む事など容易であった。

 男はこの時、婚約者の不貞に対して何とも思って居なかった。男は人間に対して来る者拒まず去る者追わずな所が有り、婚約者が他の者を好きになったのなら其れは其れで構わないと思って居たのだ。男は普段の自分が淡泊であると言うのも自覚していた。何処かで幸せに成ってくれるならば其れで構わなかった。

 婚約者は男の反応を見て絶望した。彼女が思い詰めた結果と変わらぬ男の姿に、男の感情が自身の感情と同じ物であると呼ぶには程遠いのだと嘆き、そうして婚約者は命を絶った。不貞を犯した事に耐えられなくなったと言うのも有るのだろう。

 

 男は工房の扉を開けた。男の視線の先、部屋の真ん中には椅子へと座った美しい陶器人形が居た。その姿は婚約者の姿と寸分違わない。

 恐らく男の最高傑作であり、後にも先にももうこれ程の作品は作れないと男は確信している。どれだけ金を積まれても、どれだけ拝み倒されても、唯一つ、この人形だけは男は売らない。

「ただいま。今日は特別な日だから花とケーキを買ってきたよ」

 男は微笑み、人形の隣の小さな机に三本の赤い花を生けた花瓶とケーキを二つ並べた。

「今日でもう三年だ。君の三年目の節目だ」

 蝋燭へと火を灯し小さく歌を歌う。誕生を祝うその歌は、男が婚約者に教えてもらった物の一つだ。

「誕生日おめでとう」

 男は緩やかに笑い、人形の頬を撫でた。

 瞬間、風によって蝋燭の炎は掻き消され、人形の瞳からは結露に依る物なのか雫が零れ落ちた。


 婚約者の一番の勘違いは、男が自分に対してそれほど深い情を育んでいないと思い込んでいた事だ。

 男は人間に対する執着が薄い、と言うのはまさにその通りであったが、彼女に対する感情が他と同じであったのかと問われれば答えは否だ。婚約者が他の者を好いたのなら其れで構わないと思って居た事も本当だが、幸せに成れないのなら話は別だった。

 しかし結果として、男は真意を伝える事は出来無ずに、彼が最期に見た婚約者の姿は失意の果てに命を絶った姿であった。

 男は悲しみの中で人形を作り続けた。男にはそれしか出来ないから、婚約者が何時も楽しそうに見ていたから。そうして一月が経った頃、男は思い至った。 

 

 男は人形を撫でる。生き写しの人形を、婚約者の骨を砕き肉を混ぜて作った陶器の人形を。

 男にとって人形の生は、彼女の生と変わらない。唯、ほんの少し硬くなってしまっただけだ。

 男は生前伝えられなかった想いを込めて人形を撫でた。

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