第4話 荒風の子

 白い結晶が風に乗って踊り狂う。雪はさながら引き千切られた天の雲。けれども空は晴れており、月の光が煌々こうこうと、白い地面を照らしていた。

 そしてその雪の中で、《夏の若者》は剣を片手に舞っていた。否、舞っているように見えるだけで、彼は流れるような剣筋で、吹雪に潜む何者かの影と渡り合っていた。しかし目覚めたばかりで本調子でないのか、その剣筋にあまり力強さは感じられない。

 その上深い雪に足を取られ、《夏の若者》の足許はおぼつかない。冬という季節は、己の対極をなす精霊に容赦なく牙を剥いていた。

 “影”は体格は小さいものの、吹雪を纏い宙を好き勝手に飛び回っている。《夏の若者》が剣を突き出せば、“影”はそれを嘲笑あざわらうように、剣先の届かない所までくるりくるりと飛び上がってみせた。


「……厄介な奴め、これだから氷の精は!」


 《夏の若者》はあらん限りの力で、踏み固めた雪を蹴り、跳躍した。振われた剣の刃は一瞬だけ、油断していた“影”に掠める。

 《夏の若者》の足は、次に雪ではなく、空を蹴った。その足元に風が渦巻き、一瞬だけ馬の形が現れる。

 追いすがる《夏の若者》の、渾身の一撃。その刃は、今度は“影”の脇腹を捉えて切り裂いた。

 ぎゃあ! と喚く声。相手が悪いと悟ったのか、“影”は急に飛ぶ方向をを変えた。――トウコとオルヴォの居る方へ。

 それに気づいた《夏の若者》は、走り出してその背を追う。しかし、空を翔ける“影”には追いつけない。


「てめえがあの生意気なガキだな!」


 耳障りな声を上げながら、“影”は猛スピードでトウコ達に突撃してきた。“影”が引き連れた風雪が唸りを上げて襲い掛かる。

 トウコは咄嗟に腰に提げた小刀を抜いた。そしてオルヴォの制止も聞かず、“影”の前に自ら躍り出た。

 小刀の金のつかを逆手に握り、一閃。銀の刃は容易く吹雪を裂いて“影”の肩に突き刺さった。トウコは頬が濡れるのを感じた。水だった。

 人間に反撃されるとは露ほども思わなかったのだろう。怯んだ“影”は慌ててトウコから飛び退き、空へと逃げだす。深追いしようとするトウコの肩を、今度こそオルヴォが掴んで引き下がらせた。


『鷲よ、大空の鳥よ! その鉤爪で火を打ち出し、くちばしで炎を閃かせよ!』


 短くしかし朗々と、空に向けてオルヴォは歌う。歌は一瞬きの内に大鷲の形になり、翼で雪を一打ちして飛び立った。

 オルヴォが歌い出した大鷲は、燃え立つ鉤爪をちらつかせながら“影”の後を追う。“影”は大鷲を墜とそうと、更なる吹雪を巻き起こし空を荒らした。

 だが吹雪は、大鷲の翼に近付くと、すぐに融けて水に変わった。それさえもまた炎の熱によってあっという間に乾いていった。

 冷えた空気を裂くように、“影”に近づいた大鷲が一鳴き。嘴から飛び散る火花が“影”に触れる程、距離が縮まる。そしてついに、燃える鉤爪は、逃げ回る“影”を鷲掴みにした。

 大鷲は“影”を掴んだままくるくる空を旋回していたが、やがて《夏の若者》の傍に降り立ち、彼に向って頭を垂れた。

 《夏の若者》は大鷲に短く礼を述べる。その手が“影”を掴みあげるのを見届けると、大鷲は火花となって、形を失い散っていった。


 トウコはオルヴォの手を引きながら、《夏の若者》に走り寄る。若いトウコはともかく、オルヴォは雪の上を歩くのに大分苦労をしていた。


「おーい、《夏》! 大丈夫か?」

「あぁ、大丈夫だよ。二人ともありがとう。トウコの勇気と、オルヴォの魔法のおかげで助かった」

「なんのなんの。この老いぼれが自慢できるのは魔法くらいのものだからの。しかしトウコ、お前はこんな無茶はあれっきりにせい」

「おれだってやるときゃやるさ。いつまでも子ども扱いするなよ」


 三者それぞれ、安堵して言葉を交わし合う。

 炎の大鷲の力か、《夏の若者》の力か、或いはその両方か。首根っこを掴まれた“影”の身体から雪解け水が滴り落ちる。水滴は雪上に落ちる前に凍りつき、風にさらわれていった。

 “影”――《霜》は、青い肌をした手足を振り回し、《夏の若者》の手を振り解こうともがいた。が、小柄な彼の身体では太刀打ちできない。

 ようやく負けを悟った《霜》は、うなだれて大人しくなった。


「やはり霜の精霊か。随分な乱暴者だと聞いているが」

「そうだ。この荒くれときたら、いつも悪さばかりしているんだ。……僕としたことが、こんな奴に後れを取るなんて」


 オルヴォに問われ、《夏の若者》は吐き捨てるように言った。余程疲れているのか、その言動はやや粗暴。起きたばかりの時のたおやかな立ち居振る舞いは、いくらか失せていた。

 上位の精霊が見せた妙な人間臭さと、危機が去ったという安心感に、トウコは微かな笑い声を漏らした。


「《荒風プフリ》の息子、《霜》よ。お前は何故ここに来た。何のつもりでこの家に押し入ってきた」

「オレの意志じゃない! ロウヒに言いつけられてここに来たんだ!」


 《夏の若者》の詰問に、《霜》は駄々をこねる赤子のように喚く。

 その言葉を聞いて、息を呑まなかった者はいなかった。その場にいた《霜》を除く三人は、声まで凍り付いたかのように黙りこくってしまった。

 ロウヒ。人とも神とも魔物ともつかぬ大魔女。幾多の魔法と怪物が蔓延る、極北の地ポホヨラを支配する女主人。

 かの魔女が一枚噛んでいる、それが真ならどんなに恐ろしいことか。


「……ロウヒの差し金か。お前はロウヒに何を言いつけられたんだ?」

「憎たらしいガキの所で暴れ回って、めちゃくちゃにしてくるように言われた。それだけだよ」

「……お前の方がよほど憎たらしい。いいか、《霜》――」


 《夏の若者》は、怒気を孕んだ声で《霜》に告げる。

 トウコの髪が、風に煽られた。寒気と暖気の入り交じった生温い空気が肌を撫でる。


「お前が再び、その邪悪な素性を顕わにするなら、僕はお前を悪霊ヒーシの火の中に押し込めよう。お前があの忌々しい《冬》のように、木の葉を齧り取り、草から花をもぎ取るなら、お前を僕の家に放り込んでやる。この《夏》の家に」

「う……」

「それでもお前がポホヨラから姿を現すなら、鳴神翁ウッコがお前を焼き滅ぼすぞ!」

「……わかったよ。二度とあんたたちの前には出てこない、約束する!」


 この地で最も尊ばれる神の名を出した時、《霜》は脅しに屈した。

 本当だな、と一度念押しして、《夏の若者》はうなだれた《霜》を雪の上に放る。ぽすっと音がしたかと思えば、《霜》は既に雪と混ざるように姿を消していた。ようやく、戦いが終わった。

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春喚びの詩 小金瓜 @tomatojunkie

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