吸血姫のご馳走になる俺は今のところはラブコメの主人公

うめもも さくら

吸血姫は朝を願った

今は8月下旬、世の中の少年少女たちが夏休みの終わりを感じ始めた頃のこと。

「旦那様〜ご飯お口に合いますかしら?」

旦那様とは俺の事。

俺を旦那様と呼ぶ目の前の少女は俺と同じくらいか少し年下に見える。

彼女は黒の基調のゴスロリ風の服を身に纏い気遣わしげに俺を見る。

他者から見れば美しい少女に旦那様なんて呼ばれる俺を誰もが嫉妬しそうだが、俺から言わせてもらえばそんな上手い話はどこにもない。

「最終的には俺が死ぬまで血を吸うんだろ?」

「そんな怖い顔しないで?最終的にだから。もう少し肥えてくれた方が美味しいの」

そんな嗜好は聞きたくなかった。

「ほらほら早く食べてくださいまし。そして血を吸わせてくださいな」

そんなお願い今まで聞いたことないし、聞きたくもなかった。

けれど聞かざる得ない。

俺の魂は彼女の手の内にあるのだから。


あれはもう2ヶ月ほど前の事だ。

もうすぐそこまで夏が迫っている蒸し暑い6月下旬の夜のこと。

「お兄さん、とっても美しいわね」

夜、コンビニに向かおうとしていた俺に突然少女が声をかけてきた。

本当のところ俺の顔は普通だし、美しいなんてお世辞でも言われたことがなかったので驚いた。

日本人の美徳でもある謙遜をしようと首を横に振ると彼女がにたりと笑う。

「とっても美しい血。美味しそう」

……そんな事お世辞でも言われたことがなかったので驚いた……。

美味しそうってなんだ?どういうこと?と頭の中の理解の範疇はんちゅうを越えた彼女の言葉に動揺している俺のことなどお構い無しに彼女は言葉を続けた。

「貴方に決めましたわ!旦那様!」

そして彼女は何もできないままの俺に近づき、彼女よりもだいぶ体格のいい俺を軽々と持ち上げて夜の空へと向かって跳んだ。

バキリと音がして目をそちらに向けると先ほどまで何もなかった彼女の背中からはえた1いっついの翼。

それはマンガやアニメで見たファンタジーの世界のものを思い出させた。

ただ、一緒に思い出されたのはその翼は決して天使や神様が持ち合わせていない描写だ。

こういう翼って大抵……


吸血姫きゅうけつきですわ」

「やっぱりね。そういうのって大抵悪魔とか吸血鬼とかの羽ですよね。吸血鬼でしたか。血を吸う鬼ですね」

大きな洋館の一室に連れてこられて、わけのわからないことを並べられて理解の範疇はんちゅうの斜め上をゆく出来事に俺は半ば無理やり自身を納得させようとしていた。

「鬼じゃありませんわ!姫ですの!」

「吸血鬼の中のお姫様ってこと?えらいの?」

「偉いですわ!吸う血の姫で吸血姫きゅうけつきですわ!鬼ではなくて姫ですから!あんな野蛮な種族と一緒にしないでくださいまし!!」

どうやら人間の俺には理解できない違いや確執があるようだ。

「光栄に思ってくださいまし。旦那様!貴方は私の旦那様に選ばれましたの」

一体何を光栄に思えばよいのかよくわからなかったけれどとにかく話を黙って聞いてみよう。

「つまり旦那様は私の大切な大切な餌。食べ頃になったらしっかり美味しく血を吸い尽くしてあげますわね」

黙って聞いていられるかっ!!

慌てて彼女から距離を取り、屋敷の出口を目指して一目散に走り出す。

部屋を出てすぐに異様な感覚に襲われた。

部屋から離れれば離れるほど力が抜けていく。

そんな感覚だった。

ふと後ろを振り返ると自分の背中から糸のようなものが出て今までいた部屋へと繋がっている。

遠くで彼女の声がした。

「これ切れると旦那様死んじゃいますわよ?」

さも事無げに言う彼女の言葉に回れ右して部屋のドアを開けるのもそこそこに飛び込む。

彼女はにこやかな笑みで言う。

「お帰りなさい、旦那様」

こうして彼女との生活が始まった。


「いつ頃俺は食われるですんかね?」

おもむろに彼女に聞くと彼女は食べずに血を吸うのだと訂正してから深く考え始めた。

そして数分悩んでから答える。

「旦那様優しいから殺しにくいんですのよ。たくさん話は聞いてくださるし話してくださる、私を尊重してくださるでしょ?」

いたいけな人間のできることなんて限られている。

如何いかに相手を刺激せず、平穏に過ごせるかは重要なところだ。

ここに連れてこられてから約2ヶ月間、ずっと彼女と二人きりでここで寝食しんしょくを共にしている。

正直な話、もちろん殺されるとかは怖いのだが基本的に彼女は優しく献身的な少女だ。

話し方は多少特徴はあるものの人の気分を害するものではない。

手作りの料理も美味しく、彼女と話しているのはとても楽しい。

そういう話題さえなければおそらくどこの誰に紹介したってうらやまれる完璧な奥さんだと思う。

「朝が苦手な私に合わせて夜起きていてくださるでしょ?」

ここに来るまでは完全に早寝早起きタイプだった俺も朝は彼女が寝ているし、食事は深夜にだされるので夜型タイプになったのは事実だ。

最初こそ、眠い目を擦り睡魔と戦っていたが、それが1週間も続けば俺の体も慣れてくる。

今では夜起きているのも大して苦ではない。

「もっと肥えてからーって言ってますけれど本当のところは太りすぎも美味しくありませんし」

つまりいつでも食べ頃ということだろう。

彼女の気まぐれと善意と好意によって生かされていることはよくわかった。

「お腹が空いて耐えられなくなるまでですかしら」

ぜひ耐えに耐えていただきたい!!

そう思いながらまた今日も彼女に出されたご飯を頬張る。


「私ね、夢がありますの」

「夢?どんなの?」

俺のご飯の後は彼女の食事になる。

ご飯の後の俺は彼女の食事になる。

彼女は人間の食事のように定期的に血を吸わないといけないらしく俺はいつ吸い尽くされるかとびくびくするのだがだいたい献血で抜かれる血ほどの量で彼女の食事は終わる。

そんな彼女のお食事中の他愛ない会話だった。

「朝日を見てみたいのですわ。私は吸血姫ですので太陽に肌が晒されると皮膚が焼け焦げてしまうでしょう?」

え、初耳だけど、何それ怖い!と体が震えた。

「でも人々は朝日を見て喜ぶじゃありませんの。たーまーやーって」

「それ違くない!?たーまやーは花火だろ」

「何か違いますの?」

「全然違うよ!朝日は朝に出る太陽!花火はむしろ夜が本番なところあるよ!?」

「まあ!では私も朝日が見れますのね!たーまーやーって言えますのね」

「違うって!朝日じゃないってば!!」

俺の声は喜びのあまり興奮気味の姫様には全く届かなかった。

その後、夏のが本番の花火を今まで一度も見たことがないのか疑問に思い、聞いてみると彼女は俺に出会う前はこの近辺にはいなかったことを聞いた。

彼女の言う近辺とは日本のことらしくどこか遠い国にいたらしい。

だからと言って花火と朝日は間違えないだろうと思ったが違う話題に変わってしまいそれ以上はなにも言えなかった。


次の日、俺はまだ眠い朝に彼女を起こさないよう気を付けながら起き上がる。

ここに来たばかりの時、彼女にスマホを見咎められて、外部と連絡できるツールだと知られた。

途端に彼女はなんだか不満げになり、自分以外と話すなんてもってのほかだと没収された俺のスマホ。

どうしても調べたいことがあり久しぶりにスリープを解除すると電池はまだ幾ばくか残っていた。

この時期ならまだやっているはずだとはやる気持ち抑えて急いで検索をかける。

「あった!よかった、今日か」

俺は寝過ごしてしまわないようにしっかり時間を確認して今日は寝ない覚悟をした。

まだ夢の中にいる彼女をみつめる姿はさながら本当の夫婦みたいかもしれないと思った。


「ほら、起きて!もう夜だ」

「なんですのー?今日はやけに早起きですわね」

19時を過ぎた頃、気持ち良さそうに寝息をたてる彼女を申し訳なく感じながらも揺り起こすと唸るように彼女は微睡みながら抗議の声を漏らす。

「もう夜だよ。安心してベランダに出てごらん?」

そう俺が言ったところで先走りの音が屋敷の中まで轟いた。

それは打った太鼓のような雷のような大砲の音にも似た力強いものだった。

彼女はその音に少し警戒しつつ、ベランダで手招きする俺を見つめた。

そしておずおずと俺の手に吸い寄せられるようにベランダにゆっくり近づく。

真っ暗な夜の帳が空を覆い尽くしていることを確認すると彼女はベランダに出てきた。

そして先程の轟音は何事かと俺に聞こうとした瞬間、辺りに日の光とは違うでも辺りを明るく眩しく照らす光に彼女は驚いた顔でそちらを見やる。


ドーーーン……ッパァァァーーンッ……!!


