春喚びの詩

小金瓜

第1話 金と銀の闘争

 雪深い森の中を、籠を背負った茶髪の少年が一人、木立を縫いスキーで滑走している。

 どこまでも白い地面に、二つの細い筋が刻まれる。獣の気配の乏しい静かな森に、雪とスキー板の擦れ合う音が響いていた。

 今年で齢十三になる、その少年の名はトウコ。白い麻の服に茶色い毛皮のマントを纏っている。腰には頑丈な革ベルト、その脇に一本の小刀を吊り下げていた。スキーを取り付けた足に履くのは、やはり防寒の為の毛皮の長靴。


(薪は……もういいか。早く戻らなきゃな)


 胸の内に染みついた心細さに、身震いを一つ。トウコはマントと同じ色の、耳まで覆う帽子を被り直すと、森を出ようと帰りの道へスキー板の先を向ける。杖で地を蹴れば、トウコは木々の間を吹き抜ける風になった。

 帰路を行くトウコの心に思い浮かぶのは、我が家の暖かな暖炉と、己の帰りを待つ優しい祖父のこと。その温もりに想いを馳せれば、今まで感じていた心細さが、少しずつ融けて無くなっていく。

 そして、トウコが森の出口にさしかかろうという時――


 がきん、という音が静寂を裂いた。


 かきん、どしゃっ。音は森の外から止むことなく聞こえてくる。ただ事ならぬ音に、トウコは森から出る直前に滑走を止め、木の幹に身を隠し様子を伺った。そして思わず幾度か目を瞬かせた。

 森の外の開けた雪原で、二つの人影が争っている。双方ともに齢十五、六程の若者で、一方は銀髪、もう一方は金髪だった。

 銀髪の若者は氷のように透き通る剣を、金髪の若者は青々とした木を削り出した剣を、それぞれ握っていた。

 トウコは身を隠しながらも、訳が分からないまま森の中から争いを眺める。勝手に上がって来る息を必死で押し殺しながら、それでも好奇心に勝てず雪上の鍔競つばぜり合いを見守っていた。


 “金髪”は雪を一蹴り、“銀髪”に肉薄して横薙ぎに剣を振るう。“銀髪”は身を屈めてそれを避けると、逆に“金髪”の懐に入り込んだ。

 “銀髪”の片手が“金髪”の胸倉を乱暴に掴む。そして、


「――――!」


 “銀髪”は、“金髪”の胸に一息に剣を刺し通した。突き出された怜悧れいりな刃が、“金髪”の身体を背中まで貫いた。

 傍観者であるトウコは思わず息を呑む。トウコが見守り始めてから僅か数秒の間に、戦いの決着がついたのだった。

 勝利者たる“銀髪”は剣を捻ると、“金髪”の身体から素早く抜き取る。その剣には一筋の汚れも無い。

 支えを失った“金髪”は雪の上に崩れ落ちた。雪が煙のように巻き上げられ、二人の若者の姿を覆い隠した。

 微動だにしない己の敵対者を一瞥し、“銀髪”は指笛を一つ。空気を劈く鋭い音と共に、二人の若者を覆う雪煙は四つ足の生き物の形を取り始める。やがてそれは、雪と風でできていること以外は完全な馬の形となった。

 “銀髪”は風の馬にひらりと跨ると、“金髪”をその場に捨て置いて走り去って行った。目にも止まらぬ速さだった。


(なんなんだ、あれ……)


 トウコは思わず、森から飛び出した。そして、雪を蹴立て風に乗って彼方へ往くものを、ぼうっとしたまま見送っていた。雪の上には、蹄の跡一つ残っていない。

 しばらく放心していたトウコの視界の端で、何かがゆっくりと動く。雪の上に倒れた“金髪”が、微かに身じろぎをしたのだった。


(生き、てる……?)


 ようやく我に返ったトウコは、スキーを履いたまま、倒れた“金髪”の側に近づいた。杖の先で肩の辺りを軽くつつく。反応は無い。

 トウコはスキーを脱ぎ捨てると、意を決して“金髪”の身体を起こした。“金髪”は焦げ茶の革でできた編み上げ靴を履き、金糸の縫い取りが施された絹の白いシャツを着ていた。そして更にその上には、“金髪”自身の髪より濃い黄色のローブを羽織っている。ローブの留め具は、丸い太陽を模した金細工。腰には剣を納める鞘。一見するとどれも、トウコの身に付けている衣服より上等なものだった。

 そしてそれらには、“銀髪”が振るったあの氷の剣同様、汚れ一つ付いていない。剣で貫かれたはずの“金髪”の胸は薄らと上下し、口の端からは白い吐息が立ち昇っていた。


 結局、トウコは“金髪”を助けることに決めた。助かるかどうかは分からないが、もし彼が目を覚ましたら、あの超常の戦いについてたっぷりと訊いてみるつもりだった。

 ひとまずトウコは、脱ぎ捨てたスキーを自身の毛皮のマントで包み、紐で固定した。紐は敢えて長さを余らせ、引っ張る為の持ち手にする。スキーは間に合わせのそりになった。

 そして橇に“金髪”の身体を乗せ、落ちないように胴の辺りを軽く縛る。雪の上に刺さっていた剣は、拾い上げて鞘の中に戻した。

 作業が終わると、トウコは紐を持ち、橇を牽引して雪原を進んだ。橇に乗り切らなかった“金髪”の足が、雪の上をずりずり引きずられていった。

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