第12話 転換
ミリオンは酒はあまり好きではないが、酒の匂いは好きだった。
肺いっぱいにワインの香りを嗅ぐと、むせ返るような甘ったるい糖の匂いの後に、鼻をツンとさせるような酒本来の匂いが一瞬だけ残る。そのツンとする感覚がミリオンはたまらなく好きなのだ。
だからミリオンはバーゼの冒険者ギルドに併設された酒場に入ると、自分に安ワインを、ネイアとセレにブドウのジュースを頼んだ。ちなみにネイアは酒場の店主が舌を巻くほどの大酒飲みだが、昼間から酒を飲むことはしない。
バーゼの冒険者ギルドの酒場も冒険者が出払ってるためか、従業員たちは暇していたようで、注文からすぐにワインとぶどうジュースがテーブルに並んだ。
ミリオンはなみなみ注がれたワインのコップを片手に、先ほど冒険者ギルドの受付嬢から知った情報について話す。
「これこそ俺が望んでいた展開ではないか! 街を揺るがすような魔物の出現にさっそうと現れる新たな英雄、まるでマグナの物語をなぞっているかのようだ! しかもその魔物は、マグナも物語の中で倒したドラゴンと来ている!! 世界は新たな英雄、俺という存在を待っていたのだな。これでサーティスも俺に夢中になるだろう。 ……それでだが、ネイア」
ミリオンは一旦、言葉を止めるとワインで唇をしめらす。ワインの表面がゆらゆらと揺れる。
「ドラゴンは倒せるか? 無理ならば、どんな冒険者を何人雇えばよい? 」
「恐らくですが、亜種のドラゴンでもなければ、私一人でも可能かと。炎の属性を持つドラゴンに私の氷魔法は天敵ですし。念のため、前線で戦える二等冒険者の剣士が2人くらいいればもっと楽に戦えますね。それに万が一があっても、セレちゃんがいれば転移魔法で逃げられますから」
「ふむ、そんなものか。冒険者というのも簡単だな、この調子でマグナが物語の中で成しえたことをなぞっていくか」
「……氷魔法が使える私がすごいんですからね。その辺ちゃんと頭の中にいれといてください」
「そうだな、二等冒険者の剣士2人に払う倍をボーナスとして渡そう」
「ミリオンさま素敵です、一生ついていきます」
ネイアが恋する乙女のように両手を頬杖をつくように両頬に当てて、目を輝かせた。ネイアに悪気はないのだが、ミリオンの金で何とかしようとする性格はこのようにして作られてきたのかもしれない。
そんな二人の会話を聞いて、ぶどうジュースが入ったコップを両手で持ち、ちまちまと飲んでいたセレが首をかしげる。
「あのミリオン様? ミリオン様がネイアさんや他の冒険者さんたちにドラゴンを倒させて、その手柄だけ奪っちゃうみたいに聞こえるんだけど……」
「もちろんそのつもりだが? 」
「ダメ! そんなの絶対ダメだよ!! 」
ミリオンの返答に、セレが興奮して鼻を膨らました。
セレはミリオンが物語の主人公のように、サーティスの為に清く正しい英雄になろうとしていると信じ込んでいた。
専属となる前に王子様を夢見ていたセレにとって、ミリオンはサーティスの王子様なのである。
そんな王子様が、物語でいうならば序盤に出てくる敵役の代官のような振る舞いをしようとしているのをセレは許せなかった。
「そんなのサーティスさん喜ばないよ!? いつか絶対にばれちゃう……」
「ふん、その為に金があるのだ。冒険者たちに多めの口止め料を払えばどうとでもなるだろう」
「な、なら私がバラす!! 」
「む、それは困る。そんなことされたら、俺の『他人の功績を金で買って一等冒険者になろう作戦』が水の泡ではないか」
「……やけに冒険者生活に対して、自信満々だと思ったらそんなこと考えていたんですね」
ネイアはミリオンがどうやって冒険者としてのし上がっていくつもりなのか、具体的にどうするのか気になっていたが、ここでやっとその答えを得て納得する。
そんなネイアの機微の一方で、セレはミリオンのタヌキのような発想にさらに鼻の穴を大きくしていた。
「絶対にダメ! それじゃ、王子様になんかなれっこない!」
「俺がなろうとしているのは、王子様ではなく、マグナのような英雄だ」
「王子様も英雄も似たようなもんだよ! ミリオン様がそういうズルするなら私がばらすし、専属の転移屋だってやめてやる! 」
「む……」
ミリオンにはセレがなぜここまで怒っているのか理解できない。
