空手家で後輩で同性愛者の3周年
梧桐 彰
空手家で後輩で同性愛者の3周年
筆者こと梧桐彰が24歳ころの夏の話。
この時期は私が最も集中して空手をやっていた時期だった。週3で道場に通い週2でバーベルを上げて週1で柔道をやっていて、なんだか頭の中に空手しかなくて、本気でクマくらい倒せるんじゃないかとか、そんなことを信じていた頃でもあった。
その日は道場に少し早く着いた時、もう誰かがいた。線の細いモデルのような20歳そこそこの男だが、格好がすごい。髪は銀色に染めていて耳に大量のピアス。男なのに謎の化粧。皮ジャン、皮パン、腰にジャラジャラとキーチェーン。音楽でもやってたんだろうか。身長は174センチくらいで筋肉は薄い。マンガから出てきたみたいな容姿だった。
「あの、見学、いいですか」
「あー、支部長に聞いてもらえますか。基本いいですけど」
俺は茶帯で縛った空手着をほどきながら、運動できる服があるなら体験やれますよ、と続けた。ハイ、と落ち着いた声でそいつが答えた。
先輩が来て見学だそうですと言ったところ、じゃあお前が面倒見ろや、と言われた。はぁと答えて、全員の稽古から少し外れて黒ジャージのそいつを端に立たせた。
「名前教えてもらえますか」
「シキです」
「なんかやってました?」
「なにも」
基本を教えると飲み込みは早いが、なんというかあまり覇気がない……殴り合いをやるのには向いてないかな、という気がした。
彼が帰ってから支部長にどうだったと聞かれた。
「細いっすね。強くなるかはわかんねっす」
というと支部長は俺を見て、
「ヒョロガリであいつ大丈夫かって言われた梧桐が大丈夫だったから大丈夫じゃねえかな」
と大笑いされた。これでも当時187センチ75キロだったのでヒョロガリと言われるのは不本意だったが、支部長は180センチ105キロでベンプレ130キロを上げるので文句は言えなかった。空手道場では強い奴が強いのである。
数か月が過ぎた。俺はよくサボったがシキは一日もサボらなかった。体重が全く違うので組手で圧倒されることはなかったが、すぐに俺の顔までハイキックが届くようになり、油断できなかった。機械のようにきれいな弧を描く蹴りを見て、支部長はすぐに昇給審査を受けろと言った。俺が通っていた道場では、帯の色は下から順に白→青→黄→緑→茶→黒と決まっているのだが、こいつは最初の審査で青をすっとばして黄を取った。
が、新しい帯をもらったそいつは、なぜかあんまり嬉しそうにしていない。
ばかりか、いつもは稽古が終わればまっすぐ帰るのに珍しく話しかけてきた。なんか嫌になったのかな、と思いながら聞くことにした。
「先輩、話あるんです。いいですか」
「いいよ。昇級したんだしおごるよ」
空手家は牛に決まっているという先輩のありがたい指導に従い、俺はそいつを牛角に連れていった。そこで、シキはカルビを食いながらぼそっと言った。
「ホモなんです」
「へえ。それが?」
カルビをアホみたいに食いながら俺が答えると、そいつは、えっ、という顔で俺の目をのぞきこんだ。なにしろ肉を食うのに夢中だったからスルーしてしまったのだが、どうも彼にとってはかなり決心しての告白だったようだ。
「実は、支部長にも支部長の弟さんにも言いましたけど、同じ返しされたんです。変とか思いませんか?」
「思わん。金払って殴り合ってる方が変だと思う」
俺は心の底からそう答えた。自分がどう見られるか再確認したかったのか、重ねて同じようなことを聞いてくる。しかしその当時、俺は童貞で女は知らず、まして男も知らず、言ってしまえば何一つ知らないアホだったので、答える言葉が何もなかった。
「空手は普通でしょう」
「普通ね。普通ってなにかね」
俺は当時から普通という言葉が何より嫌いだった。
「わかりましたよ。じゃあ空手してない時だってあるでしょう」
「ねえよ。食うのも寝るのも全部強くなるためだよ。いいから食えよ。食わないと強くなれないぞ」
「はあ。皆さんいうことが同じですね」
ほかの人もそれ言ってたのか。しかしホモだろうが宇宙人だろうが巨大ロボだろうが空手は空手である。俺は喉を指さして言った。
「いいから食べなさい。もっと食べなさい。ここまで食うんだよキミィ」
尊敬している極真空手の創始者、大山倍達の口調をマネして言った。当時K-1で人気だったニコラス・ペタスに言ったといわれるセリフだ。シキはすっかり拍子抜けしていた。
「梧桐先輩、悩みとかないんですか?」
「あるよ。クマに勝てねぇとか、ビルを殴り倒せねえとか、マシンガンを避けられねえとか」
「そんなの現実逃避だとか思いません?」
「知らねえよクマに勝ったら考えるよ。とにかく食えよ。食って稽古すんだよ。そうすると強くなる。強くなると強い。わかるか?」
「ははっ」
