石の上に三年
あじろ けい
第1話
十、九、八、七……
カウントダウンが始まった。
この三年間が走馬灯のように目の前をよぎる。
三年前、不惑の誕生日を迎えた私は、ふと思い立って「石の上にも三年」を実践してみることにした。
本当に石の上に座ってしまうとトイレに立たなくてはならないという現実をかんがみ、ならばとトイレに座ることにした。排泄は一番の問題点だったから、トイレに座るというのは我ながらいい考えだった。
飲み水は手洗いを利用した。水道水が飲める日本でよかった。
呆れながらも、妻は食事を用意してくれた。三日も持たないと思っていたらしい。一週間が一か月になり、一か月が三か月になり、妻が限界に達した。トイレは二階にもあり、妻と娘はそちらを利用していたので、トイレの問題ではない。
妻は娘を連れて出ていった。離婚届けを郵送で送ったらしいが、ポストまでいけないので受け取れなかった。しびれを切らした妻の方から直々に離婚届けとペンをもってトイレまで来てくれた。サインをして十年の結婚生活は終わった。
食事は食べなければ食べないでどうにかなってしまった。食べないので、出るものも出ない。トイレにいる意味がなくなってきたが、始めてしまったのでそのまま居座った。
そのうち、トイレに引きこもる中年男として近所で評判になった。
どれ顔をおがんでやろうじゃないかと、勝手に玄関を開けて人が入ってくる。玄関近くにあるトイレに居座る私を一目見て、微妙な笑いを浮かべて去っていく。
はじめは見世物だったのだが、次第に妙な噂がたちはじめた。めったに出ない私のウンコ放出場面に出くわすと運がつくというのである。ウンコだけに。
出すものがないから、めったに出ないと言ったら、お供えものが届けられるようになった。食べて出せということらしい。それで出るようになった。食事の問題もクリアし、餓死は免れた。
お賽銭まで置かれるようになった。塵も積もれば山となる。小銭ばかりだが大分溜まったと思う。
評判が評判を呼び、テレビや新聞、雑誌でも取り上げられた。「石の上にも三年を実践」とかいった見出しが躍った。何がきっかけでとか、何の目的で、などいろいろ聞かれた。返答に困った質問が、三年後はどうするのかというものだった。わからない。とりあえず三年は座って考えてみるとこたえておいた。
三年目が近づくにつれ、一時は興味を失ったマスコミが戻ってきた。一か月前からちらほらと取材が増え始め、一週間前がピークで、三日前からはテレビ関係者が出入りするようになった。三年目を迎える瞬間を生放送するんだそうだ。
いよいよ明日、三年目を迎えるという今日の午前中から、トイレの周りには人がつめかけた。私が立ち上がるその瞬間を一目見ようというのである。彼らを目当てに夜店も立った。ちょっとしたお祭り騒ぎである。警察もやってきて、人員整理をしている。ごくろうさまです。
午後十一時五十九分。三年目まで一分を切った時から、ぴんと空気がはりつめはじめた。各局テレビのリポーターたちはマイクを握りしめ、これまでの経緯をカメラのむこうの視聴者にむかって説明し始めた。
十秒前から誰いうともなくカウントダウンが始まった。
三、二、一!
日付が変わると同時にクラッカーが鳴った。プォーンというラッパも鳴り響いた。
リポーターたちが我も我もとトイレの入り口に詰めかけて来た。立ち上がる瞬間を逃すまいとテレビカメラやカメラのレンズが一斉に私の方にむけられる。
一秒、二秒、三秒……。
三年目がどんどん過ぎていく。
私が立ち上がる時を、今か今かと人々は待ち受けている。
五秒、十秒……。
私は立ち上がらなかった。
三十秒、一分。
誰かがした欠伸が周囲に伝染し始めた。
五分、十分……。
人々は痺れを切らし始めた。「立たないんだ」「まだ座ってる気?」そんな声がどこからともなくあがる。
「なんだ、おもしろくない」騒ぐだけ騒いで、人々は引き潮のように去っていった。
私はその後ろ姿をトイレから黙って見送る他はなかった。
立ち上がる意思はあった。座っていることに正直言って飽きていた。ただ、足が痺れて立てなかったのだ。
石の上に三年 あじろ けい @ajiro_kei
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます