第7話前編 こうして役者は揃い、物語は回り始める


「ただいま……」

「お帰り、遅かったのね」

 涼香との話を終え、家に帰ると珍しく母親が出迎えてくれた。その光景に少し驚きをもったが、たまにあることなので普通に流した。

「ちょっと友達と話してたからね。母さんこそ今日は珍しいじゃん」

「今日はいつもより少し早く終わったのよ」

 相の機嫌よさそうに答える。そして俺の顔をちらりと見た後に少し嬉しそうな顔をする。

「なんだかすっきりした顔をしてるけど、なにかあったの?」

 その言葉に少し目を見開いてしまう。

「……いや、何もないよ」

 言っても仕方のないことだ。涼香とのことは俺たち二人だけの話なのだから。振り返らない。そう誓ってあの公園を後にしたのだから。

「そう、でもあんた変わったわ」

 楽し気にそう母さんは言う。これが母親というものなのだろうか。簡単に変化に気づいてくる。

「変わったって、どういうことだよ?」

「ここ最近のあんたはお父さんの昔のころによく似てたからね」

 顔も忘れてしまった、おぼろげな父親。幼いころからずっと海外にいる、どんなものが好きなのか、どんなふうにしゃべるのか、そんなことすらわからない相手。

 そんな父親に似ているといわれたからなのか、俺は怪訝そうな顔を向けてしまった。

「父さんの昔?」

「そうよ~、意気地なしですぐ照れるの」

 昔を思い出し、楽しそうに笑うその姿は四十を過ぎた女性に似つかわしくない可愛さがあった。

 母さんの言う昔の父親は、確かに俺に似ているのかもしれない。だが、それはあくまで朱里のいたあの頃だろう。

 今の俺は、全く違う。

「そうだったんだ」

「あんたは性格は私似だと思ってたんだけど、あの人にも似ちゃったんだなって思ってね」

「俺が母さんと似てるの?」

 今までの生活で母さんと似ていると思ったことなんて一度もないんだけどな……。だが自身いっぱいにそういうのだからきっと母さんから見ればそうなのだろうか。

「自分の好意に素直で一途なとことかね、顔は完全に私似ね」

「じゃあ俺は不細工ってことになるな」

 意地悪くそう答えると母さんは口をとがらせて反論する。

「馬鹿言うんじゃないよ、私は美人よ」

「よく言うよ」

 思わず笑ってしまう。その姿を見て母さんもまた一緒に笑う。

「親子ってとこかね、やっぱり。内面も父親によく似てくるもんね。ほんと最近のあんたを見てたらあんたの年のあの人によく似てる」

 そう言って俺の頬杖を突きながらこっちを見る。

「私のことが好きなくせに変に考えすぎてデートに誘うどころか話しかけにも来ない」

 その声音は少し怒っているようで、楽しそう。きっと当時の気持ちを思い出しながら話しているのだろう。

「あんたはそんな風になっちゃだめだよ。恥とか苦労ってのは男が買ってするもんさ。そして女はそのあとにお返しに愛嬌を提供するもんなのさ」

「……俺は、そんなことないよ。少なくとも、今は絶対に違うさ」

 母さんの言葉に、かみしめるように答える。今しがた再度誓ったことだ。何があっても違うことがない。

「そうなのかい?それならいいけど、ちょっとまだあの人に似てるよ」

「まあ、親子だからね」

 きっとまだ少しだけ残っている未来への心配を感じ取ったのだろう。でも、それでも進むことには変わらない。進まなければ、朱里を愛さなければ確実に未来以上に後悔するからだ。

「ふふ、そうね」

 俺が笑顔で答えると、少しだけ母さんは驚いた顔をしてから笑う。

 その顔を見て俺は少しだけ気になったことを思い出す。

「ん?そういえば内面もってことは他には何が似てるの?」

「それは母さんが大好きだったところよ」

「なんだよそれ」

 意味深な返答に小首をかしげる。

 そんな俺を見て、懐かしそうに笑う。

「さっきと同じ、笑ったときの顔よ。明るく、優しい。包み込んでくれるような、そんな顔よ」

「そっか……」

 俺は、笑ったときの表情が父親と似ているのか。そう思うと、なぜだかうれしいような、照れくさいような感情が芽生えてくる。

 顔もおぼろげな父の表情。そんな表情が自分の身近にあったということに、そんな感情が芽生えてしまう。

「母さんが大好きな顔だから、あんたは安心してその顔をしてればいいのよ」

「なんだよ、それ」

 母さんの言葉に意味が分からずに笑って返す。その顔を見てか、母さんは呆れたように息を吐く。

「朱里ちゃんも、きっとその顔が好きだから。あのこ、私と趣味似てるから」

「……それは、いい趣味だ」

 その名前が出るとは思っていなかったから、一瞬言葉が詰まる。どこまでも見通してくる人だ。

「そうよ、だから頑張んなさい」

「言われなくても」

 どこまで母さんが知っているのかはわからない。俺が朱里のところに行って、この人生をかけて彼女を愛すること、そのことは知らないのだろう。

でも、きっと俺がまだ朱里のことがどうしようもなく好きで、ずっと後悔し続けていたことは、一番長く近くにいる人だ。きっとわかっているのだろう。

 そして、いつか俺が母さんの元を離れて、朱里のそばに行くこともわかっているのだろう。その時に、この人生をかけることも。

 だからこそ、「頑張れ」というのだ。その言葉に返す言葉は短くていい。わかりきった答えなのだから。

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睦月の桜が咲き誇る頃 白糸雪音 @byakuya001

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