ついに根負けしてシキが苦笑いを始めた。おっさんになった今となっては自分でも意味不明だなと思うが、当時のフルコンタクト空手ではこういう力押しな文化があり、返事は押忍の一言、ケンカはしろ、目指すは地上最強というのが合言葉のような時代があった。つくづくダメな時代であった。今の若い人はこんなことを面白いと思ってはいけない。
シキはこれを聞いてどう思ったのか全くわからなかったが、その後も彼は道場に通い続けた。
とにかくホモだという人とまるで接点がなかったので、彼のそういう要素はずっとスルーしていた。シキにはそれが良かったのかもしれないし、それは何も関係ないのかもしれない……彼氏がいたのかも知らないが、プライベートにはお互いに全く踏み込まなかったし、彼の話は個人的な友人にもしなかった。しないほうがいいような気がしていた。
その後、いろいろな事情があって俺は道場を離れ、別の武術をやっていた。時々シキの事は思い出した。あの時、焼肉を食ったとき、もっと気の利いたことが言えたろうか、いやいや意識してたらダメだったかも、と、時々思い返した。「道場は気楽です」とよく言っていたから、それでいいのだろうと漠然と考えることにした。
そしてしばらくして、久々に風の噂でシキが最速の二年半で黒帯になったと聞いた。また会いたいと思った。あの時、焼肉屋で話をして以来、稽古以外で話もしていなかった。俺はかつての道場にふらりと遊びにいった。
黒帯を締めたシキは俺を見ると駆け寄り、いきなりハイキックを蹴ってきた。慌てて避けると「それじゃあクマに勝てないっすよ」と笑った。悔しくて膝蹴りを叩き込もうとしたら、するりとそれを抜けて足払いを仕掛けてくる。ピアスは無くなり髪は銀から茶色に変わり、そしていっぱしの空手家になっていた。
「先輩、茶飲みに行きましょう」
店に入ると、シキがまくし立てた。
「空手やって3周年になるんすよ。記念にシカを取りに行きます。銃なしで」
「はあ?」
話には聞いていたが、シキは結構な金持ちの息子らしく、空手のほかにハンティングもやっていたらしい。空手とナイフと手裏剣だけでシカを倒したいという。東南アジアにそういうツアーがあるのだそうだ。野生動物をナイフで倒すというハンティングの話を、シキは熱っぽく語った。
「なんでそんなことを?」
「やりたいからですよ」
「強くなったからか?」
「違いますね。やりたいからですよ。シカと戦いたいんですよ。生きたいように生きたいんですよ。我慢して生きててもバカみたいじゃないですか。人の顔色うかがっててもつまんないじゃないですか。それでいいじゃないですか。邪魔する奴は空手でのしちゃえばいいんだから」
しまった。と心の中で思ったがもちろんもう遅かった。いつのまにやら、シキは俺よりもはるかに空手という信仰に帰依してしまっていた。
「先輩、メアドくださいよ。口説きませんから」
ふと、彼がホモだということを思い出した。それまでまるっきり忘れていた。ただとにかく、5歳下の後輩が、ものすごく大人に見えた。
メアドを交換して別れてから数か月が過ぎた。
正直、刃物と空手では無理だろうと思っていた。ツアーで狙うのは野生のシカで、必ず銃を持ったガイドが随伴するらしい。野生は動物園のものとは違って速く、そして獰猛だ。ひねり倒すだけでも相当な骨である。怪我でもしなければいいが、と思ったが今更なので黙っていた。
ところがメールは来た。写真が添付してあった。1枚目では得意のハイキックをシカに放っている。2枚目は空手着を返り血に染めて、シカを斜め後ろからひねり倒して首筋にザックリとボウイーナイフを突き立てていた。そんなシーンを取ってくれるサービスがあるんだそうだ。本文は一行だった。
『クマは梧桐先輩にゆずっときます。空手最高! オス!』
3枚目の写真で空手3周年を迎えた男は、仕留めた獲物の上で太くなった腕と荒っぽく擦り切れた拳を突き出していた。
シキはある人にとっては、ホモだったのかもしれない。他の人にとっては、もっと別の一面があったのかもしれない。でも俺にとって、シキは空手家だった。一人の尊敬できる武道家だったし、3年間という時間が人を大きく変えるのだと教えてくれた人でもあった。
シキのメールアドレスはもう死んでいて、空手もやめてしまったらしく、今はどこで何をやっているのかもわからない。
空手は同性愛者だという事実に影響したのかどうかとか、色々と推測したりしてしまうが、異性愛者である俺に本当のことはわからない。
ただ、彼の生き方は、今も俺の心の支えの一つとなっているので、人の縁にはそういう部分があればそれでいいのではないか……と思う。
俺の作品にしばしば登場する道明志紀というキャラクターは、彼がモデルである。
【了】
※この話は実話を元にしたフィクションです。
空手家で後輩で同性愛者の3周年 梧桐 彰 @neo_logic
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