エピローグ
第41話
格納庫に収まった機体を、ナイアスは見上げていた。
そこに、ここ数ヶ月で聞き慣れた足音の主が、後ろからそっと近づいてくる。
「終わっちゃいましたね、博覧会」
名残惜しそうな響き。
振り返ったナイアスが、紙袋を手にしたリズを視界に入れてから、首肯した。
「後夜祭とか、閉会の挨拶はまだあるけどな……まあ、天機兵の設計技師にとっては、そういうイベントは意味がないもんな」
そこまで口にしてから、軽く首を傾げた。
「あれ? 閉会の挨拶って、王様がやるんじゃなかったか?」
「ええまあ……そうですけど」
自分とは違って、最後に一つ大きな宿題が残っているんじゃないか、というナイアスの指摘に対して、リズは頭を振った。
「お父さまの仕事ですから、私は別に……」
「そんなもんか」
ナイアスの返した言葉に、リズはくすっと微笑んだ。
「そうですよ。それより先生……お身体のほうは、大丈夫ですか?」
「ああ……まあ、だいぶ良くなってきた。こないだの模擬戦の後よりはずっと楽……かな?」
結局、ナイアスの発作は完治していなかった。
あの時、あの場面では克服できたような気がしていたのだが……。どうやら、あれはただの火事場の馬鹿力のようなものだったらしい。
「急に倒れたから、本当に心配したんですよ」
「悪い」
イリスの件が終わった後で、会話中に倒れてしまったナイアスを抱えて、リズはずいぶん慌てふためいたらしい。
その結果——
「でも、搭乗服を脱がせる必要はなかったと思うんだが……」
「わ、私だって、脱がせたくて脱がせたわけではありませんっ」
あのとき、少し経って目を覚ましたナイアスは、上半身を裸に剥かれて、リズに覗き込まれていることに気付いた。
それで、鬼気迫るリズの顔に、思わず悲鳴を上げてしまったのだった。
あんな戦いの後だから、外からは見えない怪我が原因だと疑われるのも当然だったが。
「何事かと思ったぞ」
「忘れてください……」
頬を赤らめるリズをからかう。
そんなナイアスの頭を、ふと過ぎったことがあった。
「そういえば、収監されているはずのイリスだけど……なにか、話を聞いてるか?」
「いえ……先生こそ、何か聞いているのかと思ってましたが」
「いや。学校の講師って立場じゃ、何も教えてはもらえないよ」
もしかして、と思ったが、お互いに情報を持っていないことを確認するだけに終わってしまった。
「そうか……あいつには、まだ聞いてみたいことがあったんだけどな」
「……そうですね。やっぱり……これから、また戦争になるんでしょうか?」
「んー。どうかなあ、狙われているのが俺だけなら、連中の侵攻という形にはならないかもしれないし……それに」
ナイアスは続く部分は口に出さずに、頭の中で考えた。
——人類未踏領域の向こうに。
魔族が本当の敵と位置づける存在が、そこに実際にいるのだとしたら。
有史以来、魔族の連中が人を襲撃した回数が少ないことに——かつ、天機兵を利用し始めるまで魔族の襲撃がなかったことに、多少の説明が付く。
「侵攻があるかどうかは、そいつら次第ってことか……」
「先生?」
ナイアスが思わず呟いた言葉に、リズが聞き返してきた。
「いや……なんでもない、独り言だ」
ナイアスはそう言って誤魔化した。
あの時、イリスと最後に交わしたやりとりについては、リズには話していない。それは単に、機会がなかったというだけだったが。
彼女に余計な心配をさせる必要もないだろうという気持ちが、この時、芽生えた。
「——それにしても、試合は残念でしたね」
「ん?」
リズの視線の先には、整備中の天機兵がある。プロト・エッジに装甲を取り付けて、当初の形に戻した機体——シャープ・エッジは、現在整備中だった。展示会が終わるまで、試合で負った損傷を修復する暇がなかったのだ。
「操機手の体調不良で欠場、それで二回戦敗退——だなんて」
「まあ、予定通りだったら一回戦で負けてたし」
別に構わないぞ、とナイアスが言うと。
「えっ?」
リズは驚いた様子で振り返った。
「いや……あれ、言ってなかったか? 勝つつもりなんて全然なかったぞ、イリスが出てくるまでは」
「そんなあ……せっかくの先生の試合だから、期待してたんですよ、私」
年相応の表情で、口を尖らせているリズを見て、ナイアスは頭を掻いた。
「だから、俺はもう引退してるんだって、操機手としては」
「うーん……それはやっぱり、あの、発作のせい……ですか?」
「ま、そうだな」
聞きづらそうに聞いてくるリズだが、すでにバレていることに、恥もなにもないナイアスは気楽にそう応えた。
だが、その態度はリズのお気に召さなかったようで。
「でも、あれだけ強いんですし、もったいないです」
「……そんなこと言われてもだな」
乗ると気分が悪くなるのだから、出来ることならば、乗りたくはないのだ。
「うう……」
リズは納得いかなげな顔をして、ナイアスをじいっと見つめた。そして、口を開く。
「それでもですね……。それに、あのとき言ってたじゃないですか」
「何を?」
「守るための戦いもあるって」
それは、ナイアスがイリスに告げた言葉だった。
「聞いていたのか」
少し照れくさくなったナイアスに、リズは続けて問いかけた。
「もし……。もし、ですよ……?」
オイルと埃の匂いがする格納庫の中で、少女は花がほころぶような、はにかんだ笑顔をナイアスに向ける。
「また、ああいうことがあったとして——」
眼鏡を付けていなくても、髪をひっつめにしたリズの姿はやはり地味な少女だった。
けれども、その表情に、ナイアスは視線を奪われた。
「そのとき、先生の発作が治ってなくても……」
そして、思い出す。
——あの日、最後にナイアスが倒れる直前、目の前の少女が何か言おうとしていたことを。
これが、その続きなのだと確信して。
「いざというときは、守ってくれますよね?」
学生に問いかけられた講師がそうするように。
ナイアスはリズの質問に答えるために、ゆっくりと口を開いた——
了
英雄操機手の再搭乗 折口詠人 @oeight
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