第3話 夏の若者

「《夏》? どういうことだ?」

「どうもこうも何も、そういうことさ。僕は《ケサ》だよ。まさか、《夏》という言葉の意味さえ知らない、なんてことは無いだろうね?」

「いや、知ってる。……つまり、あなたは、夏の精霊?」

「そう言ったらいいのかな。人間は僕のことを《夏の若者ケサポイカ》と呼ぶ」


 トウコの問い一つ一つに、“金髪”改め、《夏の若者》は答えた。晴天にさえず郭公かっこうのように、凛とした声だった。

 なるほど、とトウコは心の中で一人合点した。確かに《夏の若者》の装いは、柔らかな黄色が中心となっている。暖かな色をしたマントを留めるのは、太陽を象ったもの。細部を見れば、彼はまさしく《夏》の現身うつしみだった。

 ひとまず、荒ぶる精霊ではないらしい――そのことが分かったトウコは、緊張で忘れかけていた寒気に身体を震わせた。

 それを見た《夏の若者》は、一つふっと息を吐く。

 溜息ではなかった。《夏の若者》の吐息は部屋の中を駆け巡る暖気となり、薄ら寒い空気を一瞬のうちに放逐ほうちくした。


「へえ……そんなこともできるんだ」

「できるとも。毎年この地から《タルヴィ》を祓い、春を運ぶのが僕の役目。部屋一つ暖かくするなんて造作の無いことさ。……ただ、一つ厄介なことがあってね」


 《夏の若者》はベッドの端に座り、また一つ息を吐く。今度は本当の溜息だった。


「トウコ、君はあの戦いを見ただろう。あの時僕と争っていたのは《冬》、君たち人間が《冬の若者タルヴィポイカ》と呼ぶ精霊なのさ。僕の対であり、永遠の敵だ。僕はあいつを倒さなといけないんだ」

「存じておるよ。寝床にて眠るサンプサを起こさんと、《夏の若者》と《冬の若者》が相争あいあらそう歌を。……そなたは、彼の歌に歌われる《夏の若者》そのものなのだな」

「よく知っているねオルヴォ、その通りだ。さっき僕は春を運ぶのが役目と言ったけれど、それはつまりサンプサを――人間たちが豊穣の神としている彼を、冬の眠りから目覚めさせることだ。彼が目覚めなくては、生えるものも生えず、伸びるものも伸びない。大地に春は来ない。そして……僕は、一度サンプサと会っている」

「それなら問題ないだろ。春は来るんじゃないのか?」


 トウコの言葉に、《夏の若者》は静かにかぶりを振った。諦めの混じった表情をして。


「僕より先に、《冬》の方がサンプサの許に辿り着いたんだ。けれど人や草木を好き勝手に傷つけたとがで、サンプサに追い返された。今でもあいつは暴れ回って世界を荒らしている。僕があいつを倒して大人しくさせなきゃ、きっとサンプサは起きてこない」

「スケールのでっけぇ話だな……」


 張りつめていた空気が和らいだせいか、トウコの言葉がいくらか砕けたものになる。

 この地では、世界の摂理を司る多くの神々が崇められていた。それは森の神であったり、海の神であったり、空の神であったりした。

 サンプサはそういった幾多の神のうちの一柱。植物の成長を掌握しょうあくする豊穣神であり、冬の間は己の寝床で永い眠りに就くという。冬の間に実りが無いのはそのためであると、幼い時分にトウコは祖父から聞いた覚えがあった。

 しかし神話に登場する精霊が目の前にいると知っても、あまり実感は湧かなかった。トウコは椅子に座ったまま一つ伸びをして、《夏の若者》に問う。


「でもあんた、さっきの戦いで負けてたじゃん」

「そうだ。どういう訳か今年の《冬》はやけに強い。その上、今までよりずっと酷い乱暴者に成り下がっている」

「神様と繋がりがあるんなら、他の神様にお願いして倒してもらったらどうだ? 流石に神様なら勝てるだろ」

「まさか! 《冬》は僕が倒さないと意味が無いんだ! トウコ、それが世界の“仕組み”なんだよ。それに――」


 捲し立てて、《夏の若者》は己がテーブルに身を乗り出していることに気付いた。そして少しばつが悪そうに居住まいを正し、静かな声で続けた。


「それに、神々はお互いあまり干渉し合わないから、助力を乞うのは難しい。下手を打てば、文字通り環境が変わってしまうからね。……つまり僕は、あいつに勝つまで挑み続けるしかない」


 椅子に沈む《夏の若者》の身体。伏した目は己の無力さに打ちひしがれているようで、本来無関係であるはずのトウコまでいたたまれない気持ちになった。

 静かになった小屋の中で、三人の影を映し出す暖炉の火が、その身をゆらゆら揺する。次第にその動きは、火にまことの意志が宿ったように激しくなっていき――


「二人とも伏せろ!」


 《夏の若者》の声が空気を割いた時、小屋の戸が巨人に殴り飛ばされたような音を立てて開いた。そこからなだれ込んでくる吹雪が、一瞬きの内に火をかき消し、暖炉の上に置かれた皿やコップを一つ残らずひっくり返した。

 トウコは状況の分からぬまま、何とかテーブルの中に逃げ込む。そしてオルヴォの手を引いて己の隣に導いた。


「《パッカネン》だ! こいつめ、こんな所まで!」


 再び《夏の若者》の叫び。椅子とテーブルの足の間から外を伺うと、《夏の若者》が剣を取り小屋の外へ飛び出すのが見えた。

 それと同時に、風はいくらか大人しくなった。


「トウコ、無事か?!」

「無事だよ! じいちゃんこそ大丈夫?」


 トウコとオルヴォはテーブルから這い出て顔を見合わせ、お互いの安否を確認する。小屋の中には光が無かったが、相手の姿は薄らと見えていた。開きっぱなしの戸から月光が注ぎ込んでいた。

 トウコは弾かれたように外へ向かう。深くは考えてない。ほとんど反射だった。オルヴォもまた、戸口の側に置かれていた薪割り用の斧を持ちトウコの後を追っていった。

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