ミリオンにとって努力して得た結果も、金で買った結果も同じであるからだ。武芸を磨いて、たくさんの冒険を経て一等冒険者になったとしても、他人の功績を買って一等冒険者になったとしても、一等冒険者になれたという結果は変わらない。
ただその功績を買った事実をばらされたのならまずいことになるのは分かるし、セレが専属の転移屋が辞めるというのはとても困る。
セレに対して、少しだけ父性のような感情が沸いてきているのもあるが、そもそもこのバーゼにこうやって気軽に来れているというのもセレのおかげなのだ。
ミリオンは何とかセレを説得しようと人受けの良さそうな笑みを浮かべた。
「セレ、何か欲しいものはあるか? 俺が何でも買ってやるぞ! 専属をやめるというのと『他人の功績を金で買って一等冒険者になろう作戦』をバラすというのを撤回するならな」
「そういう問題じゃない! 私は絶対にお金に屈したりなんかしない! 」
「……」
こう言われてしまうと、セレとの付き合いが浅いミリオンは、どうやってセレを篭絡すればいいか分からなかった。
少なくとも今知っているセレの情報、手札ではセレを説得するのは難しそうだとミリオンは悟った。
こんなにも早くミリオンがそれを悟ったのは、セレの目があの時のサーティスと似ていたからだ。もっともサーティスがミリオンの誘惑に対して向けたのは嫌悪だったが、セレの目に嫌悪の感情はない。
代わりにミリオンの言葉を拒絶するセレの目は、意志の強さが垣間見えて、ミリオンにサーティスのことを思い出させるのには十分だった。
「……どうしてそこまでしようとするのだ? 」
ミリオンの口から弱気な感情が漏れる。誤解が解けたとはいえ、ミリオンにとってサーティスに拒絶されたことは、胸の奥そこに泥のような塊となって存在していた。だからミリオンは彼女たちが、何のために金を拒絶するのか気になっていた。
そんなミリオンに対して、力が入ったのかセレの瞳が潤む。
「そんなのミリオン様のために決まってるじゃん!」
「俺のため……? 」
「だって、ズルいことしたらなりたいものにはなれないんだよ」
セレはこうしてミリオンの専属となって、石と石を行き来するだけの人生から、見える景色は変わった。しかしだからといって、セレはなりたいものになれるわけではない。ミリオンの専属を離れることがあったとしても、セレは10年後も20年後も転移屋だ。本当に王子様に見初められでもしない限り彼女の人生に大きな変化はないのだ。
だからセレは、子爵ではあるがなりたいと努力すればなりたいものになれるミリオンに理想を重ねた。
一方でミリオンは自分のためというセレの言葉が理解できない。自分が何かを求めて対価として誘惑しているのに、その誘惑を拒絶することが自分のためであるというのは分からない。
それでもミリオンは何故か自分の中に明かりのようなものがともるのを感じた。その明かりに暖かさが伴っていることには気づかないが、じんわりと何かが広がっているのは気付いた。ミリオンにとって経験したことのない感情であった。
だからといってミリオンが、これだけで金でなんとかするという価値観を覆す根拠にはなり得ない。
ミリオンは現在19歳、もうまもなく20歳になるが、これは父親と兄が死んで領主となってから10年たつことになる。
一生の半分をその価値観で生きたミリオンには、やはり金を拒絶することは分からない。ただ胸の中の灯りも無視できない。
自分のことすら分からなくなってきたミリオンは、自分のことを知っている人間であるネイアの方を見た。
ミリオンに自覚はないが、傍から見ればそれは親に助けを求める子供のようであった。
ネイアはそんなミリオンの顔を見て、胸が蠢くような感覚を覚えた。これから自分の発する一言に大きな責任があることを自覚したからである。
だからネイアはミリオンが求めている言葉を考えた。
「坊ちゃん、サーティスさんにドラゴンとの戦いについての話をねだられたらどうするのですか? 」
「そうだな。……よし、俺が自らの手でドラゴンを倒してみせよう」
「えっ、ほんと!? ミリオン様素敵!! 」
「……言っといてなんですが、どうするつもりなんですか? 」
「まあ次善策というやつだな、あまりやりたくなかったが……」
金の亡者と呼ばれた男の英雄譚 鹿嶋おびに @mishimashin
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