第2話 目覚め

 息を切らしながらトウコが家へ着いた時、空はほとんど真っ暗になっていた。家は木材を組み合わせて建てた小屋で、簡素であるものの、暮らす人数を考えれば少し広い。

 トウコは一度そりの紐から手を離し、小屋の戸を二度叩く。姿を現したのは老人――トウコの祖父、オルヴォだった。トウコのものと似た、麻でできた簡素な服を着ている。蓄えられた立派な顎鬚あごひげに反し頭はつるりと禿げており、その頭に丸い帽子を被っていた。


「おお、トウコ。帰って来たか。薪は取れたかえ」

「取れたよ! でも今はそれどころじゃないんだ」


 トウコはそこをどいて、と言わんばかりに外へ出ようとするオルヴォを手で制す。そして“金髪”の身体を括る紐を解き始めた。が、結び目が硬く解けない。仕方なくトウコは腰に提げた小刀で紐を断ち切った。

 それを見ていたオルヴォは、見守っているのか呆然としているのか、何も言わずに目を何度か瞬かせた。


「トウコ。おめえ、この方をどこから連れてきた」

「詳しいことは後で話す。まずは手を貸してくれよ」


 真面目な面持ちで言ったオルヴォに、トウコはやや語気を荒げて言い返す。オルヴォは黙ってトウコに手を貸した。“金髪”の身体を二人掛かりで持ち上げ、家の中にあるトウコのベッドへ運び込んだ。

 そして、手荒な運搬によって乱れた“金髪”の衣服を軽く整えた。それでもこの寝かされた若者は目を覚ますことはなかった。


「雪原で倒れていたんだ。おれが森を出た時、何かがぶつかり合うような音が聞こえて――」


 暖炉の火のくすぶる音に、静かな声が重なった。トウコは脱いだ帽子を胸に当て、己の見た超常の戦いを、人の言葉の及ぶ限り語り尽くした。

 帽子の下から出てきた薄茶色の髪が微動だにしないほどの静謐せいひつさ。争いの様子を思い起こし、言葉を紡ぐその姿は、年端のいかない少年ながら随分と神妙なものだった。


「まるで自然が争っているようだった」


 そう言うと、ふう、とトウコは大きく息を吐いた。オルヴォは再び目を瞬かせると、ベッドから少し離れた場所にある木椅子に腰かけた。トウコもそれに倣った。

 オルヴォはトウコに向き合い、テーブルの上に腕を組む。そして真面目な面持ちを変えぬまま話し始めた。


「“自然が争っている”、か。……その表現は、あながち間違っておらんよ」

「どういうことなんだ?」

「あれは……、この方は、恐らく精霊だろう。それも、上位の」

「え?!」


 オルヴォの言葉に、トウコは口をぱくぱくさせながら身を乗り出す。その衝撃で、トウコの膝の上に置かれていた帽子が床に落ちた。誰もそれを気に留めなかった。


 精霊。天地の至る所に満ち、世界を形作るものたち。

 その姿形や力量は様々で、人間と交流を持つことも特段珍しくはない。しかし上位の精霊ともなれば話は別だった。彼らと交流できるのは、神話に歌われるような優れた詩人や、一部の霊感が強く信仰深い者たち。一介の人間が容易く交われる存在ではない。

 そんな精霊を、よりにもよって――拾ってきてしまった。トウコの背筋に寒気が走ったのは、暖炉の火が消えかかっているばかりではない。トウコは再び、雪原で見た争いを幻視した。

 もしも、“金髪”が本当に上位の精霊で、しかも荒ぶる精霊だったら。“銀髪”を切りつけようとしたあの木の剣が、自分たちに向くことがあったら。その時は、トウコたちの命は瞬きの内に失せるだろう。


「……じいちゃん。おれ、どうしたらいいんだ」

「礼節を以て接するしかない。荒ぶる精霊でなければ悪いようにはされんだろう」

「そんなぁ……」


 解決法とは言えそうにない祖父の言葉に、トウコは乗り出した身を脱力させた。背もたれに背を預けると、古い椅子がぎいぎい鳴った。

 その耳障りな音に衣擦れの音はかき消され、トウコの耳にもオルヴォの耳にも届かなかった。そのため、


「……」


 トウコもオルヴォも、ベッドの上の“金髪”が身じろぎをしたことにすぐに気付けなかった。目を開けたことにも。不安げにベッドを見遣ったトウコの目と、“金髪”の茶色に近い濃金のうきんの目が、合わさった。

 あっ、とトウコは思わず声を上げる。“金髪”は、今まで倒れていたとは思えないような身軽さで、すっと上半身を起こした。そして、


「君は誰だい」


 トウコの目を見つめたまま言った。その表情は平坦で、感情が読み取れない。

 “金髪”の目線は音も無くトウコを射抜いた。トウコはその重圧に肩を竦め、オルヴォの方を向いて助けを求める。しかしオルヴォは黙って頷くだけだった。

 助けが得られないと悟ったトウコは、諦めて“金髪”に向き直り、言った。


「おれは、トウコ。おまえ……あなたが、雪原で倒れていたから、ここへ連れてきたんだ」

「トウコ。僕を助けてくれたんだね、ありがとう。……そちらのヒトは?」

「ああ、僕のじいちゃんだよ。名前は……」

「オルヴォ、と申す。お見知りおきを」


 オルヴォは椅子から立ち上がって頭を下げる。普段は見ない祖父の礼儀正しい姿に、トウコは少しむず痒さを覚えた。

 “金髪”はベッドからしなやかに降り立った。その動きは風に舞うようで、どこまでも重力を感じさせない。


「僕は《夏》だ。よろしく頼むよ」


 そう言って、《夏》を名乗る若者は優雅に一礼した。

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