「花火だ」

俺は彼女のあまりにも驚いた表情に申し訳なさと愉快さと愛らしさに微笑みながらそう呟いた。

俺の声が届いているのかいないのか彼女は夢中になりながら次々と打ち上げる大輪の花をその瞳に映している。

花火の淡く優しい光が赤、青、緑、白と色をころころと変えながら彼女と俺を染めている。

静かでは決してないはずなのに、時間が止まったかのような穏やかな静けさが彼女と俺を包んでいた。


「たーーーまーーーやーーー!!」


彼女が大きな声で叫ぶ。

その声は距離があるというのに彼女の声より大きく高鳴る花火の音色に吸い込まれていってしまう。

隣の彼女が驚いた表情のあと浮かべた悔しそうな顔は俺にはどこか満足そうにも見えた。

俺はそんな彼女の姿を見ながら形にならない、言葉にならない名前がみつからない、そんな感情に満たされていた。

その感情はどこか嬉しいような照れくさいような歯がゆいような持て余してしまうようなもの。

けれど、絶対自分が持っておきたい、誰にも奪われたくないようなもの。

この感情、何て言うんだろう?と思ったけれどふと隣にいる彼女がこちらを見て笑うものだから今はそれだけでいいかと思った。


「旦那様!朝日見れましたわ!私の夢が叶いましたのよ!!なんて素敵なのでしょう!!」

「花火だって」

一応訂正するがわかってはもらえないだろうなと苦笑した。

「でも夢が叶った瞬間、新しい夢が生まれてしまいましたわ……」

少しため息を漏らしながら躊躇いがちに彼女は囁いた。

俺は彼女の夢の内容を知りたくて目配せで彼女の次の言葉を促した。


「旦那様ともっと想い出を作りたい、もっと一緒にいたい、もっとずっと旦那様と生きていきたい」


その言葉はあれほど大きかった花火の音がまるで遠ざかっていくように俺に思わせた。

先ほどの感情が形や色を変えて俺にまとわりつく。

花火よりももっと近くでもっと大きな音をたててもっと体を震わせるこの感情が俺の中で騒ぎ立てる。

目の前で困ったように微笑む彼女から今は目が離せない。

悩ましい感情をきっと彼女も俺も抱いている。

出会って間もないけれど、種族も立場も性格も全く違うけれど、ずっとそばにいてずっと一緒に過ごしてきた彼女。

許されない感情だとはわかっていた。

けれど俺はこの感情を彼女にぶつけたくなった。

そう、夏や花火のせいにして今、この感情をこの想いを彼女に伝えようと息を強く一瞬吸った瞬間……

「せっかく夢が叶って思い残す事なく晩餐にありつけると思いましたのに!!またご馳走はおあずけですわーー!!」

パァァァーーン………

突然戻ってきた花火の音が何故だろう、俺の心に虚しく響く。

先ほどの感情が静かに乾いていくのを感じた。

「悩ましいね!!それは!!」

彼女は食欲という本能と興味という理性の間で悩ましく揺れ動いていたんだ。

頭のなかで冷静に把握してしまうと俺の心は尚更虚しさと儚さに包まれた。

けれど彼女が困ったように、けれど幸せそうに微笑むから俺という生き物は単純なようでそれだけでいいような気がした。

食べられるのはマジ勘弁だが……。

「綺麗ですわね、あんなにもいっぱい朝日が……」

花火も最後の盛り上がりに入ったようだ。

「花火ももうすぐ終わるんだろう、最後はすごいからよく見てな」

花火の音が胸を打つ、花火の光が辺りを彩る。

そんな中で呟いても花火の音が吸い込んでくれる。


「俺も一緒にいたい」

「ずっと一緒にいたい」


「好きだよ」


その言葉を吸い込んだ花火がこの花火大会の最後の花火だったようだ。

夜の静けさが舞い戻ってきたのを確認すると一足先に俺は部屋へと戻った。

「夏とはいえ冷えるからあんまり外にいると風邪引くよ?」

吸血姫が風邪をひくかどうかはわからないけれど、自分の体が思ったより冷たくなっていたのでベランダに向かって一声かける。

そしてベランダに背を向けて上着を一枚手に取り羽織る。

その時、花火が終わった後だというのになぜか赤く染まった彼女の顔を俺は知らなかった。











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