第2話 目覚め
息を切らしながらトウコが家へ着いた時、空はほとんど真っ暗になっていた。家は木材を組み合わせて建てた小屋で、簡素であるものの、暮らす人数を考えれば少し広い。
トウコは一度
「おお、トウコ。帰って来たか。薪は取れたかえ」
「取れたよ! でも今はそれどころじゃないんだ」
トウコはそこをどいて、と言わんばかりに外へ出ようとするオルヴォを手で制す。そして“金髪”の身体を括る紐を解き始めた。が、結び目が硬く解けない。仕方なくトウコは腰に提げた小刀で紐を断ち切った。
それを見ていたオルヴォは、見守っているのか呆然としているのか、何も言わずに目を何度か瞬かせた。
「トウコ。おめえ、この方をどこから連れてきた」
「詳しいことは後で話す。まずは手を貸してくれよ」
真面目な面持ちで言ったオルヴォに、トウコはやや語気を荒げて言い返す。オルヴォは黙ってトウコに手を貸した。“金髪”の身体を二人掛かりで持ち上げ、家の中にあるトウコのベッドへ運び込んだ。
そして、手荒な運搬によって乱れた“金髪”の衣服を軽く整えた。それでもこの寝かされた若者は目を覚ますことはなかった。
「雪原で倒れていたんだ。おれが森を出た時、何かがぶつかり合うような音が聞こえて――」
暖炉の火の
帽子の下から出てきた薄茶色の髪が微動だにしないほどの
「まるで自然が争っているようだった」
そう言うと、ふう、とトウコは大きく息を吐いた。オルヴォは再び目を瞬かせると、ベッドから少し離れた場所にある木椅子に腰かけた。トウコもそれに倣った。
オルヴォはトウコに向き合い、テーブルの上に腕を組む。そして真面目な面持ちを変えぬまま話し始めた。
「“自然が争っている”、か。……その表現は、あながち間違っておらんよ」
「どういうことなんだ?」
「あれは……、この方は、恐らく精霊だろう。それも、上位の」
「え?!」
オルヴォの言葉に、トウコは口をぱくぱくさせながら身を乗り出す。その衝撃で、トウコの膝の上に置かれていた帽子が床に落ちた。誰もそれを気に留めなかった。
精霊。天地の至る所に満ち、世界を形作るものたち。
その姿形や力量は様々で、人間と交流を持つことも特段珍しくはない。しかし上位の精霊ともなれば話は別だった。彼らと交流できるのは、神話に歌われるような優れた詩人や、一部の霊感が強く信仰深い者たち。一介の人間が容易く交われる存在ではない。
そんな精霊を、よりにもよって――拾ってきてしまった。トウコの背筋に寒気が走ったのは、暖炉の火が消えかかっているばかりではない。トウコは再び、雪原で見た争いを幻視した。
もしも、“金髪”が本当に上位の精霊で、しかも荒ぶる精霊だったら。“銀髪”を切りつけようとしたあの木の剣が、自分たちに向くことがあったら。その時は、トウコたちの命は瞬きの内に失せるだろう。
「……じいちゃん。おれ、どうしたらいいんだ」
「礼節を以て接するしかない。荒ぶる精霊でなければ悪いようにはされんだろう」
「そんなぁ……」
解決法とは言えそうにない祖父の言葉に、トウコは乗り出した身を脱力させた。背もたれに背を預けると、古い椅子がぎいぎい鳴った。
その耳障りな音に衣擦れの音はかき消され、トウコの耳にもオルヴォの耳にも届かなかった。そのため、
「……」
トウコもオルヴォも、ベッドの上の“金髪”が身じろぎをしたことにすぐに気付けなかった。目を開けたことにも。不安げにベッドを見遣ったトウコの目と、“金髪”の茶色に近い
あっ、とトウコは思わず声を上げる。“金髪”は、今まで倒れていたとは思えないような身軽さで、すっと上半身を起こした。そして、
「君は誰だい」
トウコの目を見つめたまま言った。その表情は平坦で、感情が読み取れない。
“金髪”の目線は音も無くトウコを射抜いた。トウコはその重圧に肩を竦め、オルヴォの方を向いて助けを求める。しかしオルヴォは黙って頷くだけだった。
助けが得られないと悟ったトウコは、諦めて“金髪”に向き直り、言った。
「おれは、トウコ。おまえ……あなたが、雪原で倒れていたから、ここへ連れてきたんだ」
「トウコ。僕を助けてくれたんだね、ありがとう。……そちらのヒトは?」
「ああ、僕のじいちゃんだよ。名前は……」
「オルヴォ、と申す。お見知りおきを」
オルヴォは椅子から立ち上がって頭を下げる。普段は見ない祖父の礼儀正しい姿に、トウコは少しむず痒さを覚えた。
“金髪”はベッドからしなやかに降り立った。その動きは風に舞うようで、どこまでも重力を感じさせない。
「僕は《夏》だ。よろしく頼むよ」
そう言って、《夏》を名乗る若者は優雅に一礼した。
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